旅を続けていれば、宿で一晩ゆったりと休息を取るのが難しい夜も多々ある。幸いにして移動手段は巨大な飛空艇であるため、雨風を防ぐことができるどころか狭くとも個室があるし、ベッドで休むこともできる。野宿を繰り返すよりは余程恵まれた環境だろう。 しかし飛空艇に備えられたシャワールームの数は三つ。旅を共にする仲間がそれなりの人数となり、中には年頃の女性もいるとなっては気を遣わない訳にはいかない。 艇内に積まれた水も有限、毎度髪の長さで水の使用量に文句を言われがちなエドガーは、その日も少々気が重く面倒な気分になりながらシャワールームへ向かっていた。 シャワーの使用は女性三人が優先。それから男性同士で順番を決めているが、戦闘のない日は基本的にくじ引きなど運頼みになる。この日のエドガーは最後から二番目という遅い順を引き当ててしまったため、疲れた身体で散々待った挙句に残り少ない水を次の人間にも気遣いながらちびちびと使用しなくてはならない。 砂漠の出身者である故水の貴重さはこれでもかと言うほど理解しているが、それにしても一国の王が少量の水で見窄らしく身体を濡らしているとは嘆かわしい。大臣が見たら卒倒するかもしれない。 エドガーは背中で揺れていたリボンごと長い髪を摘み、正面に持って来て鼻先に近づける。幸い今日は内向きの作業ばかりで砂埃も被ってはいないし、軽く全身を拭く程度で済ませるかと肩を竦めた。 常時ではないのだから、贅沢を言ってはいけないな──そう口の中で呟きながら通りかかった談話室の開け放たれたドアの向こうから声が聞こえてくる。 よく聞き馴染んだその声にエドガーは無意識に頬を緩め、シャワーの前に談話室に立ち寄ろうと足の向きを変えた。途端、もう一人別の声が続いて歩みが止まる。 女性の声だと認識した瞬間、エドガーはドアの陰に身を隠していた。そして顔だけをそっと覗かせ中の様子を伺う。 エドガーの思った通り、談話室にいたのはマッシュと、そしてセリスだった。エドガーの眉が下がる。この時間だ、二人ともとうに入浴を済ませて寛いだ格好をしていることは覗き見程度でもよく分かる。そのままベッドに寝転がれるようなリラックスした服装を、年頃のセリスが男たちに見られるのを嫌うことをエドガーは知っていた。 不思議とマッシュはその対象にならないらしく、今も夜が更けようというのに平気で二人でいるのだから納得はいかない。羨ましいやつめ、と唇を尖らせ、開き切ったドアにべたりと背をつけたエドガーは談話室の会話に聞き耳を立てた。二人の声に混じって聞こえてくるパチン、パチンという小気味好い音に眉を寄せながら。 「随分短く切るのね」 少し気怠そうなセリスの声からは眠気を感じる。なんとまあ気を許されているものだとエドガーは肩を竦めた。 「まあな」 対してマッシュは穏やかながらもはっきりした声で答えた。 「やっぱり装備する時に邪魔になるから?」 「んー……、それもあるけど」 この会話で、エドガーは聞こえてくる不思議な音が爪を切る音だと察した。 (ん? 爪切り……?) 同時に、それがとある行為に付随したサインだということにも気付く。 「傷つけたりしたら嫌だから」 ポッとエドガーの頬に火が灯る。自分に向かって言われた言葉ではないことは分かっているが、マッシュが丁寧に爪を切る時は決まって夜の誘いがあることを思い出してしまった。 「クローって傷つきやすいの?」 「……デリケートなんだよ」 あいつセリスに何を言ってるんだと立ち聞きしながらソワソワと身体を揺らすエドガーだったが、もしも考えていたこととは違って言葉通りの意味であれば、勘違いして割って入るのはあまりに恥ずかしい。 それから数回パチン、パチンと音が続いて、何か硬いものをコトリとテーブルに置く音がした。少しの沈黙の後、セリスの呆れたような溜息が耳に届く。 「ヤスリがけまでするの? 意外に几帳面なのね」 「切りっぱなしだと引っかかるかもしれないからな」 エドガーがもじもじと小さく腰を揺らした。 ──それは……ドコに引っかかると? 「そんなに削ったら痛いんじゃないの?」 「痛い思いさせるよりずっとマシだよ」 「? 痛い思いするのはマッシュでしょ?」 気付けばすっかり真っ赤になっていた頬を、エドガーは両手で包んだ。口元がはしたなく弛みそうになるのを無理やり閉じたため、側から見たら酷く不気味な表情だっただろう。 ──確かに痛い思いをしたことは一度もない──が、果たして自分が想像しているものとマッシュが話していることは一致しているのだろうか? 平気な口調でセリスと喋っているあの会話が? これがただの勘違いなら相当に恥だぞ、と薄暗い廊下で挙動不審にあちこちを見ていたエドガーだったが、次いで聞こえて来た二人の声にピクンと肩を窄めて動きを止めた。 「クマみたいな見た目なのにそういうの拘るの面白いわね。あら、そういえば今日は髭も剃ってるの? 珍しい」 ──間違いない! セリスに何か返答しているマッシュの声を背に、二人に悟られないよう長身にそぐわぬ素早い動きで談話室の前を通り過ぎたエドガーは、シャワールーム目指して全速力で駆け出した。 爪の手入れに髭剃りと来れば、この後必ずマッシュは部屋にやって来る。そう確信したエドガーは、タオルを両腕に抱き締めて込み上げる笑みをその中に押し潰し、踵を浮かれ鳴らして薄暗い廊下を突き進む。 軽く拭くだけなんてとんでもない、しっかり全身磨いて来なくては──自慢の長い金髪の房を靡かせ辿り着いたシャワールームにて、エドガーは鼻歌混じりにドアを閉めた。 「な……なんで湯が一滴も残ってないんだ!?」 エドガーの部屋の扉をマッシュがノックした頃、本日最後のシャワールームの使用者であるロックが濡れた床に佇み、素っ裸で大きなクシャミをしていた。 |