再会10題より(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)


1.美化しすぎかと思った記憶は逆だったらしい

 記憶の中の兄貴はいつも後ろ姿で、時折振り返ってはちゃんと俺がついて来てるか確認してくれていた。その横顔はいつだって凛々しくて、頼もしくて、何よりも優しくて、俺は振り向いてもらいたくて必死で大きな背中を追いかけていた。兄貴はずっと俺のヒーローだった。憧れの人だった。
 師匠のお供をした酒場で、初恋話に盛り上がる集団の近くに席を取った。曰く、初めての恋を美化し過ぎて、久しぶりに会った相手の現在とのギャップに悪い意味で裏切られたとのこと。記憶の中の美しい姿のままでいて欲しかった、と勝手なことをわいわいと話している。
 兄貴と別れてから十年経った。俺の中にいる兄貴はいつだって強くて頭が良くて、王位を継ぐに相応しい落ち着いた眼差しがとても美しい人だった。下町で色々な人と出逢ったが、あの人以上に綺麗な人はいない──そう断言してしまえるのも、美化された記憶の中に完璧な兄貴の姿を造り上げてしまっているからだろうか。そんなことをぼんやりと考えた夜から数ヶ月。
 思いがけなく再会した兄貴の背中は記憶よりも小さくて、追いかけずとも隣に並ぶことができて、だけど記憶なんか目じゃないくらいに凛々しく頼もしく優しく、胸を焦がす程に綺麗だった。



2.変わった、いや変わってない…やっぱり、変わったな

 まさか弟を見上げて話す日が来ようとは──再会から一日経っても驚きは消えず、胸の中で常に自分を励ましてくれていた存在がこうも逞しく成長したものかと改めてその姿を見つめる。
 弟が城を出たのは十年も前。あの頃はまだ自分の方が全てにおいて一回り大きくて、最後に固く握手を交わした手は震えて腕も細く、抱擁した身体も薄っぺらで頼りなかった。よく熱を出す子が無事に夜の砂漠を一人で越えられたのかが心配で、夢に魘される日も一度や二度ではなかった。
 それがどうだろう、今目の前で食事の支度をしている弟は自分より首も肩も腕も太く、大男と呼んでも誇張ではない高い身長と隆々たる筋肉を纏って見事に身体を鍛え上げていた。まだ信じられないが、こちらの視線に気づいてニコリと笑う優しく無邪気な笑顔は昔と全く同じ。その見た目とは裏腹の愛らしさに思わず顔が綻ぶ。
 傍に寄ろうと歩きかけた足が小石を踏み、バランスを崩した身体を素早い動きで飛んで来た弟に支えられた。驚いてその厚い胸に掴まったまま弟を見ると、弟は落ち着いた微笑みで大丈夫かと尋ねてきた。その目にどきりと心臓が音を立てる。
 ああ、やはり弟は変わった。この身体を預けるに余りある大人の男になったのだ。



3.思い出話をすれば昔に戻ったようで

「それにしてもホントに同じ顔なんだな。背格好はかなり違うのに」
 朝食の席で向かいに腰掛けたロックが、俺と兄貴の顔を交互に見ながら感心したように眉を上げて呟いた。思わず隣の兄貴を見ると、同じくこちらに顔を向けた兄貴と目が合った。
 兄貴は軽く笑ってロックに向き直る。
「そりゃそうだ、双子なんだから。子供の頃は身体つきも似ていたからな、親父以外は見分けがつなかったらしい」
「よく服とか取り替えっこして皆を騙したよな」
「ああ、大人しいお前が塀に登ったり甲冑を倒したりしたと女官が大騒ぎしていたなあ」
「酷いよ、俺の格好で悪戯ばっかするんだから」
「だから面白いんだろう」
 懐かしい思い出話につい頬が緩んでしまう。兄貴の笑顔も穏やかで楽しそうで、まるで子供の頃に戻ったようだった。こんな風に笑い合える日が再び来るだなんて本当に夢みたいで胸が詰まる。
 ロックはまじまじと俺たちを見つめ、ニヤリと笑って呆れたように口を開いた。
「ホントに同じ顔で笑うんだなあ」
 子供に返ったみたいな悪戯っぽい目で兄貴がロックにウィンクし、俺を見て微笑んだ。



4.君の中ではもう過去のこと?

