キッチンに立っていると、決まって兄が邪魔しに来る。 「今日は何作ってるんだ、なあなあ」 背中にべたりと貼りついて、肩越しに手元を覗き込んでくる。身長差を補うために軽く背伸びでもしているのか、肩に顎が乗せられて若干重い。 「パンケーキだよ。リルムに頼まれた」 「あのふわふわのやつだな。俺の分もあるのか」 「ちゃんとみんなの分作ってるよ」 卵の白身をしっかりと泡立てメレンゲを作るのがコツだと、リルムの祖父であるストラゴスから教わった。言われた通りに作ってからは、度々リルムからまた作ってとリクエストされている。 「美味いよな、あれ。ストラゴスがよく作ってやってたんだろう?」 「最近あんまり作ってくれないってリルムが拗ねててさ。まあ仕方ないよ、これ結構腕が疲れるんだ」 「ふふ、お前なら修行にもなって一石二鳥だな」 エドガーが軽く笑った吐息が耳にかかる。ぞくっと竦みかけた肩を無理やり抑えて、マッシュは何食わぬ顔で混ぜ合わせた生地を焼き始めた。 焼き加減を見張りながら、新たな材料を取りに行くためマッシュはやんわりとエドガーを引き剥がす。今度はパンケーキに乗せるホイップクリームを泡立て始めると、またエドガーが背中に貼り付いてきた。 焼き途中のパンケーキをひっくり返して、ホイップを泡立てて、新しく生地を焼いて、また泡立てて、ひっくり返して、泡立てて。 ずっとくっついたままのエドガーの存在が正直邪魔である。重いし、暑いし、かと言って窘めたところでやめるような兄ではない。 そしてマッシュも嫌な訳ではない。一番の問題はそれかもしれない。嫌どころか、内心浮かれまくっている様子を表に出さないようにするのが難しいくらいに。 マッシュはエドガーが好きだった。弟としての家族愛だけでなく、一人の人として子供の頃から兄にずっと恋してきた。 十年ぶりに逢ったエドガーの王たる威厳と華やかさに、マッシュはもう一度恋をした。この十年で手に入れた力で、生涯エドガーを守り抜くことを心に誓った。 幸い兄弟であるからずっと傍にいるのは不自然ではない。エドガーがマッシュを遠ざけたりしない限り、一番近くで守ることは出来るだろう。そのためにはエドガーに気持ちを悟られてはいけない、気味悪がられたりしないように。 飽くまで弟として振る舞おうと努力しているのに、当の兄がこれである。 まず距離が近い。所構わず引っ付いてくる。ロックやセッツァーが呆れるたびに昔からこうだったと兄は言い張るが、二人とももう子供ではないのだ。 マッシュにとってはたまったものではない。好きな相手が過剰なスキンシップを仕掛けてくるのを日々耐えなければならないなんて、精神にまで修行を課せられている気分になる。 「マッシュ、そろそろひっくり返すんじゃないのか」 「分かってるよ。こっちの泡立てもこんくらいでいいかな……」 ホイッパーで最後のひと仕上げとばかりに大きくかき混ぜられたクリームが跳ねた。頬に冷たいものを感じたマッシュが飛んできたクリームを手の甲で拭おうとした時だった。 背中に貼り付いていたエドガーが、後ろからぐいっと顔を近づけてきた──と思った瞬間には、頬を温かな湿った感触が撫でていった。 驚愕の形相で振り返ったマッシュの目に、舌についたクリームをそのままぺろりと口に仕舞うエドガーが映る。硬直しているマッシュを前に、エドガーは事もなく「甘いな」と言い放った。 どっと全身から汗が吹き出す。恐らく顔も真っ赤に火照ったに違いないと顔を隠そうとすると、エドガーが呑気にパンケーキを焼いているフライパンを指差した。 「焦げてるんじゃないか?」 「あっ!」 慌ててエドガーから離れてフライパンに駆け寄り、顔色の変化を誤魔化す。最後の一枚が黒く焦げたことにがっかりするフリをして、額に浮かんだ汗をさり気なく拭った。 ──こんなの、身が持たない! うるさい心臓に静まれと命令しながら、マッシュはいつまで自分の忍耐が続くのかと先を案じて溜息をつく。 ──ちょっとやり過ぎだったか? でもこいつ鈍いからな…… マッシュの大きな背中を眺めながら、なかなか伝わらない想いに焦れるエドガーが唇を尖らせていた。 |