疑心




 人通りのない路地裏で、膝を雨上がりの濡れた泥に塗れた地面につけながら、見知らぬ男の陰茎を口に頬張り舌を動かす。
 きつい臭いを取り込まないよう鼻での呼吸を控えているため、男のものを咥えながら隙間からはあはあと酸素を求める様が擽ったいのか、男の腰が落ち着きなく揺れて膝が震えていた。
 男が掴む頭頂の髪が毟られそうで皮膚が痛む。かつては眩いほどの金色だった長い髪は今や鈍色に染まり、名前も知らない男にぞんざいに掴まれている。
 顎の疲れが耐え切れなくなり、口の動きを速めて男を追い立てると、程なくして口内に生臭い液体がぶちまけられた。喉に飛び込んできたそれを噎せないように呑み下してみせると、男は満足げに下卑た笑い混じりの溜息をついて、垂れ下がった自分のものを仕舞う。そして懐から取り出した紙幣を差し出した。
 報酬を受け取ると嫌らしい笑みを浮かべた男がまだ何か物欲しそうな視線を寄越すので、「今日は店仕舞いだ」と告げると残念そうに、しかし唇を品がなくニヤニヤと歪ませて肩を竦め、じゃあなと踵を返して立ち去った。
 男の影が完全に消えたことを確認し、もらった金をポケットに捻じ込んで、身を屈めて喉に指を突っ込み、今し方呑み込んだものを全て吐く。胃液に混じる白く濁った液体が地面に水溜りを作り、その不快な臭いに眉を顰めながら袖で口元を拭った時、じゃり、と石を踏むような靴音が耳に飛び込んできた。
 街灯がぼんやり照らした長身の人影はよく見知ったもので、この目が違えるはずもなかった。
 思わず名前を呼びそうになる唇を寸でのところで押し留め、ひっそりと口角を持ち上げた。


 世界が崩壊したことを受け止めるまで実際にはどのくらいの時間が経っていたのか、正確には分からない。
 目が覚めた時に全ては終わっており、自分の周りに仲間は一人もいなかった。生永らえたが世界はかつての色を失ってしまったのだと、かろうじて機能していた村に辿り着いてようやく理解することができた。
 そこから仲間の情報を求めて流離い始め、道中で身につけていた装飾品は大方売り払って路銀の足しにした。その金も間も無く尽きると思われた頃に飛び込んできた、浮上できなくなったフィガロ城のニュースとそこから脱出してきたという盗賊たちの噂。有り金を迷わず変装用具に変えて名前を偽り盗賊たちに近づいた。
 セッツァーから学んだカードの技と話術で彼らを従えることに成功し、いざフィガロ城へ乗り込むための準備を進めたが、船代どころか子分となった盗賊たちの食事を賄うのも難しいほど手持ちの金がなくなり、どうしたものかと頭を悩ませていた時に声をかけられたのがきっかけだった。
 筋肉質で体毛の濃い男にいくらだと尋ねられ、いくらに見えるか逆に問うと想像以上の値がつけられた。少し迷って、本番は断るが口でならと答えるとではその半値だと返された。目を伏せてOKを出し、酒場の裏のゴミ溜めの横で初めて弟以外のものを咥えた。


