いけないよ。 悪いことをした時に窘めてくれたあの厳しくも優しい響きが好きだった。 忍び込んだ会議室で壺を割ってしまった時。槍術の稽古をサボって中庭で遊んでいた時。些細な嘘をついた時。 いけないよ、と低く囁かれる度に畏怖で背筋が伸び、二度とこの声を聞かないようにしなければと思う反面、何度でも叱られたいと思わせるような暖かさが含まれていて、弟と二人で肩を並べて頭を下げた。 この人は真に哀しみ心配してくれている、それがスッと胸に入ってくるあの言葉をいつも待っていた。 今、絡み合ったこの視線をどうにか解かなければいけない葛藤に苦しんでいる。向こうも同じことを考えているのだろう。逸らさなければと惑っているのが目の動きで伝わってくる。 だけど逸らせない──お互い中枢に抱える熱に気づいてしまった。目の前の相手は同じ想いを腹に抱いている。 手を取れば斜面を転がり落ちるのみだろう。あの声が聞きたかった。いけないよ、と一言叱ってもらえたらきっと死ぬまで耐えただろう。 だけど父はもういない。 視線だけでなく指をも絡めてしまえば、胸を合わせるまで時間はかからなかった。愛が罪に変わることを知っていながら、理性が欲に負けたのだ。 あの声は二度と助けてはくれない。 |