「やはりお前とは賭けをするもんじゃないな」 溜息まじりにキングの駒を指で弾いて転がしたエドガーは、対面でチェックメイトを告げたマッシュの微笑を忌々しげに睨みつけた。 そのまま腕を組み、敗者らしからぬ尊大な身振りで椅子の背凭れに背中を預けて、エドガーは言え、と短く吐き捨てる。 「約束だからな。何でも聞いてやる。……ひとつだけだぞ」 戯れに賭けを持ちかけたのは兄の方だと言うのに──むすっと唇を結び、勝利した相手にまるで施しでも与えてやるような不遜な態度に苦笑して、マッシュは目線を上向きに考えるフリをした。 不思議と昔から勝負事には強い。たとえそれまでエドガーが調子に乗るほど連敗を続けていたとしても、いざ本気で勝負となると決まって運がマッシュに味方をする。 だからこの夜も勝つ自信はあったのだ。 そして、何を望むかも初めから頭にあった。 * 『じっとしていろよ』 頬に添えられた刃物のゾッとするような冷たさに反し、同じく肌に触れる指先は熱い。 毛を削ぐ小さな音の合間に聞こえてくる息遣い。神経を研ぎ澄ましているためだろう、ナイフが動いている間は完全に止まっている鼻息が、皮膚を押さえる指の力が抜けた途端に荒くなる。 以前は無精髭に苦言を呈していた兄が、近頃はこの顔の下半分を覆う程に芝生が育つのを待つようになっていた。 頬から鼻の下、顎全体まで覆う温かな泡が鋭いナイフによって少しずつ取り除かれて行く。湿った肌が徐々に空気に晒されていくと、背筋がぶるりと震えるような寒気にも似た心地良さを感じた。 『動いちゃダメだ……もう少し……』 ゆっくりと薄眼を開けると、真剣な眼差しでナイフを手にする兄の顔が睫毛の隙間から見える。 キリリと目元は引き締まっているが、薄っすら上がった口角が表す唇は実に御機嫌に緩んでいて、短めの浅い呼吸からも兄が気分を昂ぶらせていることが見て取れた。 羨ましいという気持ちが漠然と浮かんできた。 恍惚すら感じる表情で、使いようによっては相手の命を取ることもできる刃物を手に、この身の一部を遠慮なしに削いで行く兄の所業を、こうして何度羨望の眼差しで忍び見たか。 『いいぞ……、男前になった』 すっかり兄のお楽しみのひとつとなってしまったこの儀式を、じっと受け入れるだけでは物足りないと感じ始めたのはいつ頃だったか。 * 「……悪い冗談だ」 まるで自分自身に言い聞かせるように小声で吐き捨てたエドガーは、傍目にも明らかに強張らせた身体をぎこちなくベッドに横たえていた。 マッシュが準備をしている間、そわそわと落ち着かなく首を左右に振る様が普段の兄らしくなく、自然とマッシュの口元が緩む。 サイドテーブルに一通りの道具を揃えたマッシュは、さてと両手を重ねてエドガーに向き直った。悠然と微笑むマッシュを一度は下から睨みつけたエドガーだったが、すぐに若干の弱気を伴う眼差しに変わって上目遣いにマッシュを覗き見る。 「……なあ、本気か?」 「本気だよ?」 マッシュが当然とばかりに即答すると、エドガーは深く長い溜息をついて眉間を狭めた。まだ躊躇いをたっぷりと含んだその表情を満足げに眺めたマッシュは、笑みを浮かべたまま低く釘をさす。 「何でも聞くんだろ?」 「……分かっている」 苦々しく答えたエドガーにマッシュは二度大きく頷いて、その大きな手をエドガーの下衣へと伸ばした。 途端、ビクッと肩を揺らしたエドガーが抵抗するように膝を立てる。 「あ、明かりは」 「消すはずないだろ。暗いと危ない」 「そ、う、だな……」 「やっぱり恥ずかしいからやめてくださいって、頼む?」 エドガーが下唇を噛む。 小さく首を横に振った仕草を見届けて、マッシュは今度は迷う隙を与えないように下衣を下着ごと一気にずり下ろした。 顔をマッシュから大きく背けるエドガーを横目で一瞥し、マッシュは露わになった兄の下半身にゆっくりと目を向けた。 