マエド365題
「30.うとうと」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/ ご自由にどうぞ365題)


 威勢の良い掛け声と共に飛んだり跳ねたり忙しなく動く小さな身体と、その獣のような動きを受け止めたりいなしたりして実に活き活きと相手をする大きな身体を交互に目で追って、珍しく草むらに胡座をかいてぼんやりと座り込んでいるエドガーはひとつ生欠伸をした。
 天気の良い午後だった。留守番組の全員が飛空挺でじっとしている訳はなく、手合わせしようと外へ飛び出したマッシュとガウにこうして付き合っているエドガーは、本当は二人ほど暇ではなかった。
 部屋に戻れば城から持ち込んだ書類が待っている。考えなくてはならないことも山ほど。しかし今日のような麗らかな天気の中、一人机に向かっているのも物寂しいというか、端的に言うと損をしている気分になる──エドガーは一見手持ち無沙汰にも見えるような呆けた表情で、ただ黙って二人を眺めていた。
 有事の時とは言え、連日気を張り詰めていればいつか限界が来るだろう。幸い草原で跳ねているのは外面を気にしないガウと、気心の知れたマッシュだ。
(レディたちがいなくて良かった)
 自身のプライドに従うなら、とても女性陣には見せられない間の抜けた顔でひたすらのんびりと時を過ごす。一番贅沢な時間の使い方かもしれない、そんなことを思いながら、口すら覆わずエドガーは大欠伸をした。
 それにしても長閑なものだ──日差しの暖かさが眠気を誘う。鳥は歌い草木は風に揺れ、近しい人の笑い声が聴こえる。今が戦の最中だということを忘れてしまいそうだと、エドガーは連発する欠伸のせいで目尻に滲んだ涙を拭った。
 このままごろりと横になるのは流石に気を抜きすぎだろうか。横たわればすっかり眠気に取り込まれて、深く意識を沈めてしまうだろう。近くにマッシュがいるのだからそれでもいいかという思いと、流石にそこまで腑抜けていてはもしもの時に動けないかもしれないという懸念が喧嘩をした。
 眠気を主張するエドガーが清々たる青空の下にベッドを用意した。今すぐ潜り込めばこれ以上ない至福の時を約束しようというエドガーに対し、慎重なエドガーが腕を引いてくる。今この瞬間にモンスターが現れたら枕で戦うつもりか、せめて身体は起こしていろと説得を始めた。
 一際大きなガウの声でエドガーはハッと頭を上げた。どうやら渾身の一撃をマッシュに受け止められたらしい。──いかん、妙な夢を見ていた。これは部屋に戻って仮眠すべきか、しかしこういう眠気は数歩歩けば覚めてしまうものだよなあと溜息混じりの欠伸をもう一度。
 今この気怠さを抱えて眠ってしまいたい。タイミングを逃せば得られるはずだった心地良さは失われるだろう。とはいえそれを甘受して良いのかという問題があるからたかが眠気ひとつでこんなに葛藤している訳で。
 まあ寝てもいいんじゃないか、とマッシュが朗らかに言った。いつも頑張ってる兄貴なんだから居眠りくらい大丈夫だと。しかしその横でガウが仲間のみんなにエドガーがひるねする、くさっぱらでヨダレたらしてイビキかいてるぞと大声で知らせようとする。それはやめてくれないかと懇願するエドガーの両腕を、それぞれベッドに誘うエドガーと喝を入れるエドガーが引っ張った。
 マッシュの大笑いでエドガーはビクリと全身を震わせ目を開いた。──ダメだ、また夢を見ていた。
 一体何が可笑しいのか、マッシュは右手でガウを指差し左手を折った膝に乗せて、今にも崩れそうな身体を支えてまで激しく笑っている。ガウが膨れて何事か言い返しているようだが、なんだかそれも美味しそうに見えてきた。……美味しそう? いやそれは変だな、美味しいのはマッシュの方だよな……


 サクサクと耳に優しい草を食む音の後、しいっと相手に沈黙を促す息遣いが聞こえてきた。
「毎日仕事や戦闘で疲れてるからな。このまま寝かせといてやろう」
「ここで?」
「ここだと陽射しが眩しすぎるな」
 いやいやまだ眠ってはいないんだよ。耳の中にぬるりと飛び込んで脳に沁み渡るような低く穏やかな声に対して反論するが、不思議と声が出ない。
 膝の下に控えめな圧力を感じたと思った瞬間、身体が宙に舞った。今度は空を飛ぶ夢かあ、などと口の中で音もなく呟きながら、尻が地に着いていない覚束なさに不安を感じて、頭に触れる柔らかで厚みのありそうな熱にぐりぐりと額を擦りつけると、背を支える腕が少し動いて側頭部をポンポンと叩いてくれた。
「ひくうてい、もどるのか?」
「いや、そこまで運んだら起きちまいそうだな。日陰に連れて行こう。ガウはそろそろおやつの時間だろ、先に戻っててくれ」
「わかった!」
「あ、ガウ待て」
「がう?」
「みんなにはここで兄貴が寝てることはナイショな」
「なんでだ?」
「なんでもだ。じゃあな」
「うー、わかった、がう!」
 元気に返事をした声がそれを最後に聞こえなくなった。いいこと言うじゃないか、分かってるなあ。まだ身体は揺りかごに揺られたままゆらゆらと空を旅して、これは天国にでもいる夢かねと笑みともつかない複雑に歪めた唇を見たのか、愛しさを零したようなフッという鼻の奥で笑う吐息が上から降って来た。
 戦場ではないので軽装備であるが、肌の露出は多くない。それでも僅かに出ている顔や首筋、手の甲に当たる空気がふいにひんやりと冷えた。
 いつのまにか頭髪もそれなりに太陽の恩恵を得ていたようで、冷えた空気に包まれてスッと頭も冴える。とはいえ夢現の狭間からすんなり逃れるほどではなく、気づかないうちに汗ばんでいた身体がより涼やかで快適になった程度で、未だエドガーは空の旅を楽しむことに執着した。
 ゆったりと身体が振られ、近づく地面の気配に抵抗したエドガーは揺りかごにしがみ付く。苦笑が聞こえ、揺りかごごと地に腰を下ろすことで決着がついた。
 冷えた外気は快適さと共に物寂しさも連れてきた。傍にある揺りかごだったものの熱を求めて身体を寄せると、背中に当てられていた腕が応えるように更にグッと引き寄せてくれて、エドガーは安堵の息を漏らす。
 もう目を抉じ開ける気力はない。鳥は歌い草木は風に揺れ、安心する匂いに包まれて寒さも知らず危険もない。時折風に煽られた前髪を誰かの指がちょいちょいと直す程度で、身動ぎせず騒がしい喧騒から外れてただ穏やかに、生温い夢の続きへ完全に潜り込む前に、大きな欠伸を最後にひとつ。


 日暮れ前に優しく揺り起こされた時、目の前にあるマッシュの顔を見ながらこんなにも健やかで心地良い目覚めがあるものかとエドガーは驚き、笑った。

(2020.02.27)