高らかに響く靴音と、それに呼応するような弾んだ笑い声が、石造りの廊下を通り過ぎて行く。 「まあ、ブツブツと文句を言っていたが、いい加減あいつも覚悟を決めただろうさ。元々見てくれは悪くないんだ、何たって私の弟なんだから」 戯けた口調で後方を歩く神官長フランセスカにウィンクをしたのは、この城の主人であるエドガー。 前に進むたびにふんわりと後ろに広がるマントは、日頃身につけているものよりビロードの輝きが際立つ特別なものだと傍目にもすぐ分かり、着こなすエドガーの弾んだ声に合わせて金のフリンジが楽しげに揺れている。 襟を飾るブローチも、耳朶の下で踊るピアスも、その品の良い煌めきは今日の装いが普段とは違うものであることを示していた。 「あの子は着飾るのが苦手ですから」 エドガーに比べて控えめな靴音のフランセスカが微苦笑を浮かべてそう返すと、エドガーはわざとらしく大きな溜息をつく。 「いくら身内のような貴族ばかり集まるとはいえ、主催側としての自覚を持ってもらわんと困る。美しいレディたちもわんさか来るんだ、ボサボサ髪に拳法着じゃあんまりだろう」 「そこがあの子の良いところでもあるんですけどね」 エドガーはフランセスカの言葉を否定も肯定もせず、やや目線を落として今度は小さな息を吐いた。 「厄介な面々にあいつが穴だと思われるのは癪だからな」 フランセスカにも聞こえないような小声でボソリと呟いたエドガーは、自然な動作でスッと顎を上げ、前方に見えるドアを見据えていつもの不敵な笑みを口元に湛えた。 「さあ、我が弟の変身ぶりを拝見するか」 開いたドアの向こう側、窓から射す光を受けて影となった背中のシルエットには見慣れないマントが装着されていた。 今宵のパーティーに合わせてエドガーと揃いで新調した王族の正装。 カラーと小物に多少の差異はあるが、並んで立てば兄と対になっているデザインだと一目で分かるその衣装を身につけたマッシュが、ドアの開く音に引かれて振り向いた。 予定していた何パターンかの言葉のどれかをかけようと口を開いたエドガーが、その唇を開き切る前に動きを止めて目を一回り大きく広げる。 「まあまあ! よくお似合いだこと!」 代わりに声を発したのはエドガーの後ろにいたフランセスカだった。 胸で手を組んだフランセスカが遠慮なくマッシュに近寄って行くのに対し、エドガーはその場から動こうとはしなかった。 「見違えましたよ。貫禄があるわ」 「そうかな……、なんか首が苦しいんだ」 襟元に触れながら、困ったように眉を下げて笑うマッシュの着替えを手伝っていたらしい女官が、腰に手を当てて苦笑いする。 「サイズはぴったりなんですよ。着慣れないお召し物のせいでそう思われるのかと」 「首がこんなに詰まった服着ることほとんどないからなあ。兄貴はよく毎日こんな服着てるよ。なあ、兄貴……、……兄貴? どうかした?」 戸口でぼんやりと立ち尽くしていたエドガーは、マッシュの呼びかけでハッと肩を揺らしたものの、何かを言おうと唇を微かに動かしたきり、結局何も言わずに口を噤んだ。 その、ほんの僅か下がった眉尻に気づいたマッシュが不思議そうに瞬きをする。 ふと、フランセスカが棚の置き時計に目を向けてもうこんな時間、と呟いた。 「衣装は問題なさそうですわね。そろそろ広間の準備に戻らなくては。貴女、お手伝い頼めるかしら」 「はい、神官長さま」 女官はマッシュに恭しく頭を下げてフランセスカに続き、相変わらずドアの前で突っ立ったままのエドガーにもお辞儀をして、するりとドアの向こうへ消えて行った。 ドアが閉まる控え目な音が響いた後、二人だけになった衣装部屋には沈黙が広がる。 