兄はたまに眼鏡をかける。書類に向かっている時や、作業室で工具片手に機械を弄っている時。眼鏡をかけている姿は城の中の近しい者しか見ることができないレアなものだ。 今日も執務室で兄が小さく息をついて、かけていた眼鏡を外した。仕事に一段落ついたのだろう、机の脇に置かれた眼鏡にそっと手を伸ばして取り上げる。左右のつるを両手で持ち、自分の目にかざしてみた。 ぐにゃりと世界が歪む。鮮明だった輪郭が全てぼやけ、色の境目が曖昧になった。思わず顔を顰めて眼鏡を離すと兄が笑った。 「お前には合わないだろう」 「うん。これ、普段眼鏡なしなら何にも見えてないんじゃないのか?」 「そんなことないぞ。近くのものは見えてる。もっと近くに来い」 眼鏡を机に置いて体を兄の方へと傾けると、人差し指をくいくい曲げてもっとだ、と言われ、更に顔を近づけた。兄の顔の目の前まで近づいた瞬間、ちゅ、とわざとらしい音と共に唇を食まれ、ぎょっとして飛び退く。 「……ちゃんと見えてる」 兄は長い睫毛を揺らすように優雅に瞬きし、してやったりと微笑んだ。 |