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「なあ兄貴」
「んー……?」
 やや硬質の髪に鼻先を擽られながら、腕の中から聞こえてくる呼びかけにエドガーはぼんやりと答えた。
 時計の針は零時を越え、体の汗もすっかり引いて、ベッドの中で腕に体温の高い大きな男を抱えているものだから当たり前に眠気を感じている。気怠げなエドガーの返事を受け、マッシュはエドガーの肩に頭を乗せたまま問いかけを続けた。
「もしもの話なんだけど」
「うん」
「もし俺が兄貴だったらどうなってたかな」
「……それは、俺が弟だったらという事か?」
「そういう事」
「どうなっていただろうなあ」
 エドガーは小さく笑った。気づけば自分はずっと兄でありマッシュは弟で、それはお互いの意思では変えられない絶対的な立場であり、そのことに疑問を持ったことはなかった。
 兄であるからとマッシュより与えられたものは多かった。
 兄であるからとマッシュより奪われたものもあっただろう。
 同じだけ母の胎内に育ち、産まれてきた順番の違いで兄と弟という差異をつけられたことに完全に納得している訳ではないが、不服を感じたことはない。
 この純粋な弟が自分を兄と慕うことにどれだけ助けられてきたか。つくづく自分は恵まれているのだと、エドガーは父と不仲であった叔父の最期を思い出して目を伏せる。
「俺がお前を兄貴と呼ぶのか。それもまた面白い」
「俺が王様になってたかもね」
「そうだなあ」
 嫌味などではなく、きっと人の上に立つに相応しい王になったに違いないとエドガーは微笑む。
 他者の痛みに聡いマッシュは民からの強い支持を得ただろう。そのマッシュを傍で支える自分というのも悪くないと、エドガーが起こり得なかったもしもの世界を想像していると、マッシュがまた口を開いた。
「もし俺が兄貴だったら、兄貴に……俺が小さい頃にしてもらったみたいにしてあげたいな」
「俺に?」
 随分とスケールが小さくなったものだとエドガーが苦笑する。そんなエドガーを知ってか知らずか、マッシュは夢見がちな声で歌うように囁いた。
「好きなおやつでも半分こして、必ずちょっとだけ兄貴の分を多めに分けてやるんだ。悪いことした時は俺が率先して怒られる。頑張って勉強して、兄貴が分からないとこは俺が教えてやる」
「ははは」
 思わず笑ってしまったエドガーは、在りし日の自分たちを脳裏に描いて口元を緩ませた。
 いつも自分の後ろをついて回っていた小さな少年が、今やこの腕に余るほどの体格となって戻ってきたとは。
「兄貴が病気になったら、眠いの我慢して傍でずっと看病するよ。絵本も上手に読めるように練習しないとな……」
 目を細めたエドガーはマッシュの髪に顔を埋め、暖かい頭をそっと撫でた。──覚えてくれていることが嬉しくて照れ臭かった。
「一緒に眠る時は兄貴を抱き締めて……、眠るまでいろんな話を聞かせるんだ……。面白くて、ワクワクして、夢みたいな話……を……」
 ふと、マッシュの声が途切れる。やがて静寂の中に穏やかな寝息が響き始め、エドガーは吹き出した。
「眠ってしまったのか、マッシュ」
 呼びかけても返事はない。そっと広い背中に触れると規則正しく上下に動いており、エドガーは苦笑して目を閉じる。
「これではお前に兄貴の座を譲る訳にはいかんな……?」
 太陽の香りがする髪に優しくキスをして、エドガーもまた優しく暖かい存在を抱き締めながら睡魔に身を委ねた。