双子の年越し


 時計の針が進むにつれて、城下町の喧騒とは裏腹に城内はひっそりと静まり返っていく。
 最低限の警備を除いて大半の人が自宅や故郷で家族との年越しを迎える中、城の主人であるエドガーは共に新年を祝う予定であるただ一人の家族を探して、厳粛な空気が漂う廊下に落ち着いた靴音を響かせていた。
 新年に鳴る教会の鐘の音でも聴きながら、二人でささやかに乾杯でもしよう──そう約束していた相手は私室には見当たらず、こんな夜中まで修行かと覗いた訓練場にも気配がなかった。
 ブツブツと文句を呟きながら広い城を歩き回って、しかしまあ何処もかしこも静かなものだと感嘆の息さえつきながら、辿り着いた厨房でようやくお目当の大きな背中を見つけた。
「マッシュ」
 呆れ声で呼びかけると、悪びれず振り向く弟の笑顔にエドガーは毒気を抜かれてしまう。
「何やってるんだ、もうすぐ新年だってのに」
「ああ、ちょっと作りたいものがあってさ。おっと、もうこんな時間か。急がないとな、年が明けちまう」
「何も今じゃなくてもいいだろう。こんな年の瀬に何を作り始めた」
 隣に立っても手を止めることのないマッシュに焦れて、エドガーが弟の忙しない手元を覗き込む。
 何やらすり鉢の中ですり潰されている白いものに眉を顰めるその横で、マッシュがそれがさあと説明し始めた。
「今じゃないとダメなんだよ。これ、新年に食べるんだ」
「新年に? 一体何だこれは」
「兄貴巻」
「アニキマキ?」
 聞いたことのない料理にエドガーが怪訝な表情を浮かべると、振り向いたマッシュがにんまり笑って事の経緯を説明し始めた。
「前にカイエンからさ、ドマで新年に食べるオセチって料理の話を聞いたことがあってさ」
「ふむ。……この白いの、何潰してるんだ」
「白身の魚だよ。そんでオセチ料理にはいろんな種類があるらしくて、その中にダテマキっていうのがあって」
「ダテマキ……おい、塩入れすぎじゃないのか」
「砂糖だよこれ」
「砂糖!? 魚に砂糖!?」
 目を剥くエドガーに構わずに、マッシュは溶き卵を潰した白身魚へ流し込む。隣でエドガーがこめかみに指先を当てた。
「それより前にさ、カイエンが兄貴のこと『ダテオトコ』って呼んだことがあったんだよ」
 眉間の皺を和らげたエドガーがぱちぱちと瞬きをする。
「ダテオトコ……?」
「なんか、カッコいい男って意味らしいぜ」
 マッシュの言葉を聞いたエドガーは、満更でもなさそうに腕を組んだ。
「それならダテマキは兄貴巻だよなーって思ってさ。ちょっと前にそれを思い出してさ、カイエンに手紙書いてレシピ送ってもらったんだ」
「ふうん……分かったような分からんような。……焼くのか、それ」
「うん、焼いたら巻くんだって」
「美味いのか……?」
「どんな味か聞いたことないから分かんねえな」
 大きな溜息を返したエドガーへマッシュは豪快に笑ってみせて、その軽く丸まった背中を小気味よく叩いた。
「折角兄貴と城で新年迎えるからさ、新年っぽいもの食べるのもいいなーって」
「異国の文化だがなあ」
「いいだろ、兄貴巻で兄貴繋がりなんだし」
 使い終わった調理具を手早く片付けて洗い物を始めるマッシュに肩を竦めて、苦笑いを零したエドガーは踏み台を椅子代わりに腰を下ろす。
 焼き上がりまで数十分、この一年間の他愛のない思い出話を語り合いながら、焼けた生地を熱い熱いと大騒ぎして、くるくる巻いた静かな深夜。
「……できた」
「これ、こういう形でいいのか……?」
「分かんないけど、カイエンのヘタクソな絵と似てるからいいんじゃないか?」
 焼き目がぐるりと渦巻き模様を描いた不思議な黄金色の食べ物を前に、エドガーとマッシュは顔を見合わせて首を捻る。
「……端っこ、味見してみるか」
「お前、先食べろ」
「……、分かったよ、もう」
「……どうだ」
「……」
「美味いか?」
「……甘い」
「……甘い?」
「こりゃ、菓子だな。ケーキとプリンの中間……? ふわふわで、甘い」
「……」
 目をきょろきょろさせてはいるが、マッシュの顔が渋く変化しないことを確認したエドガーは、恐る恐るもう一つの切れ端を指で摘む。目の高さまで持ち上げて、ひと睨みしてからえいっと口に放り込んだ。
「……甘いな」
「だろ」
「思っていたのとは違うが……菓子だと思えば、まあ」
「結構イケるな」
「これが、……兄貴巻?」
「うん、兄貴巻」
 二人は小さく吹き出して、もう一つ、もう一つとまだ温かい一切れを摘んで行く。案外癖になるなと笑い合って、それぞれ最後の一切れを手にした時にマッシュがハッとした。
「あ、しまった、新年に食べるはずだったのにほとんど食っちまった」
「もういいだろ、ホラ」
 エドガーが軽く顎先を壁に向ける。その方向に目を向けたマッシュは、壁に掛かった時計の短針が十二を過ぎていることに気づいて目を丸くした。
「あれっ、もう年明けた!?」
「ハッピーニューイヤー、マッシュ」
 ニヤリと笑ったエドガーは最後の一口を飲み込んで、人差し指と親指を軽く舐めた。
 ぽかんとしていたマッシュは、すぐに短く笑って摘んでいた一切れを口に放り込み、咀嚼を終えて喉を鳴らしてからにっこりと笑い返す。
「明けましておめでとう、兄貴!」
 厨房で新年を迎えた二人は腹を抱えてひとしきり笑い、目尻の涙を拭き拭き静まり返った廊下に出る。
「さあ、部屋で飲むか。新年に乾杯なしは寂しいだろ」
「了解、じゃあ兄貴の部屋に超特急!」
 言うなりエドガーを横抱きに抱えたマッシュは、驚いたエドガーが声を上げる間も無く全速力で駆け出した。
 咄嗟に落ちないようマッシュの肩と背にしがみついたエドガーは、一度は止まった笑いがまた込み上げて、マッシュも誰もいない廊下の先まで突き抜けるような大声で笑いながら、けたたましくも軽やかな靴音を鳴らして爆進する。
 教会の厳かな鐘の音が砂漠の空を揺らす頃、静かな静かなフィガロ城を、賑やかに新年を祝う笑い声が騒がしく通り抜けていった。

(2018.12.31)