疑惑




「そろそろ部屋に戻るか」
 空になったグラスを置いて立ち上がろうとするエドガーを見て、ロックが軽く時計を振り返ってから不満げに眉を寄せた。
「まだ早いじゃん。もう寝んのかよ」
「書類を残しているのでね。お先に失礼するよ……皆はごゆっくり。──マッシュ」
 談話室にいた仲間たちに声をかけてから、若干声色を変えて弟の名を呼んだエドガーに対し、マッシュも当然のように立ち上がった。
「では、おやすみ。良い夜を」
「また明日な〜」
 笑顔で手を上げ談話室を後にしたエドガーとマッシュを見送って、集っていたロック、ティナ、セッツァー、リルム、ストラゴスの間に数秒の沈黙が訪れる。それは決して不自然な間ではなかったが、二人がいなくなる直前まで盛り上がっていた会話を続けるような空気ではなかった。
「……てかさ、あの二人変じゃない?」
 大人に混じってオレンジジュースの入ったコップを持ったリルムが、訝しげな眼差しでエドガーとマッシュが去った方向を見ながらボソリと呟く。
「変って、何が」
「いい年したオトコ同士の兄弟なのにさ、いーっつも一緒なのおかしくない?」
 聞き返したロックに対し、彼女らしく毒気のある言い回しで答えたリルムの隣で、グラスに口をつけていたセッツァーの肩がピクリと揺れた。
「まあ確かに仲はいいよな、あいつら」
「仲いいってもんじゃなくない? だって今もさ、別に色男が部屋戻るのに筋肉男が付き合わなくたっていい訳じゃん。それをわざわざ「マッシュ」って呼ぶのもほいほい付いてくのも意味がわかんないよ」
 エドガーの口調を真似たリルムにロックとティナが声を出して笑う中、セッツァーの表情だけが渋く歪み始めた。
「そういやあいつら大体寝る前どっちかの部屋にいるなあ」
「毎晩? 何してんの? 暑苦しい」
 ロックとリルムの会話を遮るように、ゴホン、とわざとらしい大きな咳をしたセッツァーが、リルムに呼びかけ時計を顎で示す。
「お前、そろそろ寝る時間だろ」
「ええ〜、オレンジジュースまだ残ってるもん」
「寝小便垂れるぞ」
「サイッテー」
 頬を赤らめてセッツァーを睨みつけるリルムに構わず、ロックがぼんやり天井を眺めながら独り言のように口を開いた。
「風呂もいっつも一緒だなー、あの双子」
 セッツァーがやや大きめの舌打ちをするが、ロックは全く気づかない。
「お風呂も!? ここのお風呂狭いじゃん!」
「だよなー、前に狭くね? って言ったら、人数多いからまとめて入った方が早く済むとかって」
「仲良すぎで気持ち悪いよ……」
「あら、仲良しなのはいいことだわ」
 ロックとリルムに割って入ったティナの輝く笑顔を見たセッツァーの表情がまた暗くなる。
「エドガーもマッシュもお互いがとても大切なんですって。たった二人の家族だからって話してくれたことがあったわ。この前も、二人で口と口を」
「ティーナ」
 こめかみに指を当てたセッツァーがティナの言葉に被さるように名前を捩じ込み、きょとんとするティナを細めた目で見つめて暗示をかけるかのような口調で告げた。
「思い出した。さっき、今日はまだお前にふかふかされてねえってモグが拗ねてたぞ……寝る前にふかふかしてやったらどうだ? もうすぐ寝ちまうぞ」
「えっ、モグが? そういえばふかふかしてないわ! 分かった行ってくる! みんなおやすみなさい!」
 素早く立ち上がって軽やかに去るティナに全員で手を振り、その中でふうっと小さく息をついたセッツァーは額の汗を指先で拭う。
「そうそう、エドガーとマッシュだけどさ」
「ローック」
 終わらせた話題を掘り起こすロックの言葉も制し、だんだん声の刺々しさを隠さなくなってきたセッツァーは、鋭い目つきで空気を読まない男を睨みつけた。
「そういやここに来る前セリスがお前を探してたな。話があるとか何とか……」
「えぇっ!? お前がここ来る前って、もう一時間くらい経ってるんじゃ……もっと早く言えよ!」
 慌てて立ち上がったロックは飲みかけのグラスもそのままに、バタバタと騒がしい足音を立てて談話室を飛び出して行く。
 残るリルムに顔を向けたセッツァーは、リルム、と低く名前を呼んで前置きしつつ、凄味を利かせて怯む少女を見据えてやった。
「さーあお子様は寝る時間だ。小便してとっとと寝ろ」
「傷男ってデリカシーなさすぎ」
「ほざけ。早く寝ないとオバケが迎えに来るぞ」
「自分の方がオバケみたいな顔してるくせに」
 睨むセッツァーにべえっと舌を出したリルムは、残ったオレンジジュースを一気に飲み干してから渋々立ち上がった。
「寝ればいいんでしょ寝れば。おやすみなさーい。あんたたちも年なんだからとっとと寝なさいよ!」
 ジジイと一緒にすんな、と拳を構えるセッツァーを鼻で笑い、リルムは小動物が跳ねるようにリズミカルな動きでソファを降りて談話室を後にした。
 残されたセッツァーが舌打ちをしながらテーブルに放置されたコップを片付け始めると、その斜め向かいでこれまで特に何も言わずに鎮座していたストラゴスが、とっくに冷えているであろう湯飲みの底のお茶を飲み干しふうっと息をついてから戯けたように肩を竦めた。
「……お主、お人好し過ぎるゾイ」
「う、うるせえよ……」
 小さく呟いたセッツァーは、薄っすら赤らんだ頬を見られまいとそっぽを向いた。