野営を経ての早朝からの連戦で、街に辿り着いた頃には仲間たちのほとんどが長めの休息を要求するほど疲弊していた。
 遅めの昼食にありついてからそのまま街の宿で一泊することを決め、くたびれたと部屋で昼寝する者、買い物に繰り出す者、夕食までめいめいが好きなように時間を使うこととなった。
 食休みを経たマッシュは、程よい広さの宿の中庭で手持ち無沙汰に身体を動かしていた。
 元気が有り余っているマッシュには特にやりたいこともなし、まだ陽が高く酒場も当然開いておらず、トレーニングくらいでしか時間を潰すことができない。
 ロックもセッツァーも寝ると言って部屋にこもってしまった。愛する兄もまた、溜まった仕事を片付けると言ってドアの向こうに消えてしまったし──
 両手を地についての倒立を何度か繰り返し、汗がぽたぽたと土にシミを作る頃、逆さになった後頭部の方向からにゃあんと微かな鳴き声が聞こえて来た。
 腕をバネのように曲げてから反動をつけてひょいっと飛び上がり、弧を描いて地に足を下ろしたマッシュの視界の先、植え込みの影に砂漠色の猫が二匹。
 その愛らしい姿に思わず顔を綻ばせ、大きな身体を極限まで小さな生き物に近づけようとしゃがみ込んだ。
 おいで、と手のひらを上に向けて指で誘い、チッチッと舌を鳴らすが猫たちはチラリと青い目を寄越すのみで近づこうとはしない。
 餌になるようなものも持っておらず、仲良くなるのは無理そうかと苦笑して立ち上がろうとしたマッシュの背後から、今度は聞き慣れた声が呼びかけて来た。
「何をしてるんだ?」
 優しくも張りがある声の持ち主が誰なのかすぐに理解し、振り向いたマッシュの表情は自然と笑顔になっていた。
「兄貴。仕事は? 終わったのか?」
 中庭に現れたエドガーは戯けたように肩を竦めてマッシュの傍まで歩いて来た。
「半分ほどね。急ぎのものは済ませているし、頭が痛くなって来たから息抜きしようと思ってな……、ああ、猫がいるのか」
 隣まで来たエドガーもまた、マッシュに倣ってしゃがみ込む。同じ高さになった兄を愛おしげに横目で眺めたマッシュは、再び視線を猫たちに戻した。
「宿の猫かな」
「さあ、どうだろう。野良にしては毛並みが悪くないからどこかの飼い猫ではあるかもな」
「どっちも綺麗な猫だけど、左にいる方は特に毛艶がいいなあ」
「右の猫は一回り大きいな。親子だろうか」
「でも、デカイ方が小さい方に甘えてるように見えるぜ」
 マッシュの言う通り、向かって右の大きめの猫は左にいる艶やかな毛の猫の首元に頭を擦り寄せている。左の猫は細く落ち着いた目で、余裕を持ってそれを受け止めているように見えた。
「姉弟だろうか? 雄と雌で体格差があるのかも」
「あ、いや、どっちも雄みたいだ。毛色はそっくりだから、兄弟かなあ」
 二匹が並んでぺたりと座り込んだ時、足の間から見えたものでマッシュが性別を確認する。それからエドガーを振り向き、はにかんだ笑みを浮かべた。
「なんか俺と兄貴みたいだな」
 マッシュの言葉にエドガーも品良く笑い返す。
「確かにな。あの大きな猫は逞しい身体つきだが、お前のように優しい顔をしている」
「あっちの猫だって、毛並みだけじゃなくって仕草に品があるよ。頭良さそうな顔してるし、兄貴そっくりだ」
 二人は顔を見合わせてフフッと肩を揺らし、ごろごろと仲睦まじく身を寄せ合う猫たちを微笑ましく眺めた。
「お前に似た猫、凭れていると見せてさりげなく背中を守っているようだぞ。お前と同じく頼もしい猫じゃないか」
「兄貴みたいな猫だって、リラックスしてるようにみせかけてさっきからこっちの会話聞いてるぜ。耳がピクピク動いてる。兄貴と一緒で注意深くてしっかりした猫だ」
「それを言うならお前だって、たとえぐっすり眠っていても不穏な気配を感じたら即臨戦態勢を取るだろう? 修行の賜物だろうな、お前の強さが誇らしいよ」
「兄貴こそ、毎日遅くまで難しいことたくさん考えてるのにいつも涼しい顔しててさ……、本当は忙しいのに、余裕を見せてくれるから城のみんなも安心して暮らせてるんだ。俺の自慢の兄貴だよ」
 照れ笑いを交わしながら、お前こそ、兄貴こそと猫そっちのけで互いを褒めそやす二人をよそに、二匹はごろごろと低く喉を鳴らしながらぴったりと身体をくっつけていた。
 ふと、大きな猫が頭を持ち上げ、それまで擦り寄っているだけだった身を起こし、おもむろに小さな猫の背に伸し掛かった。
 うう、と低く唸るような何処となく甘ったれた声を漏らした大きな猫は、背中を丸めて小さな猫の臀部にぴたりと腰を重ね、そのまま首にがぶりと噛み付いた。
 驚いて目を瞠る二人の前で、大きな猫はカクカクと腰を揺らし始める。下になった小さな猫は抵抗するでもなく、大人しく俯せの格好でされるがままになっていたが、覆い被さっている猫の腰の動きが激しくなると甲高くか細い声で鳴き出した。
 ぐるぐる、なーん、日頃耳に馴染んだ猫の鳴き声とは少々異なる奇妙な甘ったるい声が響く中、重なって腰を揺らす二匹の猫の前で二人の兄弟はしばし硬直していた。
 そしてソロソロと横目で互いの表情を確認する。気まずげに歪んだ口元、頬は薄っすら朱に染まり、困ったように下がり気味の眉は相手にとっては煽情的にすら見えた。
 最初の一言をなかなか切り出せず、口ごもりつつ目線を彷徨わせるおかしな挙動を繰り返した後、先にエドガーが小さな咳払いを、次いでマッシュがわざとらしく背伸びをして立ち上がる。
 もう一度視線を交わらせて、その含みのある瞳の揺らぎを互いに感じ取り、誰が聞いている訳でもないのに二人はわざとらしい会話を始めた。
「……そろそろ、中に入るか。陽射しが暑くなってきた」
「う、ん。……兄貴、仕事の続きは?」
「今日は、もういい、かな、うん。残りは、ゆっくり、……明日以降にでも」
「そ、そっか。じゃあ……、部屋、戻ろうか……」
「……、そう、だな……」
 最後にもう一度だけチラリと目線を合わせ、ぎこちなく並んで中庭を立ち去る二人の背後から、悩ましい猫の唸り声が聴こえて来る。
 偶然ぶつかったフリをして手の甲同士を擦り合わせて、涼しい顔を装って、どうせ夕食まで自由時間なのだから二人で部屋にこもっても誰も気に留めやしないだろうと、不自然に足を急がせて。
 部屋に先に入ったマッシュはまだ陽が高い時間だと言うのにカーテンを閉め、後から入ったエドガーはしっかりとドアに鍵をかけた。
 後は向かい合うだけで、それぞれ欲しているものの再確認が完了する。


 エドガーがうなじを噛まれるのが弱いということを、二人はその日初めて発見した。

(2018.09.24)