マエド365題
「31.頑張ったね」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/ ご自由にどうぞ365題)


 鏡に向かって一度瞬きし、そっと右手の指で片方の瞼を上に押し上げる。大きく見開いた瞳の中央へ、左手の親指と人差し指を重ねて近づけ、眼球の真ん中にある赤銅色の円に優しく触れると、ごく弱い力を込めて摘んだ。
 ごく薄い硝子のような小さな円が指先に残る。赤銅色だった瞳は、太陽を真南に据えた快晴の空を思わせる青色に変わっていた。
 反対の目からも同じように赤銅色の硝子を外し、両目とも澄んだ青を取り戻した瞳をやや多めの瞬きで潤わせ、鏡の中の顔を見つめてフッと息を吐く。僅かに下がった肩はすぐに張りを取り戻し、背筋を伸ばして身を翻した。
 カツカツと硬質の音を立てながら床を蹴り、目当ての場所で立ち止まった後は、あちこちに擦れた跡が残ってすっかりくたびれたブーツを豪快に脱ぎ捨てる。同じく埃が目立つ衣服も上から下まで全て取り払い、最後に緩く編んであった鈍色の髪から留め具を外すと、ドアを開いてバスルームに滑り込んだ。
 水の音が止んで少し後、ドアの向こうから現れた頭は鈍色から蜂蜜色に変わり、濡れそぼった長い髪から水的を滴らせていた。タオルを被り、一見乱雑に見える手つきで頭髪を擦るが、最後に髪の先端まで丁寧に包み優しく叩いて水を落とすと、金の髪は艶やかに輝いた。
 時間を惜しむように脱ぎ捨てたものの脇を急ぎ通り過ぎる。クローゼットから新しく取り出した衣服は、それまで身につけていたものがどれも目立たない暗めの色だったのに対して、目の覚めるような紺碧が基調となっていた。
 肩当てに取り付けられた鮮やかな青のマントには金の房が踊り、最後にまだ湿り気の残る金の髪をひとつに纏めて留め具をつけ、垂らした長い髪の途中にマントと同じ色のリボンを結んで、再び鏡の前に立ったその姿は最初とは別人のように豪奢な王のそれだった。


 私室を出ると、ドア斜め向かいの対面の壁に背を凭れさせたマッシュが腕組みをして目線を下に落としていた。
 ドアが開く音、もしくは高らかな踵の音で顔を上げたマッシュは、部屋の主を迎えて静かに微笑む。
 後ろ手にドアを閉めたフィガロの国王エドガーは微笑を返した。安堵を多分に含んだ笑みだった。それは無事に地中に埋まった城を浮上させられたことへの感情よりも、心を偽ることなく素直にマッシュに笑顔を向けられる安心感から出たものかもしれなかった。
 マッシュが黙って腕組みから片腕を解き、胸を開くように差し出してきた。一瞬目を丸くして立ち止まったエドガーは、すぐに察して眉を下げたほろ苦い笑みを零し、その胸に歩み寄る。
 マッシュの腕はエドガーの頭を捉え、グッと厚い胸に押し当てた。額に強く感じる熱と、力強い鼓動がエドガーを酔わせた。
 瞼を下ろして生命力に溢れた優しさに浸り、そっと緩んだ手の力に合わせて顔を上げたエドガーは、マッシュと同じ色の瞳を見合わせて不敵に笑う。
「行くぞ」
「おう」
 握り拳を交わし、王の横顔を尖らせて足早に踵を鳴らすエドガーの後ろを、よく似た笑みを携えたマッシュが続いた。

(2020.02.29)