 新しい仲間ともすっかり慣れた様子の弟は、ロックはともかくティナに対しても実に自然に振舞って、モンスターとの戦闘では装備の少ない彼女をさり気なく気遣っているように見えた。ダンカンの元で修行三昧だったと聞いた身としては、この変化は意外に感じた。かつての弟は引っ込み思案で特に女性相手にはとことん奥手であり、自分から話しかける姿など見たことがなかったのだ。
 ティナに対しても気後れすることなく接している弟を見ていると、本当に心身共に成長したものだと感慨深くなってしまう。小さな頃は泣き虫で常に自分の後ろをついて回っていた弟が、何もかも一人でこなして誰かを守る余裕を見せるだなんて、この十年どれほど努力してきたのだろう。
『おれ大きくなったらあにきとケッコンする!』
 そんな頃もあったなあと苦笑して、随分と昔のことを思い出した自分に照れ臭さを感じつつ、今もまたティナの荷物を持とうと気配りを見せている弟を眺めて目を細めた。
 ──ひょっとしたら、いつも自分を第一に慕ってくれていた弟が独り立ちしたことがほんの少し淋しいのかもしれない。弟離れが出来ていないと言うことか、と自嘲して、胸の中で過去に指切りをした約束にそっと蓋をした。



5.冗談交じりに打ち明けた、僕の秘密

 リターナー本部にて、自分には若干小さめに感じるベッドに腰を下ろし、ようやく兄貴とゆっくり向かい合う。お互い疲れを感じていたのか、同じタイミングで溜息が漏れて思わず笑い合った。
「疲れただろう、ずっと戦い通しだったしな」
「兄貴こそ、山歩きは慣れなかっただろ。大丈夫か? マッサージしてやろうか」
 本気で提案したのだが、冗談と受け取ったのか兄貴は高らかに笑い出した。
「はは、お前の力ならさぞや効きそうだな。だがどうせなら麗しいレディにお願いしたいものだ」
「相変わらずだな、兄貴は」
「お前こそ、随分女性に自然に接するようになったじゃないか。十年で色々覚えたみたいだな」
「ティナのことか? 仲間だからな。兄貴みたいなのは苦手だよ、興味ない」
「……恋人くらい作らなかったのか」
「一度も」
 隠していた訳ではないが、堂々と言うことでもないと思い戯けた調子でそう答えると、兄貴は軽く瞬きをして何処かホッとしたような顔になった。そう言う兄貴はどうなんだ、城にいい人でもいるのか──喉まで出かかった言葉は何故か口の中で引っかかり、そのまま笑って誤魔化した。



6.お互いのイマ

 恋人などいたことがないと答えた弟の言葉に何故かホッとしている自分がいて、己の器の小ささに情けなくなってしまう。弟ばかりに妙な告白をさせて申し訳なくなり、できるだけ平静を装って軽く告げた。
「まあ、俺も似たようなものだな」
「嘘だろ」
 間髪入れずに信用されていない目で返されて、弟の中の自分のイメージに苦笑いが浮かぶ。
「国王もなかなか暇じゃなくてね」
「声はかけるけど?」
「それは礼儀だからな」
 当然とばかりに答えると、弟は笑った。その顔もまた何処かホッとしているように見えて、案外お互いに同じような気持ちでいるのかもしれないと目を細め、そこで会話が途切れた。
 訪れた沈黙の中、十年逢いたくてたまらなかった弟を前に、国王としてではなく、ただ一人血を分けた家族として気を張らずにいられる相手が今ここにいることの有り難さに改めて感謝した。
 二度と逢えないかもしれないと覚悟した、あの日の自分はこんな夜を想像することができなかった。逞しく成長した弟の目に、今の自分はどう映っているのだろう……。



