リクエストより
「大切に触れられて自分が綺麗なものになったように感じるエドガー」
(質問元データを消してしまってリクエスト原文が分からず…
大体こんな内容だったかと思いますすみません…!)


 即位して最初に徹底した王としての作法は笑顔だった。
 取って付けたような笑顔ではいけない。ぎこちなさのない、心からの笑顔でありながらその裏の真意を見抜かれてはならない。
 全てを圧倒し信頼させ黙らせる笑顔。それが支配力の足りない自分に備わる最大の武器だった。


 足場の悪い岩場でごく自然に差し出される手のひらに最初は戸惑った。まるで何処ぞの姫のように手を重ねると、柔らかくもしっかりと握られたその手を引かれて危なげなく先に進むことができた。亀裂の大きい箇所は迂回すらせず、腰をふんわり抱えられて羽が生えたように空を舞った。
 マッシュは過剰ではないかと思うほどにこの身を気遣った。
 まだ年若い女性たちを相手にしているのなら理解できる。しかし背格好はこの十年で追い越されたとはいえ、己は同じ年の成人男性である。それも腕に多少の覚えがある自分に対し、過保護すぎると首を傾げる場面がもう何度もあった。
 戦闘の時は肩を並べて前を向くのだが、終わった途端に鬼神のようだった表情ががらりと変わって優しくなり、振り向いて安否を尋ねる様は一種異様にさえ見えた。信頼されていない訳ではないのは分かっている。ただただ大切に扱われているのだという事は徐々に飲み込みつつあった。
 産まれた時から共にいる、一番近い存在。しかし弟の心からの笑顔には一片の曇りもなく、見つめる人に真っ直ぐに与えられるそれは自分とは質の違うものだった。
 あの澄み切った底まで見渡せる青い瞳とかつては同じ色ではなかったのか。瓜二つと言われた幼少期から幾年を経てどうしてここまで違ってしまったのか。
 見つめられ、恭しく手を握られるたびに澱んだ胸が軋むのだ。

 機械油の滲んだ手に握る武器で魔物を薙ぎ倒し、返り血を浴びた額を甲で拭う。染み付いた生臭い血の痕は目に見えるだけマシだった。
 この手はサイン一つで人の運命を変えることができる。恨み辛みを吸い込んできた手だ。侮蔑の眼差しで睨みつけられたことは一度や二度ではない。それら全ての敵意を笑顔で静めてきた。
 そうして子供の頃には大切だったかもしれない様々なものをこの手で握り潰して来たのだ。その世界を選んだのは他でもない自分自身である。後悔などはないが、時折薄ら寒い気持ちになることはある。
 それがあの大きな手で包まれて、あまりに大切に触れられるものだから──幼い頃に時間が戻ったのかと錯覚してしまうほどに。
 昔のままの優しい笑顔でこの手を引かれる度に、胸に積もって澱んだものが浄化されるような気分になっていった。何も考えずに二人で城の中庭を駆け回っていたあの頃と同じような、王たる自分ではなくマッシュの兄という個の自分自身を取り戻していくような、そんな都合の良い思い違いに身を委ねるのが心地良くなっていた。
 だからマッシュがいじらしくも無精髭が散らばった顔を赤く染めて辿々しく愛の言葉を伝えて来た時も、兄として弟の想いをどう受け止めてやるべきか一段高い位置から見下ろす気分になって、いつもの笑顔を武器にした。
 要するに弟を見くびっていたのだ。


 それがどうだ。あの手の優しさは凶器だった。
 髪に、頬に、唇に、肌という肌の隅々まであの無骨で優しい指が、触れた部分を溶かすように探り、着込んでいた鎧を呆気なく外していこうとする。
 身体だけではない、心まで丸裸にされるようで思わず抵抗した。その諍いごと受け止めて、澱んだものを吸い出すように唇を塞がれ、気づけば何も守るものがない身体を晒して脚を開いていた。
 見ないでくれと懇願しても、澄んだ眼差しは汚れた身体の隅々を見透かしていく。そして心に巣食う病巣のような黒ずみをあの優しい指で消していくのだ。
(駄目だ)
 急かさず、焦らず、ゆっくりと少しずつ。まるで繊細な宝物を扱うように。
(俺はお前に選ばれる器ではない)
 ひたむきに、辛抱強く、ただひたすらに一途な優しさをその目に乗せて。
(……俺で良いのだろうか)
 この身を晒すことへの畏れがじわじわと解けていく。赦されている気分になる。もっと滅茶苦茶にされたいと腕を伸ばしても、優し過ぎるほどに暖かい胸があまりにも大事にこの身を包むので、縋り付いて啜り泣くことで自我を保つのが精一杯だった。
 愛されているのだとようやく受け入れられた時、まるで違う世界の住人になってしまったと思い込んだマッシュに見つめられるのが怖くて顔を覆った腕を、大きな手にやんわり剥がされた先に在った青い瞳の微笑みが眩しくて、ぎこちなく笑い返した。
 ああ、俺はお前と同じ笑顔で笑えているだろうか──幼い頃寸分違わぬ笑顔を並べていたマッシュと、今の自分は向き合うに相応しい笑顔を作れているのだろうか。
 もう、どうやって笑っていたのか忘れてしまったのだ。戸惑いながらまた涙を零すと、そのままで良いのだとマッシュが目尻を吸い取ってくれた。
 軋んだ胸が痛む。あの頃の自分とは違う。マッシュに伝えられていないこれまでの行いも抱えたままで消えやしない。それでもこの胸は暖かい。


 お前に愛されている時だけは、自分のことを少しだけ好きになれる。
 だからどうかその優しい指で、今はまだ腹の奥を全てを暴かないでと、眠る頬に口付けた。
 心から笑えるその日まで。

(2017.12.23)