萌えシチュエーション15題より
「9.いつもよりドキドキするキス」その1
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)


 産まれた時から肌を寄せ合って眠っていたものだから、頬へは勿論唇にだって、何度となく親愛を伝えるキスを交わしていた。
 柔らかい部分をチュッと触れ合わせるのは単純に気持ちが良く、恐らくは自分も兄も手を繋ぐのと同じ程度のこととしか思っていなかっただろう。その行為に特別感も、ましてや後ろめたさなんてあるはずがなかった。

 城の外れの倉庫は時折兄と二人で忍び込んでは宝物を隠しておく秘密基地となっていた。
 使い古された価値のない道具ばかりが押し込まれているとはいえ、軽く揺さぶるだけで外れる錠前では防犯の意味がない。子供でも簡単に入り込めるその部屋は、今思えば大人にだってお手軽な人目を忍ぶ絶好の場所だったのだ。
 その日も厨房からくすねたキャンディを口の中で転がしながら、兄と共に倉庫へとやって来た。城内をウロウロして家庭教師に見つからないよう、秘密の基地へと逃げ込んでしばらくやり過ごすつもりだった。
 不思議なことに、鍵はすでに外れていた。そこで引き返さず、兄と顔を見合わせながらもそうっと扉を開いて中へ入って行ったのは天啓だったのか。
 埃っぽい内部は、ドアの傍にある小さな小さな窓と歪んだ戸板の隙間から射し込む光でぼんやりと中の様子が分かるようになっていた。いつものように兄と並んで指定席になっている三段積まれた煉瓦の上に腰を下ろそうと向かった時、縦長の倉庫の奥からクスクスと忍び笑いが聞こえて来た。
 鍵が開いていたのは誰かが先に入り込んでいるためだということにその時初めて気づき、恐怖で兄の腕を掴んだ。咄嗟に思ったのは見つかったら怒られる、だった。
 しかし兄は冷静に立てた人差し指を唇に当て、目配せをしてから足音を忍ばせて前進を始めた。ついて行くしかなかった。一人で取り残されるのは怖くてたまらなかったから。
 木箱の影で足を止めた兄の肩に手を乗せ、その背後から小さく顔を覗かせた。絵画か何かの木枠がはみ出た積荷に被せられた布の上に、若い男女がぴたりと寄り添って腰を下ろしているのが見え、慌てて顔を引っ込めた。
 兄は動かずじいっと彼らを見張っていた。それで再び、恐々と兄に顔を並べて男女の様子を確かめた。
 騎士と女官だろうと服装で見当はついた。しかし二人ともその着衣は乱れ、女官など今にも胸が零れそうなほどシャツがはだけているのが見えて、思わず顔が熱くなる。
 男女は鼻先を擦り合わせ、男の腕は女の背に、女の腕は男の首に絡みついていた。クスクスと小さく笑い合い、おもむろに顔を寄せて口づけを交わす。まるで噛み付くように深く重なり合った唇を遠目に眺め、胸の奥が縮む錯覚を覚えた。
 角度を少しずつ変えて相手の唇を食む口づけは、チロチロと隙間から舌が覗いていた。互いの口内に舌を押し込めて生き物のように蠢かせるその光景は、直感で見てはいけないものだと悟った。それでも目が離せなかった。
 ひとしきり口づけを堪能した二人は、最後に大きく音を立ててチュッと唇を離し、乱れた衣服を整え始めた。髪を直した女官が艶かしく微笑む。騎士は女官を抱き抱えて高い位置から恭しく下ろし、男女は出口を目指して歩き始めた。
 兄は素早く身を屈めた。それに倣って急いでしゃがみ込んだ木箱の影、すぐ傍を足音が過ぎていく。蝶番が軋む音、扉の閉まる音。それらを遥かに上回る音量で耳には鼓動がうるさく鳴り響き、胸は激しく上下していた。
 大人が消えた埃っぽい倉庫の中、立ち上がった兄は腰に手を当ててふうっと大きく息をついた。
「ビックリしたな。先に人がいるなんて思わなかった」
「う、うん……」
 驚くほどあっけらかんとした兄の声に拍子抜けしつつ、よろよろと立ち上がる。足が僅かに震えているようで、うまく力が入らないのを気づかれないように踏ん張った。
「すごいキスしてたな。べろって」
 振り向いた兄がそう言いながらぺろりと舌を出してみせた。その薄明かりに霞む湿った桃色が再び胸を竦ませる。
「う、ん」
 先程から頷くのが精一杯だった。兄が平気な顔をしているのが不思議なくらいだった。
 物怖じしない兄はいつも新しいことに怯まず挑戦していく。この時も単純に初めて見たものに対する興味が飛び抜けたのだろう。
 兄は悪戯っぽく目を輝かせ、ぐいっと顔を寄せてきた。
「な、やってみるか」
「……えっ……」
 言葉に詰まった。あれはいけないものだと漠然と思っていたためだ。しかし目の前で瓜二つの顔をキラキラさせる兄を見ていると、自然と首は縦に傾いていた。
 兄がにこりと笑って肩に手を置いてくる。先程の男女を思い出し、おずおずと兄の背に手を回した。擽ったそうに兄が少し身動ぎした。
 軽く顔を傾けた兄が、目で合図をしてくる。慌てて反対側に頭を傾けた。満足そうに目を伏せた兄が薄く唇を開いて待つ。ごくりと喉が鳴った。
 キスなんて何度もしている。特別なことではなかった。手を繋ぐのと同じようなもの、そう思っていたのだ。その時までは。
 おずおずと近づけた唇が触れる寸前、怖くなって目を閉じた。ほんの少し開いた唇と唇がパズルのピースを噛み合わせたように重なる。その隙間に湿ったものが顔を出していることに怖気付きながらも、辿々しく舌を伸ばして先端で触れた。
 ゆるりとした舌先が互いを舐め合う。兄の舌は先程まで口内にあったチェリーキャンディの味がした。最初はぎこちなく、徐々に触れる面積が大きくなる。甘い舌の温かさに惹かれて思わず舌を押し込んだ。唇を重ねたまま兄が小さく笑った。
 ガンガンと頭の中で割れそうにうるさい音が鳴り響いていた。恐らくは心臓の叫びなのだろう。兄の背に回した腕は震えていた。それどころか脚もカタカタと揺れていた。なのに一度合わせた唇は離れることを嫌がって、喰らい尽くすように貪った。
 息苦しさに舌が解け、冷たい糸が引いたものをだらしなく口の間から覗かせながら目を開くと、同じように半開きの口に舌を乗せた兄がとろんと垂らした目でこちらを見ていた。
 背中がぞわりと粟立った。陶酔に揺れる瞳の濡れた艶は、これまで見たことがないほど兄を大人っぽく色っぽく飾っていた。
 その癖直後にへらっと笑った笑顔のあどけなさが、かえってこの胸を痛めたのだ。


 あの時足を踏み入れた場所は二人が辿る未来への入り口のようなものだったのだろうか。
 もしもあの日を選ばなければ、中に入らなければ、目の前で強請るように舌を差し出す兄の背中まで伸びた髪に手を差し入れる度、仮定の過去を振り返っては何も考えられなくなって、太く育った腕に今は自分より小さくなった身体を強く抱き締める。

(2018.06.30)