7.昔も今も、君は僕の心など簡単に奪ってしまうのだ

 ふと口を噤んだ兄貴が、じっとこちらを見つめてじりじりと目を細めていった。薄っすら上がった口角に優しさ溢れる眼差しは兄貴が昔からよく見せる大人びた表情と面影が一緒で、だけど本当に大人になってしまった兄貴が同じように微笑むとあの頃よりもずっと気高さが増していて。
 綺麗だなあと改めて思った。この人を守れるような男になると誓って城を出た、あの日の自分ごと心を掬い取られてしまうようだ。
 兄貴の形の良い唇が薄く開き、穏やかな声が囁くように響いてくる。
「いい男になったな、マッシュ」
 ドキッと胸が竦むような感触があった。兄貴に他意がないことは分かっている。この十年の修行で強くなった自分を認めてくれただけだ。
 だけど兄貴の初恋がグウィネヴィアであるなら、俺の初恋は間違いなく兄貴だ。年が一桁の頃なんて本気で結婚しようと思っていた。大きくなるにつれてそれがおかしなことだというのは理解したけれど、初恋の人が特別なのは変わらない。
 兄貴の言葉ひとつでこんなにも心が浮かれてふわふわする。身体は随分成長したと自負していたが、精神修行はまだまだのようだ。曖昧に笑い返して、気恥ずかしさに兄貴から目を逸らした。



8.焦れったい空回り

 やや不自然に目を逸らした弟を見て、言い方が不味かったかと内心焦る。いきなりいい男だなんて言ったから変な意味に捉えられたかもしれない。もっと他に言い様があっただろうか? 強くなったな、とか?
 でも弟は強いだけじゃない、他者を気遣う優しさもしっかりある。それに弟は昔から強かった。身体が伴わなかっただけで、揺らがない意志を持つ芯の強さ、決してへこたれない心の強さ、どれも小さい頃からマッシュが備えていた誇るべき長所だ。今更ではないか。
 とはいえ同性の兄弟に言われて嬉しい言葉ではないだろう。どう取り繕ったものか。
「……本当だぞ。今のお前ならレディたちが放っておくまい」
 おや、また弟の顔が曇った──ように見えて、うまい褒め言葉が見つからない自分に焦れる。もう自分が振り返って追いつくのを待たなくとも、その鍛えた拳で自ら道を切り拓けるような一人前の男になったのだとうまく伝えるにはどう言えばいいかと考えて、……もう弟は自分がいなくとも一人で何でも出来るようになったのだと気づき、そこはかとない淋しさが胸を覆って、ますます何と言えば良いのか分からなくなってしまった。



9.成長とは恋に臆病になることなのか

 兄貴が何だか落ち着かない素振りで言い直した言葉に、ショックを受けた自分に気づいた。子供の頃からそうと自覚はあったが、自分は女性に興味がない。優しい人や上品な人に好ましい感情は持つけれど、胸のときめきには繋がらない。
 この胸を揺さぶるのはいつだって目の前にいる人ただ一人で、改めてそれを思い知らされてしまった。もう誤魔化しようがない。自分が放っておかれたくないのは数多の女性ではない。血の繋がった唯一信頼できる家族である兄貴さえ傍にいてくれれば、兄貴さえ守ることができれば自分はどんなことだって出来るのだ。
 だけどお互い大人になって、冗談めかしてでもそんなことを伝えようものなら気味悪がられても仕方がないだろう。子供の時は結婚しようとまで無邪気に誓い合えたのに。小さな小指を絡めて笑い合った約束はきっと兄貴はとっくに忘れて、口ではああ言っていたが女性経験だってゼロではないだろう。誰かを抱き締める兄貴を想像するだけで腹の中がどす黒いものでいっぱいになる。
 自分のものにしたい、でもできない。嫌われるのは兄貴が誰かのものになるより怖い。はっきりとこれは恋や愛の類なのだと、認めてしまうのも怖かった。



