良いこと




 良いことは続くものだ。

 気の持ちようかもしれないが、一度良いことがあると二度三度と良いことがある。それどころか四度五度と、朝から晩まで見るもの全てが良いものになったりする。
 ささやかだけれど、気づくと幸せになるようなそんな良いこと。それを見つけるのが得意だとセッツァーに話したら、お前さんはポジティブだな、と鼻で笑われた。お目出度い奴だと言いたかったのだろう。
 まあその通りだ。くよくよするより良いことを見つけていい気分になった方がずっと楽しいだろう。そうやって今まで過ごしてきた。
 今朝も早速良いことを見つけた。早朝トレーニングでひとっ走りしてから腕立て伏せをしていたら、目の前に咲いていたクローバーが四つ葉だった。なかなか縁起が良いなと摘ませてもらって、部屋に戻ってから兄貴の読みかけの本に挟んでおいた。
 部屋ではまだ兄貴が寝息を立てていて、その綺麗な寝顔をしばらくの間眺める良い時間の使い方ができた。
 時々ぴくぴく震える瞼を見ては起きるかな、と身構えるのだけれど、また規則的な呼吸に合わせて穏やかな表情が戻ってきて、苦笑しながら時計を見る。そろそろ起こさなければ。
「兄貴」
 声をかけるとううん、と身動ぎする様子が色っぽくて見惚れてしまう。手のひらで頬に触れれば、白い肌が擦り寄ってきて思わず目尻が下がった。こんな兄貴の姿を見られるのは他に誰もいないのだから、こんな良いことはないはずだ。
 ぼんやりした目を瞬きさせて、体を起こした兄貴がおはよう、と寝惚けた声で呟いた。おはよう、と答えて頬にキスをすると兄貴が満足そうに微笑む。綺麗だなあと目を細めて、また良いことのカウンターがひとつ増えた。
 朝食を済ませてから仲間が集まり、今日の作戦会議が始まって、戦闘に赴く俺と見送る兄貴と立場が分かれるが、これは悪いことだとは思わない。
 だって飛空艇を出てしばらく進んでから気がついた、俺の服に長い金髪がくっついていた。兄貴がついてきたみたいで嬉しくなる。これも立派な良いことだ。
 闘いも順調で、仲間みんな大きな怪我をすることなく目的を達成し、帰路で穏やかに話しながら夕焼けの空を眺める。茜色の雲が綺麗で、今日は天気が良くて良かったなあとまた良いことが増えた。
 何となく兄貴も飛空艇からこの景色を見ているだろうなと思った。同じ空を見ているなら素敵だな、ともうすぐ逢える兄貴の出迎えを想像して気分が高揚する。
 飛空艇に戻るとまずガウが飛びついてきて、その後ろで安心したように微笑む兄貴を見つけて親指を立てた。ガウがはしゃいでくれるのも嬉しいんだけど、ちょっと残念そうに見える兄貴の表情もなかなかレアでこれはこれで胸がときめく。部屋に戻ったら抱き締めたいけど、泥だらけだからシャワー浴びてからじゃないと怒られるかな。
 戦闘に出た仲間が順に汗を流してさっぱり着替えをして、お待ちかねの夕食ではロックがキノコ料理を分けてくれた。量が多すぎるから、と言っていたが、隣で兄貴があいつはキノコが食えないんだとさ、と耳打ちをしてくる。嫌いなものを押し付けられただけだけど、美味しかったのでやっぱり良いことだ。
 食事が終わってそれぞれ好きなように時間を過ごし、一人また一人と部屋にこもって行く頃に俺と兄貴も談話室を後にした。
 部屋に戻るなり兄貴が机の本を手に取り、これを挟んだのはお前かい? と開いたページの真ん中でぺったんこになった四つ葉のクローバーを指差す。
「うん。今朝見つけて、なんかいいなと思って」
「読み進めたら急に現れたからびっくりしたぞ。でもなんだか幸せな気分になったよ。ありがとう」
 兄貴が嬉しそうに笑うので、俺の良いことが兄貴にとっても良いことになって二倍嬉しくなる。
 そのまま俺を見つめる兄貴の視線に意図が含まれていることに気づき、ぎゅっと竦んだ心臓に喝を入れて兄貴に近づく。
 そっと腰に手を回すと、俺を見上げた兄貴が両手を伸ばして頸の辺りを擽ってくる。むず痒さに頬を緩めると、さっき多少嗜んだアルコールのせいか僅かに赤い目元を細めた兄貴が囁いた。
「疲れてるか?」
「……全然」
 答えると目が眩むほど綺麗に微笑んだ兄貴がぐいと俺の頭を掴み、その柔らかい唇を俺の口に押し当ててきた。
 兄貴からのキスだなんて、今日最大の良いことだ。俺は兄貴の体をそのまま抱き寄せ、与えられた唇を逃すまいと更に深く口付けた。愛しくてたまらない。
 そうして何度か愛し合って、先に眠りについた兄貴の寝顔を隣でまた眺める。幸せに浸ってしまう。こんなに良いことばかりの一日がもうすぐ終わりを告げて、明日はどうなってしまうのかと不安にならないこともないのだが。
 ふと、兄貴の寝息がふふっと笑ったように聴こえて目を瞠ると、寝顔が楽しげな笑顔になった。そして唇が微かに動き、吐息混じりにマッシュ、と零したその幸せそうな寝顔を見つめて頬が熱くなる。
 最後の最後にこんな爆弾みたいな良いことが待っていたなんて──今日は本当に良い日だった。
 明日が反動で悪くなるのでは? なんて考えるだけ無駄だし、明日は明日で今日に負けないくらい良いことを見つければ済む訳だ。
 だから今は一日分の良いことを噛み締めて、明日のために体を休めて眠ればいい。

 大丈夫。良いことは続くものだ。