11/25のいい双子の日によせて(一日遅刻)
女子に囲まれてもやらしさのない兄貴がすき


 判断が少々遅かった、とごく軽い口振りで、薄っすら笑みさえ浮かべて告げたエドガーに対し、彼を囲む三人の女性たちの表情は暗く硬かった。
 ティナは眉を下げて心配そうに、セリスは厳しく眉間に皺を寄せて、リルムはその大きな瞳に涙を溜めている。
「もう少し早く引き返す決断をすべきだったな。私のミスだ、気に病まないでくれリルム」
「でも……、でも……」
 岩壁に背中をつけて、地に投げ出しているエドガーの長い両脚のうち右足首から先が血に塗れている。患部をきつく縛られているお陰か今は出血が止まっているが、この足ではまともに歩くのは無理だと言うことが誰の目にも明らかだった。
 歪な岩が転がるそこは空気がほんのり湿っていて、岩と岩との隙間から僅かに射す光だけが中を仄暗く照らしていた。
 エドガー、ティナ、セリス、リルムの四人はギリギリお互いの顔がぼんやり見える程度の明かりの中、身を寄せ合ってそこから動くことができずにいた。
 幾つかの不運が重なった結果だった。


 魔法が有効な魔物が多いと言うのを考慮してのメンバーだった。
 ナイト的役割で同行していたエドガーは、予想以上の魔物の数に早い段階で引き返すことを一案として提示していた。
 女性陣の魔力の消耗が激しすぎる。このまま進めば回復も出来なくなる、態勢を立て直す──エドガーの判断で戻り始めた四人だったが、その途中で出会す魔物との戦闘でも容赦なく魔力は削られていく。
 その場所で風が吹いたのは誰が悪い訳でもなかった。
 リルムが肌身離さず身につけていた、彼女の母の形見のリボンが解けて風に攫われたのは仕方のないことだった。
 飛ばされたリボンが、先の見えない闇が広がる横穴に吸い込まれ、迷わず追いかけたリルムも、それを引き留めるために走ったセリスも、入り口から少し中に入ったところで二人を不安げに待っていたティナも、誰も悪くなかった。
 そのタイミングで入り口が崩れてくるとは、四人とも予想する時間もなかったのだ。
 ティナを引き戻すには彼女は中に入り込み過ぎていて、そして奥に入ったセリスとリルムは間に合わない──エドガーは咄嗟にティナを更に奥へと突き飛ばすことを選んだ。三人が無事であることの代償として、右脚が崩れた岩の下敷きになった。
 女性陣によって何とか岩の下から引っ張り出されたエドガーは、完全に塞がれた入り口に溜息をつきつつ、彼女たちからの魔力による回復を頑なに拒んだ。エドガーは三人ともほとんど魔力が残っていないことをよく知っていた。
 魔法は使えず、手持ちの回復薬や脱出に役立つはずの機械はティナを助ける時に振り落としてきた。恐らく岩の下敷きになっているだろう。
 僅かな食料はセリスが持っていたが、本日中に飛空艇に戻る予定だったため充分には備えていない。
 しばらく無言で考えたエドガーはその場に腰を下ろし、休息を選択した。
「なあに、出血は止まっている。致命傷ではない……私は君達より体力もあるからね。しばらくここで休んで、魔力の回復を待とう。みんな疲れ切っている、今は魔力を完全に切らさない方がいい」
 エドガーの声は明るく穏やかで、その声色は彼女たちを幾分かは安心させただろう。
 しかし出入り口が埋まってしまったこと、どこからか通る風のお陰で酸素が不足する心配はないが、冷たく湿った空気で酷く身体が冷えることなど、完全に心が晴れるほどではなかった。
 エドガーはマントを外して三人に差し出した。
「三人で使うには少々狭いが、ないよりはマシだろう」
「怪我をしている貴方が使うべきだわ」
 即座に答えたセリスに対し、ろくに見えないと分かっていながらエドガーは優しく微笑む。
「言ったろう、私は君達より体力がある。それにこの中で一番重装備だ。レディが身体を冷やしてはいけないよ」
 セリスが呆れた様子で首を小刻みに振りながら細い息をつくが、それはエドガーの口調が暖かくも頑なだったためだろう。恐らくはこの男をどう説得するか頭を悩ませ始めたセリスの横から、ティナが一歩前に進み出た。
「じゃあ、みんなで使いましょう」
 ティナの言葉にリルムが頬を膨らませる。
「流石に四人ははみ出ちゃうよ」
「くっついたら大丈夫よ」
 そう言って、ティナはエドガーの隣に腰を下ろしてぴたりと半身をくっつけた。ギョッとした顔をティナに向けたエドガーの反対側、合点したリルムがエドガーの横腹に飛びついた。
 エドガーは今度は小さな温もりにやや困った目を向けたが、肩を竦めたセリスもまたリルムの横に座り込み、照れ臭そうに身を寄せる。
 女性三人に言葉の通り囲まれたエドガーは、遠慮なしに身体を密着させながらもまるで他意のない女性たちに苦笑し、マントをふわりと下肢にかけた。その面積に合わせて両端のティナとセリスが更にギュッと距離を詰める。
「……これは役得だな」
「変なことは考えないでね」
 思わず小声で呟いたエドガーに、素早くセリスが釘をさす。
 苦笑いを声に出したエドガーの両脇で、ティナとリルムが不思議そうに首を傾げた。