10.ここから始まる新たな関係

 隠し切れない気まずい空気を恐らくは同じタイミングで解消しようとしたのか、エドガーとマッシュは同時に顔を上げて声をかけようとし、合ってしまった視線にまた戸惑った。
 エドガーは弟を困らせたくはなかった。十年前よりずっと頼もしくなった弟の成長を喜びつつも、いつも後をついて回っていた弟が自分を必要としなくなることに淋しさを感じてもいた。
 マッシュは兄に嫌われたくはなかった。十年前から仄かに抱えていた想いを再認識し、凛々しく気高い王に成長した兄の力になりたい意志は強く有れど、それ以上の気持ちを持て余してもいた。
 目を見合わせた二人は、多少の距離があったにも拘らずお互いの瞳の中に自分自身が映っているのを見たような気がした。その表情は目の前にいる人と全く同じもので、すなわち二人は何もかも一緒の顔をして見つめ合っているのだと思い当たり、照れ臭さに笑ったのも同時だった。
「……頼りにしてるよ、マッシュ」
「……うん」
 ようやく素直に会話を交わした二人は、十年前とは確かに何かが変わったことを感じていた。その正体が何であるのか、これから手探りで見つけて行くことになる──旅はまだ始まったばかり。



*おまけ*

「……あの時そんなこと考えてたのか」
 ベッドにうつ伏せに寝転がり、立てた両肘で身体を支えたエドガーが皺だらけの枕を見つめながらぽつりと言葉を返して来た。その何処か照れたような口調でエドガーの表情に予想がついた隣のマッシュは、剥き出しの兄の肩と背中が冷えないよう毛布を引っ張り上げてやる。
「兄貴こそ、気を遣う方向がズレてるよ」
「だってお前がそんな風に思ってるなんて知らなかったから」
「俺だって兄貴の考えること分からなかったからおあいこだな」
 再びシーツに背中を預けたマッシュは頭の下で手を組んで、ぼんやり薄暗い天井を見上げながら独り言のように呟く。
「……それにしても、兄貴が結婚の約束覚えてたのは意外だったな」
「なんでだよ」
 マッシュが隣に顔を向けると、軽く唇を尖らせたエドガーが聞き捨てならないといった表情でマッシュを睨んでいた。
「俺は約束は守る男だ」
「そうだけど、……子供の頃の戯言だったし」
「お前こそ忘れたのかと思っていた」
「なんで」
「どうせ意味も分かってなかっただろうから、適当に言葉合わせただけだろうなと」
「なんだよ、ちゃんと分かってたよ。叔母さんの結婚式見てたんだから」
「ケーキの方が気になってた癖に」
「それは兄貴だろ」
 くだらない言い争いで顔が近づき、目を見合わせてどちらともなく苦笑が漏れた。身を乗り出してマッシュを覗き込んでいたエドガーが、目を伏せてそっと唇を寄せる。優しく重なるだけの口付けの後、微かな音を立てて離れた唇が美しく弧を描いて微笑んだ。
「……俺は約束は忘れない」
 マッシュも目を細めて微笑み返す。
「じゃあ今のが誓いのキスかな」
「ケーキがないな」
「……やっぱりケーキの方がいいんだろ」
 エドガーは笑い、今度は大きく音を立ててマッシュの頬にキスをして、ごろりとその肩に頭を乗せて寝転がった。
「半分こするのも約束だったからな」
 エドガーの言葉に吹き出したマッシュは、兄の背に腕を回してその身体を強く抱き寄せた。


(2017.12.05)