夕飯の買い出しに向かった店の入り口そば、不意にしゃがみ込んだティナに気づいてマッシュが足を止める。
「どうした?」
 小さく丸まった少女の背中の上からひょいと覗き込むと、ティナの目線の先で小さな青い花が二輪、微かな風に揺れていた。
「可愛いお花」
「ホントだ、見かけない花だな」
 午前中にさらりと降った雨粒を花弁に乗せて、恥じらうように風に震える花を見つめるティナの横顔をやや心配そうに眺めていたマッシュだったが、にこりと口元を緩めたティナが手ぶらで立ち上がったのを見てホッと息をついた。
「摘むのかと思った」
 思わずマッシュが呟いた言葉に振り向いたティナは、ほんの少し照れ臭そうな笑みを浮かべる。
「見つけた時は欲しくなってしまったけど、可哀想だと思ってやめたの。仲良く咲いているんだもの」
 素直なティナの優しい答えにマッシュは頷き、では頼まれたものを購入しようかと店内に入ったのは良いが、意外にも未練がましく小さな花を振り返ったのはマッシュの方だった。
 兄の瞳と同じ色の可愛らしい青い花。ティナがいなければ、ささやかな手土産として自分がうっかり摘み取ってしまったかもしれない。
 そうしなくて良かったと思う反面、一度見てしまうと花の存在が頭から離れなくなった。飛空艇で帰りを待つ兄が、美しい花を手にする姿をどうしても現実にしたくなった。
 買い出しの終わりにマッシュはティナに断り、閉店間際の花屋に立ち寄ることにした。
 ぱっと店内を見渡して、兄に似合うと直感で選んだ名前も知らない青の花を二輪購入し、満足げに帰路につくマッシュの隣でティナが大人びた微笑みを見せる。
「エドガーにあげるのね」
 図星の指摘に顔を赤らめたマッシュに対し、ティナの笑顔は暖かかった。
「よく分かったな」
「分かるわ。マッシュ、エドガーの話をするといつも凄く優しい顔になるもの。お花を選んでいる時、同じ顔をしてた」
 邪気のないにこやかな眼差しでそんなことを言われて見上げられると、照れ臭さも誤魔化せずに苦笑いを返すしかない。そうかなあ、と嘯いて、手にした花を大切に胸に寄せた。
 兄のことを仲間に話すのは好きだった。
 誇り高く思慮深い、機知に富んだ偉大なフィガロの王。愛する兄の自慢話をする時に、表情が緩んでいる自覚はなくもない。
 それを「優しい顔」と称されると、えもいわれぬ気恥ずかしさが込み上げる。一体自分は日頃どんな顔で兄の話をしているのか、ティナの言う優しい顔とはどれだけ締まりのない表情なのかと面映くなり、背中を丸めて歩いた。
 帰艇を果たし、部屋にて暖かく迎えてくれた兄を前にしてもそのむず痒い居た堪れなさは続いたが、折角選んだのだからと少々ぶっきら棒にマッシュは花を兄へと差し出す。
 驚いて花と同じ色の目を丸くした兄は、へえ、と感嘆の声を漏らして柔らかく微笑んだ。
「お前にしては洒落てるじゃないか。小道具で口説きに来たとは」
 揶揄い口調でありながら、言葉の端々に滲み出る嬉しさが伝わってくる。弾んだ声に合わせて下がった目尻に上がる口角、相反する角度が生み出す兄の笑顔は実に穏やかで多幸感に溢れている。
 なんて優しい笑顔なんだろう。マッシュが思わず頭の中でそう呟いた時、目の前の兄がふとマッシュに目線を合わせた。
 吸い込まれるように覗いた花より澄んだ青い瞳の中、兄にそっくりな表情の男がこちらを向いて映っている。
 これは自分だとマッシュが気付いた瞬間、ティナの言葉の意味が分かって改めて破顔した。
 ──成程、この顔か。
 見つめ合って微笑みを交わし、花に顔を寄せるエドガーのためにマッシュは花瓶を探しに踵を鳴らす。
 兄の話をする度に、毎度あの顔をしていてはティナの印象に残るのも無理はない。抑え切れない幸せがそのまま表情に表れている、マッシュが一番大好きな兄の顔と同じなのだから。
 あの優しい顔が見たいから、兄のために何でもしたくなるのだ──美しく青い花弁に口づける兄を想像し、マッシュは目を細めて足を急がせた。

(2018.09.18)