「……兄貴?」 軽く笑いながら、マッシュが遠慮がちにエドガーの元へ歩いてきた。エドガーはチラリとマッシュに視線を向けるものの、返事をするでもなくそのまま目を泳がせる。 「やっぱ、変かな?」 空気が暗くならないようにか、マッシュは戯けた口調でエドガーに尋ねた。エドガーはもう一度躊躇いながらマッシュを見て、ようやく小さな声で「……いや、」とだけ零す。 それが聞こえていたのかいないのか、マッシュは明るく笑って肩を竦めた。 「格調高いパーティーなんて、すっかりガラじゃないもんな。顔だけ出したら早々に退散するよ、兄貴に恥かかせる訳にいかないし」 「……変、じゃない……」 「ん?」 ごく小さな声で独り言のように口を開いたエドガーへ、マッシュは優しく小首を傾げた。 そしてマッシュは、兄の頬が薄っすら赤く染まっていることに気づいてキョトンと目を丸くする。 「変じゃない……、寧ろ……、……」 言いにくそうに口籠るエドガーは、青い目をうろうろ左右に彷徨わせて滑りの悪い口を手で覆う。 明らかに様子のおかしいエドガーの傍へ更に一歩近づいたマッシュは、俯きがちの兄の顔を覗き込むように腰を屈めた。 その気配に気づいて微かに顎を上げたエドガーが、至近距離にあるマッシュの顔を見てぱっと耳まで真っ赤になる。あからさまに変化したエドガーの顔色を見て、マッシュは驚きに目を見開いた。 「あ……、その、あー……」 珍しく言葉に迷っているらしいエドガーを焦らせないよう、戸惑いながらもマッシュは相槌のつもりで頷く。 「よ、よく、……似合ってる……」 ようやくエドガーの口から出てきた褒め言葉だが、いつものような軽口ではなく顔を朱に染めてもじもじしながら言うものだから、マッシュも照れ臭さで身体が暑くなり始めた。 「似合ってる、から……、その、……パーティーには、妙齢の女性も、多い訳だし……」 「う、うん」 「……あまり、この姿のお前を、……出したく、ない」 「えっ? レディがたくさんいるから正装しろって言ったの兄貴だろ?」 思わず少し大きめの声で尋ねてしまったマッシュに対し、エドガーは見える肌全てを火がついたように赤くして顔を顰め、唇の端を噛んだ。 「……お前がいい男なのが、バレる……」 消え入りそうなか細い声でそう告げたエドガーは、そのまま茹で上がった顔を隠すように大きく広げた手で目まで覆ってしまった。 マッシュはマッシュで、兄の口から出たいじらしい言葉にすっかり全身汗を掻いて、苦しいと訴えていた襟元に指を入れて僅かな空気の通り道を確保した。更に整えられていた髪のことを忘れてしまったのか、その場凌ぎで後頭部をばりばりと掻く。 「……やっぱ、いつもの服にすっかな」 「えっ」 咄嗟にエドガーが指の隙間からマッシュを見た。名残惜しそうな、致し方ないような複雑な表情を長い指の間から認めたマッシュは、はにかんだ笑みを浮かべてそっとエドガーに手を伸ばす。 エドガーが抵抗するより早く、マッシュはエドガーの顔を隠していた手首を優しく掴んで即席の仮面を外させた。 「俺も、兄貴のこの顔あんまり人に見せたくないからさ」 そう言って取り上げたエドガーの指に、マッシュは小さなキスを落とす。 隠しようがなくなった赤い顔を強張らせて絶句したエドガーは、恐らくは目の前の男を睨みつけようと顎を引いたが、力が入らないのかただ眉が下がって唇が戦慄くのみだった。 「……お前、その格好でそれは、……狡いぞ……」 「お互い様だよ」 精一杯の文句をつけたエドガーの腰を抱いたマッシュは、いつもよりしおらしい兄を抱き寄せて、熱のこもった身体を宥めるために再び襟の隙間に風を通した。 |