気怠い会議から解放された足取りは軽い。
 ささやかな休息を得るために私室に向かう間中、隣に張り付いた大臣が休憩後のスケジュールをつらつらと並べ立てるのを気の無い笑顔で受け流し、エドガーは与えられた僅かな自由時間で何をするかに意識を集中させていた。
 三十分あれば、引きかけの設計図に多少の手を加えられる。いや、それよりこの前改良した機械の試運転が先だろうか? ──やりたいこととそれに見合った時間を計算しながら、ただのんびり茶を飲むのも悪くないな、などと思いついて口元を緩め、廊下の曲がり角を曲がった時。
 前方からやってくる大柄なシルエットにエドガーの足が止まる。
 首にかけたタオルの端で顔を拭いながら歩いて来たマッシュもまた、エドガーに気づいて笑顔を見せた。
「やあマッシュ。訓練場に行っていたのか」
「ああ、今休憩するとこ」
「丁度良い、俺も──」
 嬉々として口を開いたエドガーの前で、足を止めたマッシュがふと目線を下げ、何かに気づいたように瞬きをした。
 その仕草を見て、エドガーの唇が最後の一文字を象ったまま固まる。不思議そうに眉を上げたエドガーに向かってマッシュは躊躇いなく手を伸ばし、控えめなピアスを携えた耳のすぐ傍の後れ毛に指をかけた。
「糸屑ついてる」
 恐らくは指先で糸屑を払い落とし、それから乱れた後れ毛を指に絡めてするりと耳の後ろにかける。それは何気なく行われたごく自然な動作で、隣に立っていた大臣がまるで気にも留めていなかったことからも明白だった。
 しかし、無骨な指が耳の半円をそっと撫でて行った瞬間、エドガーの腰がビクリと跳ねて身体を支えていた両脚はがくがくと震え出した。
 マッシュは異変に即反応した。素早く差し出された腕に縋ったエドガーは、堪え切れずに短くも深い吐息を零す。




 ──大きく開いた両脚は自らの意思ではその形を保てず、浮き出た血管の横を滑り落ちる汗に塗れた太い腕に押さえ付けられるのが常だった。
 広げた脚の付け根に熱の塊を押し込まれながら、体勢の苦しさを上回る快楽のスイッチに触れてもらおうと自らも腰を揺らす。
 ベッドに縫い付けられた膝が時折浮くほどに身悶えしていた身体の中、産まれた火種は徐々に燃え上がる素振りを見せ始めていた。
 唾液の滴る口からあられもない声が漏れ落ちることが気にもならなくなって来た頃、押さえ付けられていた片脚がふっと自由を取り戻す。
 膝が浮く感触で一瞬手に入れかけた理性は、眼前に真っ直ぐ伸ばされた大きな手に吸い込まれるように消えてしまった。
 目の横を通り過ぎ、無骨な指が耳を摘むように上からゆるりと撫でて行く。同時に打ち付けられた肉の刺激に腰が跳ね、自由になった片脚で空を蹴りながら迎え入れた絶頂で頭の中が真っ白になる。
 何度も何度も、その瞬間に指が降る。
 狙い澄ましたかのように、欲が溢れる二秒前に耳を滑る指の感触が、身体に刷り込まれていく──




 崩れて力の入らない膝を小刻みに揺らすエドガーを支えながら、マッシュはほんの一瞬顰めた眉を普段通りに緩め、横で驚きに顔を強張らせている大臣を振り返った。
「この後の兄貴の予定は?」
 マッシュの声にハッとした大臣が、躊躇いながら口を開く。
「小一時間ほどご休憩なさるご予定でしたが……」
「そうか、丁度良い。疲れてるみたいだ。俺、部屋に連れてくよ」
 そう告げて折れたエドガーの膝裏に手を差し込み、ひょいと抱え上げたマッシュは、大臣から顔を隠すようにエドガーの頭を肩に寄せた。
「休ませて、まだ調子が悪そうなら連絡する」
 短く残して踵を返したマッシュの背に、はあ、と訝しがる大臣の声が届く。
 足早にその場から離れ、誰もいない廊下にマッシュの靴音だけが響くようになった頃、おもむろにマッシュはエドガーの耳に唇を寄せた。
「……出ちゃった?」
 ビクッと肩を寄せたエドガーは何も答えない。しかしマッシュの胸の布を握り込んでいる拳がより硬くなったことは、簡単に見て取れた。
 マッシュは大きく広げた指でエドガーの頭を包むように撫で、正面を見据えた目を細める。
 ──ようやく覚えてくれた。
 薄っすら上がった口角で風を切り、マッシュは足を急がせた。

(2019.2.2)