萌えシチュエーション15題より
「8.ネクタイ曲がってるよ」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)

※ロクセリCPも出てきます


 旅の最中に「お城の舞踏会なんてあるの」とリルムが尋ねたことが発端だった。勿論あるさ、と答えた兄の言葉に女性陣の目が輝いた光景をマッシュもよく覚えている。
 戦いが終わったら招待しようと微笑んだ兄は流石有言実行の男である、帰城後に頃合いを見て親しい貴族を集めたささやかな舞踏会を催し、旅の仲間たちを呼び寄せた。
 城の控え室に恐る恐る入って行った女性達は、女官の手によって美しく着飾られ薔薇色の頬で姿を現した。男性側も身なりを改めざるを得ず、皆集まるのだぞと兄に窘められたマッシュも普段通りの格好でいることは許されなかった。
 堅苦しい首元に溜息をつきつつ、華やかな会場を遠巻きに、それでも静かに微笑みながら眺めていたマッシュの目が、ふとバルコニーに繋がる窓の傍でぽつりと佇む男の姿を捉える。いつも賑やかな男が珍しいと、何の気なしに近寄って声をかけた。
「ロック」
 ピク、と肩を揺らしたロックが面白くなさそうな表情で振り向く。そしてマッシュを頭から爪先までさらりと見て、肩を竦めてみせた。
「流石元王子、サマになってんな」
「ロックがお世辞言うなんて珍しいな」
「お世辞のつもりはねえよ。……俺はこんなカッコしたことねえしな」
 自嘲気味に吐き捨ててぷいとそっぽを向いたロックの頭には、トレードマークのバンダナがない。フォーマルな服装にバンダナは合わないと外したのが落ち着かないのか、整えられた前髪を指で弄りながら下唇を尖らせている。
 珍しく口調に棘があるなとマッシュは軽く眉を持ち上げ、さり気なくロックの視線を追っておおよそを理解した。
 装いを改めたロングドレスのセリスは普段と雰囲気ががらりと変わり、剣を振り回している姿からは想像もできないほど淑やかに見える。ティナと並んで会場を彩る美しい華となり、貴族の若い男たちが彼女を囲むこの状況はロックにとって喜ばしいものではないのだろう。
「行けばいいだろ」
 なんの問題もないといった調子でマッシュが口にした言葉に、ロックが冗談じゃないと目を剥いて食ってかかってきた。
「あのな、あそこに群がってる男たちみたいに歯の浮くよーな台詞も品のある振る舞いもひとっつも俺には似合わねえの! 服が歩いてるってセッツァーにも言われたしよ……舞踏会ってガラじゃねえんだよ、俺は」
 マッシュが仰け反るような剣幕で吐き出してから、次いでしゅんと肩を落とすロックの格好を改めて見定めるマッシュだったが、なかなかどうして悪くはない。シルバーグレイのスーツはサイズもぴったりでロックに似合っているし、首元のクロスタイも控えめに洒落ていて垢抜けた印象だった。
 マッシュはロックに激励の声を掛けようと口を開き、ふと何か思いついたように瞬きをして小さく笑う。不審げな目を向けたロックの首元に手を伸ばし、タイを留めていたスティックピンを抜いて、整っていたクロスタイを不恰好に曲げてから刺し直した。
「お、おい、何すんだよ、曲がっちまっただろ!」
 ロックの抗議をしれっと流してその肩に手を置いたマッシュは、軽くウィンクして答える。
「それでいいんだよ。そのままセリスんとこ行って来いよ」
「ええ!? 余計カッコ悪くなってんじゃねえか……!」
「好きな子が声かけてくれるおまじないみたいなもんだ。ホラ行って来いよ」
 そう返したマッシュは豪快にロックの背中を叩く。勢いに押されて数歩前に出たロックは、頬を赤らめて何か言い訳めいたことをブツブツと呟き、それでも渋々セリスの元へ歩いて行った。
 ロックが重い足取りで近づいて行くセリスの周りには三人の男が品のある笑顔を顔に乗せて張り付いていた。セリスが明らかに困った作り笑いで応じているのはマッシュにも分かったが、そこにロックが到着すると雰囲気が一変した。
 気配に気づいて顔を向けたセリスはきょとんとロックの首元を眺め、それからプッと吹き出す。緊張の解れた可愛らしい笑顔を見せて、「曲がってるわよ」とロックのタイへ手を伸ばした。
 照れ臭そうに口を尖らせるロックに微笑みながらピンを抜いてタイを整えるセリスの横顔は幸せそうで、周りの男たちもそれまでとは違う親密な空気を察したのだろう、二人を残して名残惜しげに離れて行った。
 セリスの伏せられた瞼の先で揺れる睫毛を目玉だけで見下ろしたロックは、薄っすら頬を染めてセリスにされるがままになっている。セリスの細い指がタイを整え終えた時、軽い咳払いをしたロックは周囲から男たちが消えていることを確認し、小声でボソリと呟いた。
「……あー……。……似合うぜ、ドレス」
「……ありがと。……ロックも素敵よ。タイは曲がってたけどね」
 ふふっと笑うセリスに気恥ずかしそうに頭を掻いてみせたロックは、軽く目線を泳がせて赤らんだ顔でありながらもセリスに向かって手のひらを差し出した。
「……踊る、か? うまくないけどな」
「……ええ」
 嬉しそうに微笑んだセリスは小さく頷き、ロックの手を取る。
 その様をにこやかに眺めていたマッシュの背後から、「お前にしては気が利くアドバイスじゃないか」と戯けた声が届けられた。
 ビクリと背中を揺らして振り向くと、華やかな王の装いが眩しい兄の姿。あ、いや、と声を詰まらせて顔を赤くしたマッシュをよそに、兄は辿々しく踊るロックとセリスを見て口角を上げる。
「セリスの表情が変わったな。恋は女性を美しくする」
「う、ん……」
 曖昧な相槌を打ち、マッシュは話題を逸らそうと頭を働かせて新たな会話の糸口を探す。
 まさか聞かれていたとは。どう誤魔化すべきか冷や汗を掻いていると、兄の手がマッシュの肩に触れた。そして思いの外、耳の近くで囁き声が注がれる。
「好きな子が声をかけてくれるおまじない、か。成る程ねえ」
 ゾクッと鳥肌が立つようなしっとりと湿った声だった。
「お前、子供の頃しょっちゅうタイが曲がっていたな?」
 ああ、やはりバレてしまった──マッシュは目を閉じて観念したように天を仰いだ。


