萌えシチュエーション15題より
「11.優しく頭を撫でられて」その1
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)


 汗で変色したタンクトップを豪快に脱いで、肩が大きく上下するほど息を吐き出し、軽く目線を下向きに落として強調されたうなじを何とはなしに眺めていたエドガーの目に、ふと過去の景色と現実の光景が重なる一瞬が映った。
 深呼吸した時に膨らんで見えた背中がそう錯覚させたのだろうか、気づけば自然と言葉が口をついて出てきていた。
「お前、親父に似てきたな」
 振り向いたマッシュは不意に話しかけられた言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったのか、不思議そうに二、三度瞬きをしてから照れ臭そうに口元を緩める。
「そうかな」
 目尻を下げて口角を上げる様子は記憶の中の父とは雰囲気が違うのだが、顔や普段の仕草というより佇まいが似ている気がする。
 そういえば父も長身だったな、と記憶の中の映像をぼんやり思い起こしたエドガーは、軽く顎を突き出してうんうんと頷いてみせた。
「ああ。後ろ姿なんかそっくりだ」
「後ろ姿か」
 ハハッと吹き出したマッシュは、今度は軽く眉を上げてエドガーに横目を向け、にんまりと笑う。
「兄貴の方が親父に似てるよ。今の頷き方とか、喋り方とか」
「喋り方? 俺が?」
「そう、その短く語尾上げるのとか。兄貴、どんどん親父っぽくなるなあってずっと思ってた」
「そうか?」
 顎に手を添え青い目をきょろりと上向きに考えた途端、マッシュが今度は歯を見せて笑った。
「それ! その仕草、そっくりだ」
 肩を震わせるマッシュを前に、気恥ずかしくなったエドガーは小さく唇を尖らせる。マッシュが言うほど似ているだろうか、自分では意識したことがない──前髪をくしゃりと握り潰してから掻き上げようとして、もしやこれも似ているのだろうかと肩を竦めた。
 まあ、似ているのは当たり前だ。親子なのだから。心の中で呟いて、エドガーはささやかに溜息をつく。
 父との別れから十年以上の時が流れたが、一国の王としては珍しく子供との時間を大切にする父親だった。子煩悩な父が可能な限りの時間を共有してくれたからこそ、この身にちょっとした仕草が親しみを持って染み付いているのだろうと、昔を懐かしんでエドガーは微笑む。
「……そっくり、か。俺も年を取ったと言うことだな。もうすぐ親父が俺たちの父親となった年齢に追いつく」
 マッシュも感慨深げに目を細め、唇を閉じて控えめに笑った。
「もうそんなになるんだなあ……。なんか、まだどっか気持ちがガキだった頃の自分で止まってるような気もするよ」
 そう呟くように告げてから、緩く弧を描いた瞳を軽く伏せたマッシュに対し、エドガーもまたよく似た眼差しで過去に思いを馳せた。
 父との永劫の別れとなったあの夜、哀しさも悔しさも全て表に曝け出して泣きじゃくった小さな弟は、こんなにも大きく逞しく成長した。
 おもむろに持ち上げた手のひらを、エドガーはマッシュの頭にそっと乗せた。
 マッシュが驚いて顎を上げたのと同時に金の髪を慈しむように撫で、意識的かそれとも無意識だったのか、気づけば聞き覚えのある父の台詞を記憶と同じ口調で口にしていた。
「励めよ、マシアス」
 マッシュの目が見開かれる。
 瞼に押し上げられた眉が数秒硬直し、やがて微かな震えを伴って眉尻は垂れ眉間は狭められた。
 エドガーはハッとし、マッシュの頭から離した手を緩く握り締める。
「……マッシュ」
 悪ふざけのつもりはなかったのだが、思いの外似ていたのかもしれない──先程まで笑みを浮かべていたマッシュの唇が薄く開かれ細かく震えているのを見て、エドガーは躊躇いながらも声をかける。
 マッシュはエドガーを見上げる目を地上に下ろし、項垂れるように顎を引いた。
 エドガーの目からはマッシュの鼻先しか映らなくなったそのままの格好で、マッシュがポツリと小声で零す。
「……俺、結局最後まで親父にいいとこ見せらんないで終わっちまった……。親父、心残りだったろうな……」
 押し殺したマッシュの声が、あの精神が焼け切れそうな幾日間をエドガーに呼び覚まさせた。
 張り詰めた空気に乗る、欲と打算が入り乱れた人々の囁き声。感傷に浸る間も無く新しい時代に放り出され、負うべき背中を無くした喪失感。
 あの日唇を噛み締めて涙を流すだけだった少年は、拳に確かな力を従えて世界を救ったのだ。
「お前はフィガロの誇りだ」
 伸ばした腕を、今度はマッシュの肩に置いて強く引き寄せた。胸にマッシュのこめかみがぶつかる痛みも構わず、強い力でその大きな身体を抱いた。
 父ならば今のマッシュの頭を撫でたりしないだろう。腕の中で声を詰まらせるマッシュを、エドガーは自分に彼の人の面影があることを願いながら抱き留めていた。

(2018.07.31)