 
 閉じ込められたのは陽が落ち始める少し前。
 その頃はまだ岩の隙間から漏れていた光も今はほとんど届かず、幸い晴れた空に月が出ているのか、ささやかな月明かりが微かに岩の陰影を照らす他に光はなく、今や四人は闇に包まれていた。
 エドガーにぴったり身体をくっつけて、ティナとリルムは寝息を立てている。その間で開いた目を時折瞬く以外に微動だにしないエドガーへ、リルムの隣から静かな声がかけられた。
「眠らないの?」
 セリスの問いかけに軽く鼻先を向けたエドガーは、ぐっすりと眠る二人を起こさないよう低く穏やかに返す。
「君こそ、眠っていたと思ったんだが」
「少しだけね。後は私が起きているから、貴方は休んで」
「お気遣いありがとう。しかし私より君達が回復してくれた方がありがたい。……この岩を壊せるほどの魔力が戻るまで、あとどのくらいかかりそうかな」
 セリスは少し黙り、多分、と前置きしてから言いにくそうに答える。
「あと……、二時間、……いえ、三時間はかかるかも……。貴方の言う通り、私達ほとんど魔力を使い切ってしまっていたみたい」
「そうか……」
「貴方の怪我を治すくらいなら今でも出来ると思うわ」
「……いや、それでまた魔力を使い切ってしまっては意味がない。温存しておいてくれ、私は大丈夫だ」
 セリスは何か言い返そうと口を開きかけたが、エドガーを説得する自信がなかったのだろう、そのまま口を噤む。
 エドガーは視線を前方の闇に向けた。
「三時間か……、どちらが早いかな……」
 独り言のように呟いたエドガーに対し、セリスが怪訝そうに眉を寄せた。
「どちらが、って?」
「君達の魔力が戻るのと、助けが来るのとだよ」
「助け? ここに?」
「そうさ」
 当然だと言わんばかりにエドガーは涼しく答える。セリスは数秒絶句し、それから首を小さく左右に振った。
「そりゃあ私たちが戻らなければ、ロックたちが探しに来るかもしれない……でも、ここの正確な場所なんかすぐには分からないわ」
「そうでもないさ。ずっと、呼んでいる」
「……え?」
「ここにいると伝えている。必ず気付く」
 エドガーの言葉の意味が分からず、セリスはただ眉根を寄せるばかりだった。
「……どういうこと? 誰に、どうやって伝えているの?」
「呼びかけているのさ。昔から、どちらかに何かがあるとお互い勘付くように出来ているんだ。強く呼びかければ思いも届く。……だから十年も離れていられた」
 茶化したり戯けたような口調ではなく、淡々としていながらも言葉の端々に確信を込めて口にするエドガーへ、ほとんど表情など読み取れない暗さの中で顔を向けていたセリスは、ハッとして大きく一度瞬きをした。
「……マッシュ?」
 エドガーは答えはしなかったが、その沈黙は肯定に他ならなかった。
「マッシュが、ここに来るって……思ってるの?」
「私が呼んでいるのだから、当然だろう」
 セリスが唖然と両肩を下げた。エドガーの迷いのない口振りは、今発言したことを疑いもしていないのがはっきりと表れていた。
 現実主義のエドガーにしては珍しい──セリスはそんなことを考えていたのだろう。そう、と小さく返事をしたものの、正直なところ彼女はエドガーの言葉を信じ切れてはいなかったはずだ。
 彼ら双子の兄弟は非常に仲が良く、戦闘でも日常生活でも時にゾッとするほど息が合っている。
 だから多少の意思の通じ合いくらいなら有り得るだろうと受け入れられても、崩れた岩の向こう側にいる自分達をピンポイントで探り当てることが出来るほどとは思えない──
 その音を聞くまでは。


 ミシ、ミシ、とごく僅かな軋み音を聞き逃さなかったエドガーは、ピクリと眉を揺らした。
「……こっちの方が、早かったか……」
 エドガーの呟きをセリスが聞き返すより早く、ドン、と予期していなかった轟音が耳を裂き、突風と共に闇に包まれていた景色がガラガラと崩れて月明かりが横穴を照らし始めた。
 ティナとリルムが飛び起きる。セリスは月の光を背負った大柄なシルエットを認め、半ば呆れ顔で声も出せずにただ深く息を吐いた。
「兄貴!」
 間違いなくマッシュその人の声が響いて、エドガーは静かに微笑んだ。セリスは信じられないとでも言いたげに首を振り、寝起きで状況が把握できないティナとリルムはひたすら目を擦っている。
 大股で穴の中に踏み込んできたマッシュは、真っ先に駆け寄ったエドガーの右足にマントの上から触れた。エドガーと目を合わせ、その顔を確かめるように覗き込む。
「右足、怪我してるな?」
「ああ、少々ヘマをした。……よく来てくれた、マッシュ」
「兄貴のためなら何処にだって迎えに行くぜ」
 にっこり笑ったマッシュは、膝掛けのように使っていたマントを掬い上げ、エドガーの右足に迷いなく手を翳した。そして笑顔から表情を引き締めた時、エドガーの右足をぼんやりとした光が包む。
「セリス、ティナ、リルム! みんな無事か!?」
 続いて入り口から新たに聞こえた声に女性陣は顔を上げ、現れたロックとセッツァーを見て安堵に肩の力を抜いた。
 わっと彼らに駆け寄るリルムとティナの背中に微笑み、セリスはふとエドガーとマッシュに顔を向ける。
 最後はほとんど闇の中だったために定かではないが、三人を安心させようと笑みを絶やさないながらも緊張感が漂う表情を崩していなかったエドガーが、マッシュを見上げて心底ホッとしたように目尻を緩めたのをセリスは確かに見た。
 そして細めた目を二人から逸らし、セリスもまたティナとリルムに続く。
 お互いを信じ切った顔で手を取り合う双子の兄弟には聴こえないように、大したものだわね、と口の中で呟いて。

(2018.11.26)