『レネ、またネクタイ曲がってるぞ』
 揃いのリボンタイはいつも指で引っ張って傾けていた。そうすると目敏く見つけた兄が駆け寄って直してくれるから。
 日頃見上げるばかりの兄がマッシュの前で背を屈め、子供にしては器用に動く指で丁寧にタイを結び直してくれる様子を上から眺めるのが好きでたまらなかった。
 伏せられた瞼、長い睫毛、いつもは見えないつむじまで。ぐっと距離が縮まって、ふんわり髪の良い香りが漂うのもとても好きだった。
 何度も何度もタイを曲げた。声をかけて欲しくて、傍に来て欲しくて。


「おまじないか。そうかそうか」
 満足げに頷きながら一人納得する兄を前に、マッシュは苦虫を噛み潰したような顰めっ面で下唇を緩く噛む。睨んでみせても、首まで赤く染まったこの様子では迫力も何もないだろう。
 幼い頃の秘密がバレた恥ずかしさで、マッシュは悔し紛れに今宵の首元を飾るアスコットタイをくしゃりと潰して醜く曲げた。それを見て笑い声を抑え切れなかった兄は破顔し、マッシュの首に手を伸ばして嬉しそうにタイを整え始めた。
 兄の髪の香りがふんわりと鼻孔を擽った。

(2018.06.27)