「ここでいいよ。見送りはいらない」 なるべく笑顔に不自然さがないよう、心を宥めてそう告げた。 声は上擦ってはいなかっただろう。表情と同じく落ち着いて伝えられたはずだ、とマッシュは目の前に立つエドガーの若干曇った眼差しを見つめながら微笑んでみせた。 エドガーは黙って深く頷く。その引き締まった唇には力が入っているのが見て取れて、張り詰めた兄の精神が空気を通してピリピリと肌に伝わって来た。 思えば酷な命令を出させてしまったものだ──自ら指揮を取ると進言しなければ、王たる兄はこの自分を勝算がないに等しい戦地へ放り込む道は選ばなかっただろう。志願した時の顔は忘れられない。 しかし最後の砦が破られてしまえばフィガロに未来はない。落ち延びるにも時間が必要であり、鍛え上げた技は他の誰より足留めの役に立つと自負している。 兄だけは生き延びなくてはならない。兄さえいれば国はまた息を吹き返す── 無言の見つめ合いはマッシュが目を伏せたことで終わりを告げ、迫る時間を気にしてエドガーに背を向けた。 迷いのない足取りで真っ直ぐドアへと向かい、ノブを握ってほんの二秒、立ち止まったのちマッシュは部屋を出た。 しっかりと閉めた扉を背に、しばらく動かずにいたマッシュは目線を下げて靴の先を見つめ、独り言にしてははっきりとした声で呟いた。 「愛してるよ。誰よりも」 胸の奥底に隠し続けた言葉を初めて口にして、すっきりと満足したマッシュがいざ歩き出そうと足を上げかけた時。 「……直接聞くまで返事はしない」 ドアの向こうから紛れも無い想い人の声が響いて来て、ギクリとマッシュの肩が竦む。 思わず振り返ったドアは開いてはいない。しかし声の近さから、扉一枚隔てたすぐ向こう側にエドガーが立っているだろうことは容易に想像できた。 「必ず戻れ。……そして、俺の目を見て今の言葉をもう一度言うと誓え。さもなくば」 僅かに語尾が震えて聴こえるのは壁に遮られて声が篭っているためだろうか。マッシュは握り込んだ拳の中で短く切り揃えた爪が肉に食い込む痛みをじっと堪えていた。 「俺も武器を取る」 エドガーの宣告はマッシュに天を仰がせた。苦渋に歪めた眉の下で、祈るように瞼を下ろしたマッシュは、握り締めた拳を胸に当てて細く長い息を吐く。 「フィガロの名に誓って。……必ず戻る」 開いた瞳から惑いは消え、決意が漲っていた。 砂漠を統べる偉大な王への言葉に嘘偽りがあって許されるはずがない。 誓った以上は守らねばならない──硬く握り締めた右の拳をもう片方の手のひらに打ち付け、闘志に燃える瞳を爛々と光らせて、マッシュはほとんど失われていた勝利をもぎ取るために歩き出した。 |