早朝四時、軽いあくびをひとつしてから体を起こしてベッドの上でがりがりと頭を掻き、マッシュは大きく伸びをする。両腕を高く天に突き出してからぱたんと下ろし、ふっと短い息をついた後は寝ぼけた様子のないすっきりとした表情になっていた。 ベッドから降りて着替えを済ませ、物音を立てないよう割り当てられた部屋を出る。他の部屋からは物音ひとつ聞こえず、まだ仲間たちは寝静まっている時間のようだった。 飛空艇の外に出ると朝焼けの空は眩しく外の空気は乾いていて、小さく頬を刺す冷気が心地良い。怪我をしないよう念入りに準備体操をしたマッシュは、地面に点在する黄色の可愛らしい花を踏まないように気をつけながら、体を温めるために軽い足取りで走り始めた。 三十分ほど走って戻ってきた後、いつもと同じ手順で体力づくりを開始する。腕、背中、腰、効率の良い動きを意識しながらトレーニングを続けていくと、白んできた空の下にそびえる飛空艇の甲板にて、ぴょんぴょん跳ねる少年の姿が目に止まった。 「マッシュ〜!!」 朝早くから元気に両手を振るガウを認めてマッシュは顔を上げ、大きく腕を振り返す。甲板で一度身を翻したガウは、しばらくして飛空艇から降りてマッシュの元へと駆けてきた。 「マッシュ、おはよ! しゅぎょうか?」 「おはようガウ。ああ、修行だよ」 「マッシュ、きょうたんじょうび、ティナいってた。おめでとう、なのか?」 ガウの言葉に顔を綻ばせたマッシュは、背中を曲げて目線を合わせてやった。 「ああ。おめでとう、かな」 「おれ、おめでとう、もってきた!」 そう言って突き出したガウの手のひらに、ほんのり青みがかった石ころがふたつ乗っていた。ガウのきらきらした目の輝きに押され、マッシュはその石ころをふたつとも手に取る。 「マッシュと、エドガーの!」 「俺と兄貴に? そりゃいいや。ありがとな、ガウ」 「マッシュ、おめでとう、うれしい?」 「めちゃくちゃ嬉しいよ」 親指の先程の石ころを握り締め、マッシュは穏やかに微笑んだ。大事そうに懐に収め、折角だからとガウとの組手を申し出て、二人は朝食の時間まで楽しげに汗を流した。 午前七時、朝食前にシャワーを浴びて部屋で着替えていると、いつもと同じタイミングでノックがある。半裸ではあったがどうぞと返事をすると、予想通りエドガーが顔を出した。 「おはよう、マッシュ……、なんで裸なんだ」 「着替え中だったんだよ」 「だったらどうぞなんて言うなよ」 「兄貴だと思ったからさ。おはよう、兄貴」 喋りながらもタンクトップを被り、頭を出したマッシュはにやりとエドガーに笑みを見せた。エドガーは呆れたように眉を軽く持ち上げ、しかしすぐに優しい目で微笑む。 「朝食の準備ができてるぞ。喜べ、今朝はお前の好きなくるみのケーキをティナが焼いてくれた」 「マジ? 兄貴、頼んでくれたのか?」 「ふふ、今日は特別だからな」 二人は目配せし合って部屋を出て、朝食を摂りに食堂へ向かう。食事が並んだテーブルにお目当のくるみのケーキを見つけたマッシュは嬉しそうに目尻を下げた。 「おはよう、エドガー、マッシュ。二人ともお誕生日おめでとう」 すでに朝食を終えたらしいティナが近寄り笑顔を見せる。マッシュとエドガーも笑い返してありがとうと応えた。 「セリスにね、誕生日はとても素敵な日って教えてもらったの。エドガーがマッシュはくるみが好きって言ってたから……少し硬くなっちゃったんだけど……」 照れ臭そうにそう言ったティナの前で、早速どっかり椅子に腰かけたマッシュはいただきます、と頭を下げて、程よい幅にスライスされたケーキを一口齧った。そして幸せそうに頬を緩める。 「うまいよ、ティナ」 「本当? 良かった!」 「ありがとう。でも、兄貴には?」 くるみが好物なのは飽くまでマッシュであり、エドガーはそこまで好きと言う訳ではない。エドガーを見上げると、兄は悪戯っぽい流し目で揶揄うように言った。 「私には弟の喜ぶ顔が何よりのプレゼントだから、とね」 「エドガーはそればっかりなんだもの……エドガーの好きなものも作ってあげたかったわ」 「ティナの作るものなら何だって素晴らしいよ」 相変わらずの兄に呆れながらもマッシュはもう一口ケーキを頬張り、香ばしいくるみが口の中で砕ける食感を楽しむ。