これまで何度か経験しているものの、やはり最初に背筋がピリッとするような緊張感を感じるのは変わらない。
「いくぞ。顔に力入れるなよ」
 何処か楽しげな兄の声が、横たわって天を向いた顔の上から聴こえてくる。そう言われると更に余計な力が入る──皺が寄ったマッシュの眉間をとんとんと指先で叩いたエドガーのその指が、数日放ったらかして芝生のようになったマッシュの顎をざらりと撫でた。
 最早兄の趣味のようになってしまった、マッシュの髭剃り。何日か放置して、そろそろ剃らねばと思っている頃に企み顔でやって来るエドガーは、嬉々としてマッシュの顎の上で毎度ナイフを滑らせるのだった。
 人に刃物を当てられるのだから、身体は無条件に緊張する。誰より信頼している兄が相手であってもそれは仕方がない。
 おまけに悪戯好きの兄は、目を閉じている間に何かしらおふざけを仕込むことが多い。この前はやけに時間をかけた上なかなか鏡を見せてくれないと思ったら、顎にハート型の髭を剃り残されていた。
 さて今日は何をされるのやら、と溜息をひとつついてから目を閉じる。ひんやりした刃先が頬に触れると小さく身体が構えるが、絶妙な角度で伸び放題だった髭を剃り落とされるのは案外気持ちが良い。
 心地良さに少しずつ手足の力を抜きつつ、念のための警戒心も忘れずに。とは言え、だんだんとその警戒心も髭と一緒に削がれていく。
 顎に外気が触れるようになり、大方剃り終えたことを理解する。──はて、今日は特に悪戯はなしだろうか、それとも気付かぬうちに何かしでかされたか──薄目を開けようかと瞼を震わせた瞬間、何か柔らかいものにむちゅっと唇を塞がれた。
 覚えのある感触に音を立てる勢いで目を見開くと、エドガーが素知らぬふりで後片付けをしている姿が映る。
 マッシュはつるつるになった顎ごと唇を押さえて、赤らめた顔でエドガーに横目を向けた。
「……今、なんかした……?」
「別に、何も」
 しれっと答えるエドガーの耳が赤く染まっているのを確認したマッシュは、いつもこんな悪戯なら大歓迎なんだけど、と口の中で呟いた。

(2018.10.11)