薄く開いた扉の向こうは部屋の奥に小さなランプが二つだけ置かれていて、暗い室内の四隅を丸く切り取ったようにぼんやりオレンジ色に照らしていた。
 ずらりと並んだベッドの上には全て凹凸があり、耳を澄ませば複数の寝息や微かな鼾が聞こえて来る。寝相の悪い少年の足がベッドからはみ出ているのを戸口から見つけたエドガーとマッシュは、顔を見合わせて微笑んだ。
「皆よく寝ているな」
 静かにドアを閉め、エドガーが小声で扉に立つ年若い兵士に囁いた。緊張と興奮で頬を紅潮させた兵士は上ずった声で「はいっ」と返答し、マッシュにしーっと人差し指を立てられた。
「年越しまで頑張るって言ってたのになあ。やっぱみんなダメだったか」
「まあ、仕方がないさ。一番年上のアニーでさえまだ九歳だ。良い子は寝る時間だな」
 緊張の面持ちで二人の会話を見守る兵士は、自身に話の矛先が向けられていないと分かっていながら機械的に相槌を打つ。目の前で話す国王と王弟に畏まった眼差しを注ぎ、しかしいざ二人が兵士に視線を向けると彼は石の彫像のように固まるのだった。
「じゃあ、見張り頼んだぜ。もし誰か起きちまってぐずったら遠慮なく呼びに来てくれ。俺はしばらく兄貴の部屋にいるから」
「遅くまで御苦労。交代の時間が来たらお前も酒を頂くといい」
「しょ、承知致しました! みっ身に余る光栄です!」
「しーっ」
 今度はエドガーとマッシュに同時に人差し指を立てられて、兵士が小さく縮こまる。苦笑した二人は頼んだよと手を振って、静かな廊下に靴音を響かせた。



「あと少しだな。あいつら、見張り塔からサウスフィガロの花火見るの楽しみにしてたのにな」
 普段より潜めた声でも無音の廊下にはよく響いた。マッシュの言葉にエドガーは小さく笑い、そうだな、と頷く。
「新年の花火は二年ぶりだからな。世界が崩壊して以来初めての花火だ、相当大きいものを準備しているそうだよ」
「へえ、そりゃ楽しみだな」
 マッシュも笑い、そして軽く後方を振り返った。すでに子供達が眠る部屋から歩いて時間が経ったため、ドアも見張りの兵士も見える位置にはいない。
 それでもマッシュはすやすやと眠る子供たち一人一人の顔を思い浮かべるように目を細めて呟いた。
「……あいつら、楽しく思ってくれてるかな」
「……ああ、きっと」
 並んで眠る子供達は皆、裁きの光で親を失った子だった。街の人々が助け合って子供達を世話しているが、復興支援でサウスフィガロを訪れたマッシュには彼らの表情にこびりついた影が気になって仕方がなかった。
 ケフカが討たれて一年、人々の暮らしも徐々に落ち着きを取り戻している。しかし親のいない子供の中には身寄りのない子も少なくなく、崩れた箇所を簡易的に補修した家で近所の大人から食料を分けてもらっている現状を見て、せめて年越しはフィガロ城に連れて来たらどうかと提案したのだった。
「明日はみんなでモチつきやるんだぜ。カイエンに教えてもらったんだ。あいつらきっと喜ぶぞ」
「モチか、一度振る舞ってもらったな。懐かしいな、あのアンコとかいう甘い豆もあるのか?」
「兄貴あれ好きだったよな。勿論用意してるよ」
「ふふそうか、子供達もきっと気に入るだろう。喉に詰まらせないよう注意してやらなくてはな」
 エドガーは頬を緩め、微笑みの表情のまま僅かに目線を落とし、靴音に紛れる程度の控えめな声でそっと口を開いた。
「……今日は一日子供達の世話をしてくれていたな。城に着いたばかりの彼らは不安そうな目をしていたが、すっかり笑顔になった。お前は俺に出来ないことを思いついて実践してくれる。……ありがとう、マッシュ」
 驚いて立ち止まったマッシュは薄明かりでもハッキリ分かるほど赤面し、照れ隠しに頭を掻く。
「な、なんだよ、改まって」
「ずっと言おうと思っていた。お前は常に俺にはない視点で民に寄り添い、彼らに夢と希望を与えてくれていた。これからのフィガロにはお前の力が必要だ……戻って来てくれて、ありがとう」
 マッシュに向かって軽く顎を上げ、穏やかな眼差しで真っ直ぐマッシュを見つめながらそう伝えたエドガーの言葉は静かな廊下に誠実に響いた。
 日頃面と畏まって兄に礼を言われることなどなかったマッシュは戸惑い、しかし気恥ずかしそうにしながらもエドガーの誠意に応えるべく姿勢を正す。
「……俺が街の人たち一人一人と顔を合わせて話を聞けるのは、兄貴が王様として国の土台を支えてるからだ。兄貴はこの国全てを動かさなきゃならない。分刻みのスケジュールで、みんなの声を一人ずつ聞いていたら国は止まっちまう。……この歳になってそういうのがようやく分かるようになった」
「マッシュ」
「フィガロだけじゃない、世界がこんなになっちまって兄貴は他の国の立場も全部考えなきゃなんなくなった。目が回る忙しさだってのに、兄貴はいつも穏やかで落ち着いてる。そんな兄貴が王様だから、みんな安心して明日のことを考えられるんだよ」
 今度はエドガーが擽ったそうに眉を寄せて小さく笑った。照れ臭いのを誤魔化すためか、繰り返される瞬きで忙しなく揺れる睫毛を眩しそうに眺めたマッシュは、少しだけぎこちなくなった空気を吹き飛ばすようににっこりと歯を見せる。
「だから、兄貴が出来ないことは俺がするよ。俺だって兄貴の仕事は出来っこないからな。俺が兄貴の力になれてるんなら、何より嬉しい」
「……そう、だな。これからもよろしく頼む、マッシュ」
 廊下ではにかんだ笑顔を向け合っていた二人は、ふいにガランガランと遠くから響いてきた鐘の音にハッと顔を上げた。
「こんなところで立ち話をしている間に新年の鐘が鳴ってしまったな」
「花火、始まってるぞ! 見張り塔行こうぜ、兄貴!」
 マッシュが差し出した手を数秒の間の後にしっかり握り返したエドガーは、晴れやかな笑みで頷いた。
 手を繋いで小走りに廊下を急ぎながら、エドガーは先行くマッシュに「明けましておめでとう」と囁く。
 振り返ったマッシュはにっこりと笑い、「今年もよろしくな!」と豪快に答えて、また前を見て進み始めた。
 繋いだ手は離さずに。

(2020.1.1)