エドガーも隣に腰かけ、同じくいただきますと品良く挨拶をしてケーキを手に取る。千切った欠片を口に入れて穏やかに微笑んだ。 「とても美味しいよ、ティナ。ありがとう」 「ああ良かった……! 二人とも、おめでとう」 笑顔が並ぶ和やかな朝食の時間が過ぎていく。 午前九時、めいめい朝食を終えていつも通り戦闘に向かうメンバー決めの相談があり、マッシュはロック、セリス、カイエンと共に必要なアイテム取得を目指す戦いに赴くことになった。 いざ目的地に向かう道中、カイエンがおもむろにマッシュに尋ねる。 「マッシュ殿は本日が誕生日とお聞きしたが」 「ああ、そうだよ。当たり前だけど、兄貴もね」 「誕生日まで戦闘では特別感がないのではござらんか」 「そんなことないさ。朝はガウに宝物もらったし、ティナは好物のケーキを焼いてくれたしな」 カイエンはマッシュの言葉に厳つい目を優しく窄めて微笑んだ。 「ならば拙者は闘いでお力添えを。今日は楽をしてもらうでござるよ」 「それはありがたいな」 マッシュが豪快に笑い返して、その横で話を聞いていたロックがひょいと二人の間から顔を出した。 「んじゃ、俺がなんかモンスターから盗んでやろうか」 その言葉にセリスが呆れたように肩を竦める。 「もう、盗んだものじゃプレゼントにならないでしょう?」 「そうかあ? そんなことないだろ、な?」 「バカね、マッシュが嫌だって言える訳ないでしょ」 二人の睦まじいやり取りを楽しげに眺めていたマッシュは、気持ちだけで充分嬉しいよと答えた。 その後の戦闘では予告通りカイエンが先陣を切ってモンスターを打ちのめし、最後のとどめをマッシュに譲ることでマッシュは気持ちよく力を発散することができた。 午後五時、目的のものを手に入れた帰り道、もうすぐ飛空艇に着くという距離でセリスがおもむろにロックと何かを話し始めた。マッシュが二人の様子を気に留める前に、カイエンから今日のモンスターの傾向について尋ねられてついつい話し込む。 話の区切りがついた頃、二人の元にまずセリスが戻り、その横を通り過ぎようとしたロックはカイエンの腕を引いてマッシュを追い越して行く。足早に飛空艇へ向かって行くロックを不思議そうに眺めたマッシュの前に、セリスが小さな花束をふたつ差し出した。 「マッシュ、これ」 たった今作ったのだろう、朝も見た小さな花弁が可愛らしい黄色い花が何本も、輪が何重にもなった珍しい結び方のリボンで束ねられていた。同じ花束がもうひとつあり、マッシュはすぐに自分と兄への贈り物だと気づく。 「あの人が結んだの。手先は誰より器用だから」 カイエンと並んで先を行くロックの背中を見やり、もう一度受け取った花束に目線を落として、マッシュはにこやかに微笑んだ。 「そうか、ありがとう」 「こんなもので悪いけれど」 「いいや、嬉しいよ。兄貴もきっと喜ぶ。ありがとう、セリス」 そして前方に進むロックと、その隣のカイエンに向かって大きく呼びかけた。 「ロック、ありがとなー! カイエンも、今日はありがとう!」 振り向いたロックは少し気恥ずかしそうに、カイエンは温和に笑みを見せる。 夕陽が山の向こうに沈もうとしていた。 午後七時、夜の飛空艇ではささやかなパーティーが催された。 ロックとセリスから贈られた花束が飾られた部屋で、普段よりほんの少し豪華な料理と、ほんの少し良い酒。俺の秘蔵だぞ、と押し付けがましく何度も言ってくるセッツァーに苦笑して、マッシュはエドガーや仲間たちと乾杯の歓声を上げる。 二人の似顔絵を描いてあげるとスケッチブックを抱えて目を輝かせるリルムに兄と二人で震え上がり、少し酔いの回ったストラゴスの決して上手いとは言えない歌をたっぷり聴かされ、骨を提供しようとするウーマロの申し出を丁重に断り、誰かがおめでとうと言う度に真似をするゴゴのおめでとうの連呼に堪え切れず吹き出した。 今日だけ特別だとモグのふかふかのお腹を触らせてもらった後、賑やかな空気を肴に酔いが進んだのを感じたマッシュは、冷たい風を求めて甲板に出た。 誰もいないと思っていたそこには、闇に紛れたシャドウが足元にインターセプターを侍らせて佇んでいた。 「シャドウ」 呼びかけるとほんの少し顔を向けたシャドウが、ため息混じりにぽつりと呟く。 