「エドガー、御機嫌ね」 ティナに声を掛けられた理由がすぐには分からず、食堂に向かう途中のエドガーは首を傾げた。 「その歌。楽しそうでいい歌だわ」 「歌? 何のことだい?」 「今歌っていたでしょう」 ティナに言われてエドガーは初めて自分が鼻歌を歌っていたことに気づく。何か特別なことがあった訳でもなく、自然と口ずさんでいたことに照れ臭くなってあれこれと言い訳を考えていた時、ティナが目を輝かせて尋ねてきた。 「何の歌?」 「え?」 そういえば、何の歌だろう? ──エドガーは思案する。唸るエドガーを前に、ティナの期待に満ちた眼差しが徐々に光を弱めていった。 「……分からないの?」 「ああ……、いつの間にか口ずさんでいたんだ。何の歌だったかな……」 首を捻っているエドガーへ、ティナが二、三度瞬きをして、何か思いついたように目を大きく開いた。 「その歌、前も何処かで聴いた気がするわ」 「そうかい? 何処かの町で聴いたんだったかな……」 二人は揃って首を傾げ、記憶を掘り起こしても出ない答えに頭を悩ませた。 謎が解けないまま、エドガーは再び食堂を目指す。 何のことはない、部屋で空にしたカップの中身を補充するために向かっているのだが、その途中でこのような謎に出会うとは。 前の町で立ち寄った酒場? それとももっと昔に聴いた曲の名残? 考えながらも、口は自然とその歌のフレーズを奏でている。 覚えやすく、耳に心地よい。恐らくは何処かでチラリと聴いた程度なのだろう、歌詞は無く、終わりがハッキリせずに同じところを繰り返して記憶している。 何度か歌っていると、歌にまつわる断片的な映像が一瞬頭を掠めた気がした。その時、 「あら、その歌……聴いたことあるわね」 食堂から出て来たばかりのセリスが声を掛けて来た。 「やあセリス。この歌、何の歌か分かるかい? 何となく口ずさんでしまうんだが、何処で聴いたものか思い出せなくて」 「さあ、何処だったかしら……、ついこの前、聴いた気がするのだけれど」 ついこの前──エドガーは遠い過去に聴いた歌の説を消して、再び考え込む。 「そうか。実はティナも聴いたことがあると言っていてね。大したことじゃないんだが、少々気になってしまって」 「私も気になって来ちゃった。いい曲よね。何の歌か分かったら教えてね」 「心得た」 セリスと別れてようやくたどり着いた食堂には、先客のカイエンが一人湯気の立ち上る茶を啜っていた。エドガーに気づいてニコリと目を細めたカイエンに軽く手を上げて応え、もしやカイエンならばと歩み寄る。 「やあカイエン。突然で悪いが、この歌を聴いたことはないか?」 目を瞬かせるカイエンの前で例のフレーズを口ずさむと、カイエンはにこやかな表情で何度か頷いてみせた。 「愉快な調べだが何処となく品がある。フィガロの古い伝承歌か何かですかな」 フィガロの名が出たことにエドガーは驚き、カイエンに尋ね返す。 「何故フィガロの歌だと思うんだ?」 「それは、……うむ?」 エドガーが開け放したままの扉の向こう、廊下から何か鼻歌が聴こえてくる。エドガーとカイエンは顔を見合わせた。 この声、この歌だ──全ての謎が解けた時、ひょっこり食堂に顔を出したマッシュが中にいるエドガーとカイエンを見て笑った。 「二人揃って何やってるんだ?」 「マッシュ。今の歌は?」 「ん? これ?」 マッシュが鼻歌を再開する。その柔らかいバリトンボイスはエドガーの記憶にある歌の断片と完璧に一致した。 耳馴染みの良いメロディーは二度も聴けば覚えてしまうほど親しみやすい。間違いなく以前マッシュが歌っていたものをいつの間にか覚えて口ずさんでいたのだと確信して、エドガーはやれやれと溜息をついた。 「その歌、何の歌なんだ? 前も歌っていただろう」 「拙者も何度かマッシュ殿が歌っているのを聴いたことがあるでござる。なのでてっきりフィガロに伝わる歌だとばかり」 「はは、そんな大層なもんじゃないよ。適当に作って歌ってたんだ」 マッシュの言葉にエドガーとカイエンは目を丸くする。再び気持ち良さそうに歌うマッシュの鼻歌を、エドガーは苦笑しカイエンは目を細めて聴き入った。 案外身近にいた作曲家の存在に驚きながらも、謎が解けたことでスッキリとしたエドガーは苦笑いを満足げな微笑に変えた。 「ティナやセリスと話していたんだ。何の歌だったろうって」 「参ったな、そんなにみんなの前で歌ってたかな? 全然意識してなかったよ」 食堂から戻る道すがら、エドガーとマッシュは並んでマッシュの鼻歌について談義を交わす。 「歌っていたんだろう、俺だって気づかないうちに覚えていた」 「カイエンでさえ知ってたもんなあ」 ふと、前方から小走りにやって来るガウの姿が見えた。手を上げた二人にガウは歯を見せて笑った後、楽しげに鼻歌を歌いながらその脇を駆け抜けて行った。 そのメロディーが渦中のものであることに気づいたエドガーとマッシュは、顔を見合わせて笑った。 |