マエド365題
「23.拗ね拗ね」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/ ご自由にどうぞ365題)


 生あくびをこらえながら向かった食堂にて、セッツァーがいつもの席の椅子を引く。
 先客の一人、エドガーがその斜め前にすでに腰を下ろしており、セッツァーは朝の気だるさを隠さずに声をかけた。
「おー、おはよう」
「……おはよう」
 何処を見ている訳でもなかった目線を思わずエドガーに向けた。
 低血圧のセッツァーの挨拶にも増してエドガーの声が低い。心成しか普段より表情も乏しく見えることにセッツァーが眉を寄せた時、二人分のカップを持ったマッシュがやって来た。
「セッツァー、おはよう! ……兄貴、はい、カフェオレ」
「……ああ」
 マッシュが目の前に置いたカップをチラリと見たエドガーの反応が薄い。いや、それだけではなく微かな不機嫌オーラが滲み出ている。
 珍しい、とセッツァーが眉を持ち上げた。──この年がら年中べたべたくっついてる兄弟が喧嘩でもしたか。
 マッシュは苦笑いして、セッツァーの隣の椅子を引きながら説明し始めた。
「ごめんな、朝から。俺がヘマしちまって」
「なんだ、珍しいな? 何やらかして怒らせたんだよ」
「おはようのキス忘れちまって、兄貴拗ねてるんだ」
「お前のそのど正直なところ恐れ入るわ」
 セッツァーがこの兄弟と同じ時間に食堂に来てしまったことを心底後悔しているのをよそに、エドガーは日頃の優雅な仕草を捨ててぱくぱくと味も分からない雰囲気で食事を進め始めた。
「日課を忘れるなんて……修行のメニューはきっちりこなす癖に俺とのキスは忘れる程度のものだということか」
 独り言のように恨み節を呟きながら朝食を摂るエドガーに対し、マッシュが弱り切った調子で弁解を試みる。
「そんな訳ないだろ、今日はちょっと寝坊して髭剃る時間なかったから! 兄貴髭長いの嫌がるし」
「キスなんか一秒もあれば出来るだろう! それをお前がサッサと食堂に向かおうとするから……!」
「だっていつもじっくり時間かけるから、朝飯食ってからの方がいいかなって……!」
「お前ら俺が同じ空間にいること分かっててやってるんだよな?」
 この場にいるのが彼ら兄弟とセッツァーのみなのは良かったのか悪かったのか、セッツァーの心労など気にも留めずにエドガーは不貞腐れ、マッシュは困って眉を垂らす。
 よくもまあこんなくだらないことで揉めるものだとすっかり呆れて、セッツァーは自身の食事に集中することにした。三者それぞれ無言で朝食を進め、気まずい空気の食堂には時折フォークが器に当たる音が響くのみとなった。
 本日のメニューはスープにサラダ、バゲットにハムとゆで卵、そしてナッツが三種類ほど混じった小鉢が添えられている。
 ナッツの中にマッシュの好物であるクルミを見つけたセッツァーは、普段食事メニューにクルミが並んだ時は必ずエドガーがマッシュに自分の分を譲ってやっていたことを思い出した。
 さてどうするかと横目で動向を伺うと、エドガーは食事の最後に残った小鉢をジッと睨んでいる。対面ではマッシュがやや期待のこもった眼差しを向けているが、あえてそれに気づかないようにしているのか、エドガーは顔を上げないままおもむろに小鉢を手に取ってその中身を一気に口に放り込んだ。
 凍りついたマッシュの表情を一生忘れることはない──忘れたくても忘れられない、とセッツァーは隣で戦慄した。
 流石のエドガーもマッシュのあまりの落胆ぶりにはっきりと動揺していた。先程まではマッシュがエドガーの機嫌を取ろうとしているように見えたが、すっかり立場が逆転した今はエドガーが狼狽えながらマッシュにどうアクションを起こそうか考えあぐねている。
「あ……、……マッシュ……」
「……いいよ、別に……、元々、兄貴の分だもんな……」
 今にも泣き出しそうなマッシュの強がりを聞いて耐えられなくなったのか、ガタンと椅子から立ったエドガーがマッシュの傍に回って膝をつく。力なく垂れていたマッシュの腕を取り、強く握り締めてマッシュを見上げた。
「……すまん、俺が大人気なかった……。いつもクルミはお前にあげていたもんな、悪かった……」
「……いや、元はと言えば俺が大事なおはようのキスを忘れたから……ごめんな、兄貴……」
「もういいんだ。お前の言う通り、キスは食事の後だってゆっくり出来るもんな……」
「はいはい、トレイ片付けといてやるから続きは部屋に行ってやりましょうね!」
 割って入らねば自分の精神を守れないと判断したセッツァーは、食堂から追い立てるように双子を急かす。自分よりも長身の男たちがイチャイチャと指を絡めてなかなか進もうとしない中、必死で分厚い背中を押し続けた甲斐あってティナとセリスが食堂に現れた頃には傍迷惑な兄弟は部屋に戻った後だった。
 今度先客があの二人しかいない時は引き返そう。心に誓って、セッツァーはエドガーとマッシュのトレイを黙々と片付けた。


 部屋に入るなり、我慢出来ずに唇を合わせた二人は長いキスの後に顔を見合わせて小さく笑う。
「……クルミの味がする」
 嬉しそうに呟いたマッシュが再び顔を近づけるのを、うっそりと見惚れていたエドガーは目を閉じて迎えた。

(2020.01.30)