「……馬鹿騒ぎはまだ続いているのか」 その問いに苦笑いしたマッシュは、ああと答えてシャドウの傍へと歩み寄った。それを咎めないシャドウはマッシュを拒んでいないと判断し、程良い距離を開けて隣に並ぶ。甲板の手摺に腕を預けて夜空を眺めたマッシュは、夜風が火照った頬を優しく冷やしてくれるのを心地よく感じていた。 「……国に帰らなくて良かったのか」 ふいにシャドウに尋ねられ、マッシュは今日が自分とエドガーの誕生日であることに関して尋ねられていることを察する。 「まあ、フィガロはフィガロで祝ってくれてるだろうさ。俺たちにはやることがあるからさ」 フン、と肯定とも否定とも判断しかねる調子で笑われ、それでもマッシュはシャドウという男の性質をある程度は理解していたので、気を悪くすることもなくにこやかに空を仰ぐ。 「国でお祝いしてくれるばあやや爺やはいるけど、ここで仲間たちに祝ってもらえてすげえ嬉しいよ」 「……お前たちの親はどちらも他界していたな」 「うん。でも俺には兄貴がいるから」 強がりではなく心からの言葉を告げたマッシュに、シャドウは少しの間押し黙り、顔を背けて聞こえるか聞こえないかの小さな声で零した。 「……家族を、大事にするといい」 それがシャドウなりの祝いの言葉と受け取ったマッシュは、ありがとう、とこちらを見ていないシャドウに柔らかく微笑んだ。 午後十一時、酔い潰れた仲間たちを介抱して部屋に届け、後片付けを頼もしい女性陣に任せて、自身も少しクラクラする頭で部屋に戻ったマッシュは、もらった石ころや花を窓枠に並べ、その隣にリルムに描いてもらった絵を立てかけた。それから少し遅れて顔を出したエドガーの左手に新しい酒瓶が握られているのを見て思わず笑ってしまう。 「まだ飲むのかよ、兄貴」 「セッツァーが出し渋っていたのを奪ってきたんだ。最後は二人で乾杯しよう」 ウインクしたエドガーは右手に下げている二つのグラスを立て、慣れた手つきで瓶のコルクを外す。淡い紅色の液体が揺らめくグラスを二人で手に取って重ね合わせ、小さく鳴る金属の音にうっとり耳を浸らせながら口をつけた。 「賑やかだったなあ」 珍しく目元を仄かに赤らめたエドガーが夢見がちに呟く。その軽く伏せられた長い睫毛に見惚れながら、マッシュも微笑んで同意した。 「たくさんプレゼントもらったな」 「ああ、本当に」 思い出すように視線を落として口元を綻ばせていたエドガーが、ふとマッシュを見上げて意味ありげに見つめる。 「……俺からは何が欲しい?」 その艶のある声にどきりと心臓を竦ませたマッシュは、もう一口グラスを煽って心を落ち着けてから、照れ臭そうに答えた。 「……兄貴がいてくれたらそれだけでいいよ」 マッシュの言葉にエドガーは嬉しそうに、少しだけ眉を下げて美しく微笑む。 「お前は欲がない」 「そんなことないよ。兄貴を独占してる」 「ふふ……そばにいるだけでいいのか?」 挑発的な台詞に思わず横目を向けると、赤く縁取られた青い瞳が蕩けそうに揺れながらマッシュをじいっと見つめていた。 いつもより赤らんだ頬は酔いのせいだろうか、それとも。 マッシュは戸惑いに目を逸らそうとしたが囚われたように視線を動かせず、その間にエドガーがグラスをテーブルに置いてずいと身を乗り出してくる。 「では、俺が欲しいものを言ってもいいか?」 眼前の綺麗な青に魅入られて声は出せず、ぼんやりと見返したまま首だけで頷いた。 エドガーは更に体をマッシュに近づけて、耳元に唇を寄せ、おまえ、と掠れた声を注ぎ込んだ。 マッシュもまたグラスから手を離し、目の前にいる大切な人を強く抱き締める。 目が眩んで見えなくなったように互いの首筋から肌を唇で辿り、ようやくぶつかった唇同士でアルコールの味がする口づけを交わす。 ハッピーバースデイ、と恍惚の目で囁くエドガーを愛おしそうに見下ろして、マッシュもまた同じ言葉を愛を込めて囁いた。 石ころ、ケーキ、友情、花束、絵と、言葉と、たくさんの気持ちと……愛する人。 いつもと同じ日常の中に、きらきらと宝石が散りばめられたような非日常があった特別な日。 なんて素晴らしい一日だったのだろうと、最愛の兄と共にひとつ歳をとったマッシュは今日の日を振り返り幸せを噛み締めた。 |