紫煙立ち込める酒場の天井からぶら下がるランプが揺れる程、所々めくれ上がった床板を踏み鳴らす盗賊たちの足音は騒々しく、負けじと乱暴に叩かれるピアノの鍵盤が奏でる音楽に合わせて客は囃し手を叩いた。
 無骨な男たちが野太い声で故郷の歌を口遊む中、グラス片手にテーブルの間を軽い身のこなしで擦り抜ける盗賊の頭領が、踊り子の手を取り甲に口付ける。そのまま手を掲げ音楽に合わせてくるりと踊り子の身体を回し、恭しく腰を屈めてお辞儀をする様は盗賊らしからぬ気品があった。
 マントを払い緩く編んだ鈍色の長い髪を靡かせ狭い酒場を弾むように歩き、テノールの歌声を口に乗せて赤味がかったブラウンの瞳を光らせる。優男風の顔立ちで色気迸るウィンクをそこらの女性に投げたかと思えば、豪快に琥珀色の安酒を煽って腕で口元を拭い、喉の奥が見えそうな程大きな口を開けて笑った。
 薄靄のような煙草の煙で霞むその姿をぼんやりと眺め続けてどれほど経ったのか、酒に浮いていた氷はとうに溶けて鼻腔に染み入るような深いアルコールの香りは消えている。空間を占める賑やかな喧噪は耳を擦り抜けて遠去かり、自分一人が取り残されたような気分で店の端を温めていた。
 目の前を鈍色の髪が揺れる。通り過ぎる一瞬、ブラウンの瞳がちらりとこちらに視線を流した。冷ややかな眼差しの奥、何処か熱を帯びた炎のような光を見つけたのは錯覚ではないのだろうか。
 男は何も言わずマントを翻した。よく知っている所作だった。声をかけることはできなかった。何かをしようとしていることは分かった。それが何なのか判らない自分に立ち入る隙はなかった。
 噎せ返るような篭った空気と燻る視界の中、男は場末の酒場に集う人々の心を掌握して、実に楽し気に赤味がかった瞳をギラつかせていた。

 もう一人の貴方がいた。



 城の浮上を見届けて簡易的な処置を手早く施した兄は、城内で動ける兵に指示を出してから一度消えた。再び現れた時には鮮やかな金髪をいつものリボンで結び、湖面のような碧の瞳をしっかりと開いた王たる姿を整えていた。
「良かったのか」
 思わずかけた声に兄は不敵に微笑み返した。
「何のことだ」
 前を見据える眼差しには一片の躊躇も過ることはなく、しかしあの日確かに自分が見た姿は幻などではないもう一人の兄だった。

(2017.12.21)