縦長の臍からやや下方、柔らかそうな金色の陰毛がちょろちょろと生え始めた辺りを無言で見つめたマッシュは、おもむろにその生え際を人差し指でそっと撫でた。 エドガーの腰がビクッと震える。低く笑ったマッシュは、よく兄が発する言葉を口にした。 「じっとしていろよ」 ──以前から不公平だとは思っていたのだ。 マッシュの髭を剃るエドガーが実に楽しげに、時に恍惚の表情すら浮かべていることがマッシュの好奇心を擽った。 単純にエドガーの髭を剃らせてもらうことも考えた。しかしエドガーは立場上マッシュのような無精髭を生やす訳にはいかず、マッシュとしてもそもそも体毛の薄いエドガーの産毛のような生えかけの髭を剃る程度では面白味がない。 ここ≠ネらば申し分ない── エドガーはマッシュから顔を逸らしたまま、頬の形から奥歯を噛み締めているのが分かる。 マッシュは用意した湯に浸したタオルを摘み上げ、熱いのを我慢しつつ水気を絞った。濡れた指先で再びエドガーの下腹部に触れると、無駄な肉のない腹がピクピクと上下する。 更にその下──晒されたエドガーのものはこれからされることへの緊張をそのまま表しているようで、マッシュが知るそれよりも若干縮んで見えた。 目を細めたマッシュは、そこには触れないように熱く蒸されたタオルをそっと陰毛の上に被せる。エドガーの両肩が僅かに竦んだことが、空気の振動で伝わってきた。 マッシュは陶器製のカップの中にブラシを突っ込み、手際良く白い泡を掻き混ぜた。きめ細かな泡を作りながら、思わず飛び出そうになった鼻歌を堪える。 すっかり眉間に深い皺が寄ったエドガーの閉じた瞼を確認してから、置いていたタオルを静かに取り上げた。 触れた空気の冷たさを感じたのは、恐らくはほんの一瞬だっただろう。素早くその場所に泡を乗せたマッシュは、金色の毛を覆う泡がプチプチと小さな音を立てて弾ける様を楽しそうに眺めた。 下ろした衣服は脚から完全には抜かず、膝の辺りで止めてある。万が一暴れた時の拘束としてだった。 エドガーは内股気味に両脚を伸ばし、余程力を込めているのか太腿は微かに震えていた。 あまり長くこの格好をさせるのは流石に良心が咎める、とマッシュはいよいよナイフを構える。 兄に刃物を向けたことなど未だかつて一度もない。神をも恐れぬ所業だと自嘲して、泡に塗れた柔らかな毛を丁寧に削ぎ始めた。 「……ッ……」 エドガーの喉が動く。 痛みがあるのかとマッシュは注意深くエドガーの様子を伺うが、されたことがない行為に怯える反応だと確信して、休めていた手を再び動かし始めた。 泡を削いだその後に、現れた肌はゾッとするほど青白い。普段人目に晒す場所ではないのだから当然であり、これからはますます他人に見せる訳にはいかなくなるだろう──瞼をきつく閉じてじっと耐えるエドガーを見やり、マッシュは唇だけで薄っすら微笑んだ。 耳を澄ませば、毛を剃るプツプツとした音に混じってやけに荒い息遣いが聞こえて来る。 エドガーの乱れた呼吸の他に、自分自身もまた集中しているために鼻息が荒くなっているのだと気づいて、マッシュは小さく笑った。 その声が聞こえたのだろう、エドガーが恐々と目を開いた。 垂れ下がった眉の下で、不安げに揺れる青い眼差しにマッシュが視線を合わせた途端、エドガーはカッと頬を染めて再び顔を背けてしまった。ご丁寧に、振り上げた腕でその目を隠して。 マッシュはうっそりと微笑み、剃り終えた肌を指の腹で優しく撫で辿る。擽ったいのか、エドガーの腹がヒクヒク震えた。 臍の下から両腿の付け根まで。大事な部分には決して傷をつけないように、細心の注意を払って剃ったその場所は、正面から見ればほとんど陰毛が残っていない状態となった。 滑らかになった肌をしばし確かめるように撫でた後、マッシュはおもむろにエドガーの片腿にその手を移動させる。 「兄貴。膝、立てて」 エドガーがギョッとして腕の下から顔を覗かせた。 「何だって……?」 「横、剃りにくいから。片膝立てて」 「そこまでしなくてもいいだろう!」 