疲れた時辛い時哀しい時、貴方はいつも涼しい笑顔を浮かべてほんの少し饒舌になり、俺の目を本当の姿から逸らそうと躍起になっていた。 俺の手を借りまいと両脚でしっかと立ち、伸びた背筋と前を見据える眼差しには微塵の隙もなかった。 俺はそれが歯痒かった。 「これでようやくひとつ片付いたな」 立てた書類の端を机上に落として整え、安堵の息と共に呟いたエドガーを振り返ったマッシュは笑みを返す。 「お疲れ様」 マッシュの暖かな熱がこもった言葉にエドガーは目を細め、黙ったままゆっくりと微笑した。それから軽く目線を落とし、独り言のようにぽつりと零す。 「……嫌な役目だったが、仕方あるまい。誰かがやらねばならないからな」 マッシュは何も言わなかった。否定も肯定もせず、応接用のソファに座ってエドガーに頼まれていた工具箱の部品整理を行いながら、耳と目はしっかり兄へ傾ける。 王の仕事に関しては口を出さないと決めていた。政治の是非など判断出来るはずもない。 ネジが時折カチャリと立てる音にエドガーは聴き入っているようだった。耳障りだと思えば兄は遠慮なく指摘するだろう。何も言われないうちはこの場での作業が了承されていると見なし、マッシュは黙々と手を動かす。 以前は執務室の立ち入りすらやんわりと拒まれていたマッシュが、今ではこうして入り浸るまでになったのは、ひとえにエドガーの心境が変化したからだ。 かつてティータイムにマッシュが執務室を訪ねた時、ノックをしてから返事があるまでにほんの数秒の不自然な間が空くことがあった。それはエドガーがマッシュを迎えるために気持ちと表情を整える時間であり、当時のエドガーにとっては必要なものだと分かっていたから、マッシュがその間について何かを問うことはなかった。 その間はだんだんと頻度が減り、なくなった。今は出入りだけでなく、始終同じ居室にいても咎められることはない。 「……マッシュ」 ふと呼びかけられた。静かな、遠慮がちな声だった。顔を上げたマッシュは、エドガーの眉間に皺を寄せた険しい表情を見て一度瞬きをする。 エドガーは机に肘をつき、指を組んだ両手で口元を隠すようにしてジッと正面を睨んでいた。 「……肩を。貸してくれないか。五分……、いや、十分だけ」 マッシュは摘んでいた部品を工具箱へ落とし、箱ごと脇へ避けて答えた。 「いいよ」 エドガーが指を解いて手を下ろし、マッシュに顔を向けて軽く口角を上げる。疲れた笑顔だった。 やや緩慢な動作で立ち上がったエドガーは、ソファで待つマッシュの元へゆっくり靴音を鳴らして歩いて来た。マッシュの前で立ち止まり、何か言いたげに数秒見下ろして、それでも何も言わずに隣に重力に引かれるがまま腰を下ろす。 二人の身体がソファのスプリングに合わせて揺れた。揺れが落ち着く頃、無言のエドガーがマッシュへ身体を寄せ、その逞しい肩にことんと頭を乗せた。 僅かに頭をずらして収まりの良い位置を見つけ、そこでエドガーの動きが止まる。ふう、と大きく溜息にも似た吐息が漏れたのを最後に、エドガーはその位置で項垂れ目を閉じ沈黙した。 マッシュも黙って目を伏せる。十分後に声をかけると決めて、唇を緩く引き締めた。 不機嫌さを隠さなくなった。気難しい表情で考え事をしている場に、マッシュがいることを厭わなくなった。 疲れた時に笑わなくなった。愚痴を零すようになった。その分、気持ちが落ち着いた後は作り笑顔ではない安らいだ微笑みを見せるようになった。 ずっと貴方の支えになりたかった。 俺は今、貴方の心の拠り所になれているだろうか。 |