 二ケアで声をかけられた時、シラを切り通したのは作戦を成功させたかっただけではなかったのかもしれない。
 喪われそうなものを取り戻す、そのために手段を選ばなかった自分に気づいて欲しくはなかった。
 何を言っても言い訳になってしまうから、せめて城を浮上させるまでは何も聞かないで欲しかった。──せめて、今この悍ましい姿を見られさえしなければ、全てを胸の奥に押し込んで鍵をかけることができたかもしれぬものを。
 人影は迷いなくこちらに向かって近づいてくる。後ろから浴びていた街灯の光が遠くなり、逆光が和らいで無に近いマッシュの表情が判別できるようになった。怒っているのか、呆れているのか、それとも見限られたか──逸らすべきだった目を一年ぶりに会えた愛しい姿から離す事ができず、形だけ笑みを乗せた唇は微かに震えた。
 マッシュは数歩距離を空けて立ち止まり、汚れた路面に膝をついた姿を黙って見下ろす。近くで見る体つきは一年前のままで、マッシュが窶れることなく無事であったことに安堵した。
「……今の、何だ」
 低い声が沈黙を破る。その問いに数秒迷い、仕事だ、と小さく呟いた。
 すると無表情だったマッシュの眉間に深く皺が刻まれ、暗がりでも青く光る瞳が蔑むような色を帯びた。怒りよりも哀しみに近い色だった。
 マッシュはだらりと垂らした両腕の先で握った拳を小さく震わせ、地を這うような重々しい声で「いくらだ」と尋ねた。
 その言葉に思わずハッと目を見開く。マッシュの目は胸を射抜くような鋭さを持ち、こちらが怯んだ隙を逃すことはなかった。
 おもむろにマッシュは懐に手を突っ込み、握り締めた紙幣を目の前に放った。はらはらと散らばる紙幣の数が先ほど見知らぬ男から受け取ったものの三倍はあり、戸惑っている間に腕を掴まれて無理に立たされた。
「払えば、いいんだろ。仕事なら」
 温度の低い声がそう吐き捨てた途端、背中を押されて壁に体を押し付けられ、下半身の衣類に手をかけられた。咄嗟に抵抗が間に合わず露わになった双丘の中央に指を突き立てられ、一年ぶりの、しかも潤滑油の役割をするものがない状態でこじ開けられた場所に激痛が走り、思わず壁に縋って体を強張らせる。
 長い指の侵入は僅かな時間で、引き抜かれてから間髪を容れずに比較にならないほど太さのあるものが押し当てられた。壁に手をついたまま背後を振り返ろうとするのと、肉壁を押し破って怒張したものが強引に潜り込んでくるのとはほぼ同時だった。
「……ッ!」
 痛みと圧迫感で息が詰まる。入口が裂ける感触が額に脂汗を浮かばせた。その汗を壁に擦り付け、冷たい石壁に爪を立てる。
 背中にマッシュが戸惑う空気が伝わった。恐らくこの場所がご無沙汰であることに気づいたのだろう。あまりに狭い入り口に腰を進めることを躊躇っているので、動け、と一言口にした。
 数秒無言だったマッシュが小声で何か呟いて、やがてゆるゆると腰が動き始めた。肉と肉が擦れる度に伴った苦痛は、やがて切れた場所から流れた血液かはたまた粘液のためか、徐々に薄らいで背筋を撫で上げるようなむず痒い感覚に変わっていく。
 壁に腕と額をつけて揺さぶられるまま声を上げ、開きっぱなしの口から唾液が滴り落ちた。もっと、と漏らした声が拾われたのか、激しくなった動きに膝が震えて立っているのもままならなくなった体を、マッシュが後ろからきつく抱き締めて支えた。
 今度は耳元ではっきり聞こえた『ごめん』の言葉に目を閉じて、体の中に放たれた熱いものを逃すまいと孔を締める。マッシュが低く呻き、更に強く抱き竦められて体がぶるりと粟立った瞬間、触れられてすらいない自身からもはたはたと絶頂を迎えた証が零れ落ちて完全に全身の力が抜けた。
 緩やかに手を離されると体を支えるものがなくなり、地にへたり込む。困惑の視線で見下ろされていることに気づき、掠れた声で「もう行け」とだけ告げた。
 マッシュの足がしばし迷い、しかし意を決したのか踵を返して遠去かった。納得などしていないだろうが、少なくとも骨の髄まで穢れた身ではないと思ってくれただろうか……否、と自ら甘い考えに蓋をして、マッシュが散らかした紙幣を掻き集めて閉じた瞼の隙間から雫が転がり落ちた。