3日遅れのバレンタインデーによせて


「こりゃまた凄い量だな」
 半ば呆れた口調で呟いたマッシュに対し、隣で腕を組んで立つエドガーは戯けるように肩を竦めて答えた。
「これでも少ない方だ。それに、ほとんどが国外からの荷物だよ」
 二人の前に積まれた荷物はどれも小振りではあるが、色とりどりの包装紙やリボンで飾られていた。
 倉庫の一角を占める華やかな荷物の山を一瞥し、エドガーは控えの兵を振り返る。
「全て処分してくれ」
「はっ」
 短く返事をした兵の声と同じタイミングで、マッシュが目を丸くした。
「処分?」
「ああ」
 用は済んだとばかりに荷物に背を向けたエドガーを追うように、小走りに並んだマッシュが涼しげな兄の横顔を覗き込んだ。
「中、見なくていいのか?」
「今日が何の日か分かるか? バレンタインデーだ」
 あ、とマッシュが音もなく口を開ける。
「平和が戻ったとは言え、まだ物資の流通も安定していない時期だ。予め領内には城への贈り物の類は控えるよう御布令を出している。すなわち、あそこに積まれているものは良からぬ奸計が絡んでいる可能性がある訳だ……果たして何が入っているのか……」
 穏やかな声色で物騒なことをサラリと告げたエドガーは、兵の手で開いた倉庫の扉を抜けて廊下に靴音を響かせた。その音より、若干忙しないリズムのマッシュの靴音が後を追う。
「でも、そうじゃないものも混じってるかもしれないぜ」
 チラリと倉庫を振り返ったマッシュが名残惜しげに呟いた。
 エドガーは口元に微笑を湛えて目を細める。弟が、見知らぬ誰かの好意を廃棄する行為に心を痛めていることへの誇らしさからだった。
「それを見分ける術が我々にはないのだよ」
「……そうか」
 ため息混じりでありながらも納得した声で頷いたマッシュは、エドガーの隣で顔を上げた。割り切った表情のマッシュを横目で見やり、エドガーが悪戯っぽく片眉を上げる。
「お前宛のも随分あったぞ。バレンタインに限らず、余所から出されたものに迂闊に手をつけるなよ」
「分かってるよ」
 マッシュが小さく唇を尖らせた。
「お前が城に戻ったことは世界中に知れ渡っている。現時点で唯一の次期王位継承者であることもな。サウスフィガロにいた頃よりは窮屈だろうが──」
「王位はともかく、俺には現国王を一番近くで護る栄誉が与えられてるんだ。そんなの大した事じゃないさ」
 エドガーの言葉を遮り、飄々と答えたマッシュが顔を向けて小さくウィンクしたのを見て、一度瞬きをしたエドガーは嬉しそうに顔を綻ばせる。
 そしてすぐに澄まし顔に戻り、軽く肩でマッシュの腕を小突くことで返事をしてから、エドガーは前を見て機嫌良く踵を鳴らした。
「まあ、とは言っても今日はバレンタインデーだ。何も無しでは寂しいだろう。不安なく恩恵にあずかれる所に行くとしよう」
 言うなりマッシュの腕を取ってぐいぐいと前進し始めたエドガーに引きずられながら、マッシュが不思議そうに首を傾げた。


「懐かしいな、このケーキ!」
 クロスの白が眩しいテーブルの上で、淹れたての紅茶が湯気を立てる隣に並べられたケーキを見て、マッシュが目を輝かせた。
「今年は人数が増えるからと、大きなものを焼くように頼まれましたよ。たくさんお召し上がりくださいな」
 紅茶のポットを静かに置いたフランセスカが傍に立って微笑む。
 マッシュの向かいに腰を下ろしたエドガーは、満足げにテーブルの上で手を組んだ。
「バレンタインは毎年ばあやにチョコレートケーキを焼いてもらっているんだよ。何の心配もなく口に出来る、麗しいレディからの贈り物だからな」
「エドガー」
 フランセスカに釘を刺されてエドガーは肩を竦めたが、さして気にすることもなくマッシュに向き直った。
「お前も昔から好きだっただろう、ばあやの手作りケーキ」
 マッシュは大きく頷き、頬を紅潮させて皿の上に鎮座する一切れのケーキを感慨深げに見下ろす。
「うん、よく覚えてるよ。胡桃が入ってるやつだよな? おやつでこれが一番好きだった」
「まあ」
 フランセスカが大袈裟なとでも言うように苦笑したが、その笑みは満更でもなさそうだった。
「ばあやが奮発して特大のを焼いてくれたからな。腹いっぱい食べるといい」
「やった! いただきます!」
 満面の笑みでフォークを手にするマッシュを優しい眼差しで眺めたエドガーは、フランセスカを振り返って二人の間の無人の椅子を指差した。
「ばあやも一緒に食べよう。久し振りに三人揃ったんだ、昔語りに花を咲かせようじゃないか」
 一度は遠慮がちに後退したフランセスカだったが、エドガーとマッシュが同じ微笑みで待っているのを見て、小さく笑って椅子の背に手を掛けた。



 ***



「あー、美味かった!」
 フランセスカの部屋を出て、天を仰ぎながら歩くマッシュの無防備な腹を叩きながら、エドガーが笑って意地悪く言った。
「腹が出てるぞ。お前一人で半分以上食べたんじゃないか?」
「だって懐かしくて美味かったんだよ。あの胡桃がゴロゴロ入ってるのがいいんだよな〜!」
 マッシュも自ら両手で腹を叩くのを見て吹き出したエドガーは、横目で朗らかな笑顔を愛おしげに見つめ、やや声を落として静かに囁いた。
「……今日は早めに仕事を切り上げるから、夕食は俺の部屋で一緒にとろう。チョコレートに合う酒を用意しているから……」
 仄かに頬を染めるエドガーに対し、マッシュはキョトンとして問う。
「今チョコレートケーキ食べたばっかりなのに、夜もチョコレート食べるのか?」
 その途端眉がスッと下がり、真顔になったエドガーにマッシュは気づいていないようだった。
 無言のエドガーに構わず、ふと兄のうなじ付近に目を留めたマッシュは、あれ、と呟いて兄の長い髪を結ぶリボンの輪に指を入れた。
「今日のリボン、青じゃないんだな。茶色に金の縁、キレイだな」
「……お前、鈍いにも程があるぞ」
「ん?」
「もういい。夜、覚悟しておけ」
「?」

 純真無垢な眼差しが全てを理解して熱を帯びるのは、灯りの落ちた寝室でチョコレート色のリボンを解いてから。

(2019.2.17)