萌えシチュエーション15題より
「10.ドア越しの会話」その2
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)


 丁度眠りが浅い時だったのが悪かった。
 夢うつつで顔の周りに気配を感じ、まだ微睡みに身体半分浸かっている状態で目を開いた。寝ぼけながらも薄眼などではなくしっかり瞼を開けてしまった。
 ほとんど鼻先が触れ合いそうなほど目の前にある兄の顔に驚いて、その目は更に大きく丸くなった。兄もまたこちらが目を覚ますと思っていなかったのか、同じく綺麗な青い目を真ん丸にして、それから火がついたように顔全体を真っ赤に染めた。
 それが三十分くらい前の出来事。

 で、今。
 開かずの扉となった部屋備え付けのバスルーム兼手洗い場へのドアの前で、中に閉じこもる兄を呼びながらもうずっと途方に暮れている。
 どうやら兄がこっそりキスしようとしていたところで目を覚ましてしまったらしい。こちらとしてはそんなつもりはなかったのだが、不意打ちに弱い兄は自分が居た堪れないほど恥ずかしくなってしまったようで、ぴょんと蛙みたいに飛び退いてから一目散にバスルームに駆け込んで扉に鍵を閉めてしまった。
 それからずっとノックをしつつ呼びかけているのだが、一向に扉が開く気配はない。だんまりを決め込む兄をどうしたものか、昼寝から目覚めてそろそろ用を足したい欲求もあって焦りが募り始めた。
「なあ兄貴、出て来てくれよ……。俺、ちょっとビックリしただけで何とも思ってないよ」
 いや、何とも思っていないは語弊がある。寝ている間にキスしてくれるなんて、何とも思わないどころか嬉しさで顔が緩んでしまうではないか。
 こちらとしては大歓迎なのだから恥ずかしがらなくていいと伝えたいが、プライドの高い兄は密かにしでかそうとしていたことが見つかったという事実が耐えられないのだろう。
 昔からそうだ。兄は仕掛けた悪戯が事前にバレたり不発に終わったりするととことん不機嫌になる子供だった。眠っている間の内緒のキスなんて可愛らしいじゃないかと目尻が下がるが、そんなことを告げようものならますます意固地に磨きがかかってしまうではないか。
 とにかく早く兄をここから引っ張りださなくては。いよいよ膀胱も限界が見えて来た。部屋を出て外の手洗いを使いに行けば、その隙に兄は何処かへ逃げ出すだろう。そうしたらもっとこじれる。兄の気が収まるまで一週間は逃げられ続けるに違いない。それは避けたい事態だ。
「兄貴、頼むよ。顔出してくれよお」
 返事はない。マッシュは眉を垂らして下唇を噛む。
 ──クソ、何だってあの時ぱっちり目を開いちまったんだ。せめて薄眼、いや半目くらいでも兄貴は気付かずキスしてくれたかもしれないのに、勿体無い。
 大体眠ってるくらいで兄貴の気配を嗅ぎ分けられないなんて弛んでる。一体何のための修行だ! 兄貴にキスしてもらうためだろう! ……いやちょっと違うか……でもそのくらい兄貴からのキスは貴重で重要だったのに。
 大体兄貴もキスくらい恥ずかしがらなくていいのに。実は俺だってしょっちゅう寝てる兄貴にチュッてしてる。寝顔が可愛すぎるから仕方ない。特にエッチの後は疲れてるせいかグッスリで、あんなことやこんなことしても起きないからつい悪戯しちゃったりして……
「ほう、例えばどんなことだ」
「背中とか太ももの裏とか見えないところに痕つけてみたり、胸ちょこっといじったり……って、えっ」
 閉じたままのドアから禍々しいオーラが放たれている。しまった、いつの間にか心の声が口に出ていたらしい──何処から漏れていた、と青くなるが時既に遅し。

 開かずの扉が開くまでそれから優に二時間はかかり、マッシュは今後は膀胱も鍛えることを決意した。

(2018.07.06)