復興地の視察を終えたマッシュが一ヶ月ぶりに帰って来る──朝から傍目にも御機嫌だったフィガロ城の主は、予定通り帰城したマッシュを満面の笑みで迎えて仲良く夕食をとり、食後に兄弟水入らずで和やかな語らいを終えた後、寝支度を済ませて自室にてウキウキと待機していた。
 時刻的にはそろそろ眠る時間である。何度となくドアを振り返ってノックの音を聞き逃していないか耳を澄ませ、エドガーはもう一時間前からソファに座ったりベッドを整えたり、その都度鏡の前に立って髪の乱れを念入りに直していた。
 一ヶ月ぶりの夜なのだから、さぞや濃厚な時間を過ごすに違いない。薄手のガウンとこの日のために新調したバックに三段フリルがついた水色のパンツを仕込み、以前マッシュが好きな香りだと言った香水を肌に馴染ませて、ベッドの端に座ってそわそわと身体を揺らす。
 マッシュが外交で城を空ける前は、三日、いや二日に一度は交わっていたのだ。恐らく一回では済むまい、何なら朝までかもしれないと一人緩めた頬を赤く染め、不気味な笑い声を漏らしながらエドガーはごろりとベッドに転がる。
 久し振りだし、普段と違う体位を許してやってもいい。マッシュのは大きくて奉仕すると顎がくたびれるが、サービスでいつもより長めにしてやろうか──めくるめく妄想に心を馳せて目を閉じて──自分のクシャミで目が覚めた。
 ベッドに腰掛けたまま寝転がっていたため、毛布も何もかけてない仰向けの状態で目を開いたエドガーは、空がすっかり白んで明るくなった室内で朝を迎えたことを知る。
 しばらく天井を見つめて呆けていたエドガーは、ノックの音でぴょこんと身体を起こした。
「エドガー様、おはようございます。お目覚めになられていますか」
 女官の声が涼やかに聞こえてくる。
「……起きている」
 ひとまず返答したエドガーは素早く時計に目を向け、普段よりもずっと早い時刻を見て眉を顰めるが、すぐに今日は砂漠の軍事演習のために早朝から出立する日だと思い出した。
「支度は自分でする。朝食は軽いものを用意しておいてくれ」
「承知致しました」
 近づいて来た時は気付かなかった足音がドアから遠ざかって行き、エドガーはホッと胸を撫で下ろす。このガウンと下着姿を女官に見られてはたまらない。
 冷静になると張り切ってこんな格好をした自分が恥ずかしくなり、ブツブツ口の中で悪態をつきながら着替えを済ませたエドガーは、眠い目を擦って演習の指揮を取ることになった。集合場所に現れたマッシュは小憎らしいくらい爽やかな笑顔で、さぞやよく眠れたのだろうと思わず睨んでしまう。
(……いや、待てよ)
 マッシュは長時間の移動で疲れていたはずだ。ゆっくり休むのは当然じゃないか── 一ヶ月もの外遊で心身ともに疲弊していただろうに、浅ましく期待をした自分を恥じた。
 一晩しっかり休んだのだから、今夜こそきっと訪ねてくるに違いない。そう確信したエドガーは、兵たちを鼓舞するマッシュに下心を込めた目を向けて微笑んだ。


 昨夜の下着はお披露目出来なかったが、これもなかなかのお気に入りだとエドガーが用意したのは、両端を青いリボンで結んだシルクのパンツだった。滑やかで手触りが良く、これならリボンを解く前に撫で回されてもきっと期待に応えるだろうと自負して、この夜もまたガウンを羽織ってマッシュの来訪を待った。
 しかし再び早朝のノックで目を覚まし、エドガーは二晩連続でマッシュが来なかったことに愕然とする。
(一日じゃ疲れが取れなかったのか? 昼間は元気そうにしていたが……)
 考える間も無く早朝にセッティングされた会議に出席し、その日も生欠伸を噛み殺して国王の職務を果たすことになった。
 流石に今夜は来るだろうと、前も後ろも総レースのパンツを履いて待っていたエドガーは、まさかと思いつつも念のためにベッドの中に入って耳を澄ませていた。
 マッシュの足音、ノックの音、どちらも聞き逃すまいと集中して目を閉じていたら、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。三日連続女官の声で起こされたエドガーは、すっかり憤慨してとっておきのパンツを脱ぎ捨てた。


 もしや、自分に興味がなくなったのだろうか。
 何度となく溜息をつきながら色気のない夜着に着替えたエドガーは、今日は諦めて早めに休もうとベッドに向かう。
 昼に会ったマッシュはいつも通りに見えたのに、気づかないうちに機嫌を損ねる何かをしでかしていたのかもしれない。あれだけ張り切って準備していたのに求められないのは辛く、何より遅くまで待っていた上に薄明の頃から準備しなければならない仕事が続いて、心以上に身体もすっかり疲れていた。
 溜息を押し退ける大きな欠伸をしたエドガーがベッドに膝を乗せた時、コンコンと控えめなノックが響く。ビクッと肩を揺らしたエドガーが振り返り、しかし返事が出来ずにいると、ドアの向こうから「……兄貴?」と遠慮がちに呼びかける声が聞こえてきた。
 慌てて駆け寄ってドアを開くと、軽装のマッシュが照れ臭そうにはにかみながら立っていた。マッシュ、と声をかけるより早く、マッシュの腕がエドガーの身体を捉えてそのまま室内に入ってくる。
 きつく抱き締められて驚きに硬直するエドガーは、マッシュの背後でドアが閉まる音を聞いた。それから間も無く顎を掬い上げられて、一ヶ月ぶりの口付けが降ってくる。
 触れるだけではない、深く重なった奥から伸びて来た舌に口内を嬲られ舌を吸い上げられて、エドガーの腰から下の力が抜けた。かくりと膝を折ったエドガーを横抱きに抱えたマッシュは、躊躇なくベッドに向かう。
「三日、我慢してた。兄貴、ずっと早い時間の予定ばっかり入ってるって聞いたからさ」
 耳元で低く囁くマッシュの声はすでに色付いていた。ゾクゾクと背中に走る震えに身悶えながら、エドガーは確かにマッシュが帰城してからの自分のスケジュールが普段より朝早い時間のスタートだったと思い起こす。
「俺、久し振りで絶対加減できないからさ……明日は余裕あるだろ? 兄貴のこと、めちゃめちゃに愛したい」
 掠れ声で囁かれて、エドガーの顔がサッと赤く染まった。
 焦れったさを体現したような仕草でベッドにどさりと降ろされて、覆い被さってくるマッシュの重みを受け止めたエドガーは、首筋を吸い上げられて仰け反りながらも口惜しさに歯噛みする。
(今日のパンツは履きやすさ重視の白の木綿だ……!)
 マッシュの気遣いが仇になろうとは。こんなことなら今日もしっかり気合を入れておくんだった──エドガーの後悔は、マッシュが下衣ごとつるんと下着を抜いてしまったことで割とどうでも良くなった。

(2019.12.30)