「膝、立てて」 エドガーがグッと声を詰まらせる。 羞恥か怒りか、すっかり耳まで赤くなったエドガーは忌々しく唇を噛み、軽く擡げていた頭をどさっと下ろしてマッシュが触れている脚をゆっくりと立てた。 膝辺りに蹲っていた衣類が邪魔をしないよう、マッシュがするりと脚から抜き去る。下衣を引き抜かれて一瞬浮いた脚をエドガーは内向きに閉じかけるが、観念したのか言われた通りに片膝を立てた。 腿の内側、付け根に残っていた陰毛の範囲を指先で探ったマッシュは、先ほどと同じく蒸しタオルを用意し始める。 「……クッ」 皮膚の薄い部分には若干熱過ぎただろうか──中心にあるエドガー自身を避けながら、マッシュは正面に施したのと同じくデリケートな箇所へ泡を乗せていった。 エドガーの腰がピクッと小刻みに揺れる。動かれるのは困るが、意識してやっている訳でもないだろう。 マッシュは注意深く、皮膚をピンと張るように指を添え、ナイフを持つ手の甲で陰嚢を優しく押し退けた。 あ、と掠れた吐息が聞こえてくる。 エドガーが腕で口を覆ったのが気配で分かった。カーブの多い肌は少しでも気を抜けばナイフで傷つけかねない。一滴の血も見ないようにと息を止めるマッシュの耳に、子供がしゃくり上げるようなエドガーの震える呼吸が届く。 剃り進めるうちに、初めは怯えたように縮んでいたエドガーのものがゆるゆると頭を擡げ始めた。ピクッ、ピクッと下肢が小さく跳ねる度、傍目にもそれが硬度を増しつつあるのがよく分かる。 それでもマッシュはそのことに触れずに、丁寧にナイフを滑らせ続けた。ギリギリの位置まで、顔を近づけて剃り残しのないように。鼻息が撫でることでより反応が強くなっているのか、もう片方の膝を折って手前に大きく開かせる頃には、下腹部のものはすっかり勃ち上がっていた。 マッシュは言わずもがな、エドガー本人も気づいていないはずがない。しかし二人とも無言のまま、それぞれの荒い呼吸だけが響く室内で、儀式は粛々と行われた。 ふう、と大きく息をついたマッシュが肩を下げ、手にしていたナイフをサイドテーブルに置く。 エドガーは横たわった格好のまま、下半身に何も身につけずに顔だけを腕で隠している。マッシュが静かに後片付けをしている間、エドガーはそうして動かずにいた。 「……終わったよ」 マッシュが低く囁き、改めてエドガーの下半身を見下ろした。 白い素肌を覆っていた金色の陰毛は全て剃り落とされ、皮膚の薄い箇所には血管の筋が青く浮き出て見える。その中心で、申し訳なさそうに頭を起立させたものが微かに震え、先端にじんわり透明な液を滲ませていた。 マッシュが声をかけてもエドガーは反応しない。痺れを切らした訳ではないが、念のためにマッシュはもう一度「兄貴」と囁きかけた。 エドガーはそっとずらした腕の下からマッシュに目を向け、眉を垂らして唇を噛み締めている。その青い目の表面がいつもより濡れて見えるのは気のせいではないようで、よく見れば顎先がごく僅かに震えていた。 「終わったよ」 「……」 「もう自由にしていいんだよ」 「……、分かる、だろ……」 ようやく発したエドガーの声は掠れ、それが余計に羞恥心を募らせたのか、エドガーの眉が更に歪んだ。 マッシュは涼しい顔で肩を竦めてみせる。 「何が?」 「……意地悪、するな……」 「言わないと分からない」 「……ッ」 マッシュを睨みつけるエドガーの目に、なけなしの闘争心さえ残ってはいなかった。 はあ、と何かを諦めたような溜息を零し、エドガーは腕を額に乗せたまま懇願の眼差しをマッシュに注いだ。 「……触って、くれ……」 マッシュはゆっくりと口角を上げる。 ──剃られる側だって存外に気持ちが良い。それは何度も経験済みだ── 広げた手のひらをエドガーの太腿に乗せ、じわじわと這い上がらせながら、マッシュは目を細めて満足げに微笑んだ。 「お望み通りに」 ──ああ、悪い遊びを覚えてしまった。 お互いに。 |