前半:壮年期の双子
後半:「あんな頃」の双子


 天気の良い午後、珍しくぽっかりと空いた時間で一緒に中庭でも歩かないかと自主鍛錬中のマッシュを誘うと、丁度区切りの良いところだったとにっこり笑って答えてくれた。間近で見ると笑い皺が増えたなとは思うが、年の割に相変わらず若く逞しい姿は純粋に羨ましく誇らしい。
 タオルを肩にかけたマッシュの隣を遅めの歩調で進み、植え込みに沿って角を曲がりかけた時、ふと争うような男女の声が聞こえて来た。マッシュと顔を見合わせ、思わず身を隠すように腰を屈めて植え込みの陰から様子を伺うと、見覚えのある騎士と女官が何やら揉めている。
 立ち去ろうとする女官の腕を掴んで離さない騎士が、力任せにその腕を引き寄せ半ば無理やり女官に口付けた。暴れかけた女官が動きを止め、やがて大人しく騎士の腕に収まる。やや乱雑ではあったがどうやら和解できたらしい。
 肩を寄せ合ってその場を去る二人の姿が見えなくなってから、ようやくマッシュはふうと息をついて背伸びをした。どことなく気まずい様子で目を泳がせているマッシュを横目で見て、にやりと笑いかける。
「俺たちもあんな頃があったなあ?」
「ん……」
 触れられて欲しくなかったのか、曖昧に返事をしたマッシュにまた少し笑ってしまって、今度は照れ隠しなのか怒った目を向けられた。それがまた可笑しく感じてしまう。
「恥ずかしがることないだろ。俺はあれでお前に惚れ直したんだから」
「もう、あんまり言わないでくれよ……」
「ちょっと強引なくらいの方がお前の男っぷりが上がるんだがなあ」
「だから、もういいって」
 マッシュの耳が赤い。タオルでわざとらしく顔を拭いて隠そうとしているが、奥手の弟はこういった話になるとすぐ逃げ道を探そうとする。
 もっと力強く掻き乱されたいと思いながら、随分と年を取ってしまった。優しい弟が思い切れないのは今更で、それでもここぞという時はしっかりとこの腕を掴んでくれることは知っているので、もう不安に思うことはない。
 とはいえ、時々刺激が欲しくなるのは否めない。
「たまに俺たちも喧嘩してみるか? マッシュ」
 マンネリ打開の提案にマッシュが冗談じゃないという顔で振り返り、その頬の赤さにまた笑ってしまった。


 *


 興味がないなら無理をするな、と精一杯冷静なフリをして穏やかに告げたつもりが、目の前の弟はそうとは受け取らなかったらしい。苦々しい表情を崩さないマッシュにこれ以上無用な気遣いをさせまいと、何でもないことのように笑ってみせたのだが、マッシュの目は厳しいままだった。
 想いを受け入れられたと勘違いをして、浮かれて逆上せ上がったのは自分の方だ。思い起こせばマッシュは一度も自分への愛を囁いたことはなかった。恐らくは傷つけまいと自分に合わせてくれていた、その優しさが今痛くて苦しくて仕方がない。拒絶された方がどれだけマシか。
 もう一人でこの部屋を訪れるのはやめようと決意して、マッシュの横をすり抜けドアに向かおうとした。が、後ろから腕を強く引かれて動きが止まる。振り向けば相変わらず思い詰めた眼差しがそこにあって、胸が軋む音を立てる。
「……放してくれ。自分の部屋に戻るから……」
 目が潤みそうになるのを必死で堪え、声が上擦らないようにできるだけ平静さを保って告げた。しかしマッシュは掴んだ腕を放さない。
「……ダメだ。兄貴、勘違いしてる」
「何も違っていない……俺はお前を無理に付き合わせたい訳じゃなかった」
「俺は無理なんかしてない」
「……嘘だ」
 腕を取り返そうと力を込めるが、マッシュの方が上手なのは覆るはずもなかった。同情で引き留められていることがたまらなく惨めになって、装おうとしていた冷静さが失われていく。
「……俺は! お前の近くに居られるならそれで良かったんだ! 俺のために無理をして、同情してもらいたかった訳じゃない!」
 振り解こうと本気で暴れたその腕を、押さえつけていた手がふいに離れた。求めていたはずの自由に酷く胸が痛んだ瞬間、マッシュの大きな手が両肩を掴んで捉え、引き寄せられるがままに強引に口付けられて目を見開く。また同情で、と哀しみに染まりかけた心を抱き込まれるような深い口付けだった。
 唇が離れた後の余韻もなく抱き締められ、厚い胸に顔が埋まり身動きがとれない。耳に唇を寄せたマッシュが、絞り出すように吐き出し始めた。
「同情なんかじゃない……、俺は、俺は……このまま兄貴を好きになり過ぎて、メチャクチャに壊しちまうんじゃないかって……怖いんだ」
 息が苦しい程の力で抱き竦められてうまく声が出ない。ここまで強く抱かれたことはなかった。いや、その前の口付けだって。いつもマッシュは遠慮がちに触れるばかりで、こんな奪うような力強さを見せたことなど一度もなかった。
「俺の気持ちをぶつけて兄貴を潰しちまうのが怖い……不安にさせたい訳じゃないんだ……」
 耳から流れ込む苦しげな囁きと、背骨が軋むような抱擁に息ができない。硬直していた腕をやっとの思いで動かし、かろうじて自由になる肘から下を曲げて怖々マッシュの腰に触れた。
 マッシュ、と掠れた声で呼びかける。この位置では顔が見えなくて不安が完全には消えてくれない。気づいてくれたのか、腕の力を緩めてくれたマッシュに今度は両手で顔を包まれ、掬い取られるように顎を上げさせられる。
 切なく寄せた眉の下、青い瞳が真っ直ぐに偽りのない光を注いでくれていた。
「……愛してるんだ。本当だよ。大切過ぎて、どう触れていいのか分からない……」
 押し殺した優しい声が胸を包み、遂に堪えていた涙が一雫零れ落ちた。
「俺は……俺は、お前に、滅茶苦茶にされたい」
 震える声で呟くと、再びマッシュが彼らしからぬ激しさで口付けをくれた。全てをその強さに任せるために、両腕で広い背中に縋り付いた。

(2017.10.26)