萌えシチュエーション15題より
「15.……いつの間に、こんなに好きになってたんだろう。」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)

※15-3の少し前のお話です


 「もしかして」、は今までも何度か感じたことがあった。
 その度に「まさか」で塗り潰して来た。そんなはずがないと思っていたから。下手に期待をすると後から惨めになるから、そんな情けない理由で可能性を否定して来た。
 要するに自分が傷つきたくなかっただけだ。──その選択で傷ついていた人がいるかもしれない、だなんて考えもしなかった。
 今、目の前ではっきり狼狽している兄の表情はこれまでに見たことがないものだ。いつも冷静で落ち着いた兄らしからぬ、動揺に揺れる瞳に戸惑いで震える唇。
 もしかして、この言葉の続きを言っても良いのだろうか。胸にずっと閊えていた想いを、口に出しても良いのだろうか。
 この自問もまた己の意気地のなさ故──マッシュは覚悟を決めて、一歩エドガーに近づいた。反射的に半歩下がったエドガーは、自分でもその行動に驚いているように微かに目を見開いた。
「……俺、俺は……、ずっと、ずっと前から、本当に、兄貴に幸せになってもらいたくて……、兄貴を幸せにしてくれる人なら、兄貴が選んだ人なら誰だって、……祝福できるって思ってた……」
 辿々しく紡いだ言葉は我ながらあまりに弱々しい、とマッシュは唇の端を噛む。それでも、見窄らしくて格好悪くても最後まで言わなければと心を奮い立たせ、ともすれば俯こうとするかぶりを無理矢理持ち上げた。
 真っ直ぐに向けた視線の先、兄の狼狽ぶりは怯えのようにも見えた。うっかりするとそのまま逃げ出してしまいそうなその姿を、目線で縫い付けるように強く見つめて想いを込めた。
「でも……、でも、本当は、他の誰かじゃなくて……、……俺が」
 呼吸を忘れて苦しくなった声が掠れ、マッシュは一度言葉を区切って短くも深く息を吸う。その反動で大きく開いた口からは、自分でも驚くほどの声量で大切な続きが飛び出して来た。
「俺が、兄貴を幸せにしたかったんだ。俺が、自分で、兄貴を」
 エドガーが茫然と口を開く。何か言いかけたかのように不自然に半開きになった口は、薄紅色の唇が相変わらず震えるのみで声の一音すら発せられることがなかった。
 逃げ腰のエドガーが何も答えないことでマッシュの胸に不安が渦を巻くが、ここで諦めてはそれまでの自分と何ら変わりがない、そう言い聞かせ、エドガーの姿をよくよく見つめる。
 瞳の色に嫌悪は浮かんでいない気がする。驚きのせいか瞬きの回数が多い。眉尻をこんなに垂らして困惑している表情を見るのは恐らく初めてで、先程から何度も目に付く僅かに首を横に振る仕草は、与えられた言葉を信じないようにしていると感じた。
 マッシュは再び「もしかして」を心の中で繰り返す。兄もまた、自分と同じく「まさか」が頭を占めているのでは? ──いつかのティナがマッシュに告げた、「エドガーはマッシュに愛されていることを知ったら、きっと喜ぶ」という言葉が蘇る。いつだってまさかと背を向けていた、しかしそれがお互い様だったとしたら……
 マッシュは強張って上がり気味になっていたエドガーの両肩を掴んだ。ビクンと跳ねた肩を包み、一瞬だけ顔を上げたエドガーの慌てふためく青い目と、その下で朱に染まった頬を見た瞬間、マッシュの両腕は強くエドガーの身体を抱き込んでその頭を胸に押し付けていた。
 ──もう、あれこれ迷って下がるのはやめだ。
 疑心を蹴落として抱き締めた身体は、想像よりも小さく感じた。
「俺が……、幸せにしたい。俺じゃ、ダメか? 嫌なら、ぶん殴ってでも離れてくれ……」
 身動きできないくらいの力で拘束しているのに、我ながら酷い言い草だとマッシュは自嘲した。それでも、腕の中で僅かでも抵抗する動きを感じられたら大人しく解放しようと決めていた。
 マッシュの胸に顔を押し付けられたエドガーは、普段なら大らかに胸を張ってピンと伸ばしている背筋を今は丸く縮こまらせ、ひたすら小さくなってじっとしていた。ごく僅かな震えが肌に伝わってくる。
 不快故の硬直なのか、それとも。緊張で大きく脈打つマッシュの胸に、じんわり何かが濡れて染みて来たことにマッシュがピクリと身体を揺らした。
 思わず見下ろした視線の先にはエドガーの柔らかな金髪が艶めく頭頂部しか見えない。それでもマッシュはこの感触が何なのか理解できた。同時に、エドガーが弱々しくマッシュの服を握り締めてきて、息を詰まらせたマッシュはより強く腕に力を込める。
 エドガーは抵抗しなかった。ただ黙って身体を震わせ、マッシュの胸に涙で濡れた顔を埋めていた。
 マッシュは恐る恐るエドガーの髪に鼻先を寄せた。日頃傍で仄かに嗅ぎ取っていた甘い香りの強さに酔って、眩暈を感じながらひたすら柔らかい髪を撫でた。
 この人を幸せにしてみせる。愛しさで満たされた胸に誓いを立て、マッシュはようやく腕の中の人に「愛してる」と囁いた。

(2019.12.09)