悪戯




 昼食を済ませ、明日到着予定の街での行動を大人同士で軽く話し合い、今日はもう大した予定もないとそれぞれ好きなように時間を過ごすことが決まった午後。
 ひとまずは残っていた書類を片付けるべく自室へ向かう途中のエドガーの目の前に、奇妙な影がふたつ飛び込んできた。
 シーツを切って作ったのか、頭からすっぽり被った白い布に辛うじてふたつの目玉が覗く穴が開いている。どうやらゴーストを模しているらしい。エドガーの胸の高さのゴーストと、それよりもう少し小さな背丈のゴースト。それが誰であるか考えるまでもない、歩きやすくするためかゴーストにはしっかり足が生えていた。
 裸足の両足と可愛らしい赤いブーツを見て、エドガーは思わず苦笑する。
「Trick or Treat !」
「とり、おあ、とり!」
 明らかなリルムとガウの声にとうとう吹き出したエドガーは、なるほど今日はハロウィンだったかと顎に手を添える。
「これはこれは可愛らしいゴーストたちだ。しかし困ったな、今はあげられるものがなくてね」
 何か菓子でも探して来るかと食堂がある廊下の後方を振り返った時、ゴースト二人はその言葉を待ち構えていたかのようにうずうずと動き出した。
「それならイタズラだー!」
「いたずらだー!」
 まさしく悪戯っ子の声に慌ててエドガーが首を戻した時は遅かった。リルムと思しきゴーストが素早くシーツを翻してエドガーの後方に回り、ガウと見られるゴーストはその場で大きく飛び上がってエドガーの肩に軽く手をつき宙返り、眼前から二人が消えた瞬間、ふたつのリボンで結われていたはずのエドガーの髪がはらりと広がった。
 ハッとして振り向いたエドガーの目に、ゴーストたちがそれぞれエドガーのリボンを手にしている姿が映る。
「大成功〜!!」
「せいこー!!」
 無邪気にはしゃぐ二人がくしゃりとリボンを握り締めたのを見たエドガーは、みるみる血の気が引いていく感触に我を忘れて目を吊り上げた。




 ナックルの手入れを終え、そろそろ外で一汗流すかと椅子から立ち上がったマッシュは、絶妙なタイミングで自室のドアをノックする音を聞いて返事をした。
 静かに開いたドアの向こうにいたのは、珍しく長い金髪を下ろした兄のエドガーで、実にどんよりと浮かない顔をしている。明らかに様子のおかしい兄を見てマッシュは驚いて近寄った。
「兄貴、どうしたんだよ、髪。……リボンは?」
「……すまんマッシュ、頼みがある……」
 苦々しく口を開いたエドガーは、事の次第をマッシュに説明し始めた。




 ***




 手に入れた武器や道具、保存の効く食料などもまとめてしまいこんでいる倉庫代わりの部屋の前に立ったマッシュは、控えめな音を立ててドアを開いた。
 窓のない室内は明かりがつけられておらず薄暗い。戸口で軽く中の様子を見渡したマッシュは、積み上げられた木箱に見当をつけて近づいていった。足音を忍ばせる訳でもなく、しかし威嚇にならないようゆっくりと。
 ひょい、と木箱の角を覗き込むと、思った通り小さな影がふたつ蹲って座り込んでいた。足元には扮装に使ったと見られるシーツの塊。しおらしい様子にマッシュは思わず苦笑する。
「見つけたぞ、悪戯っ子ども」
 言葉の割に酷く優しい声をかけると、小さな塊はおずおずと顔を上げてマッシュを見た。半べそで目が赤いリルムと、すでに涙と鼻水も垂らしているガウ。二人の手にしっかりと兄のリボンが握られていることを確認し、マッシュは安堵する。
「少々おいたが過ぎたな。……怒った兄貴は怖いだろ」
 二人は何かを思い出したのか、身震いするような素振りを見せて肩を竦めて縮こまった。
「……エドガー、すっごく、おこってた……」
「色男のあんな顔、初めて見た……」
 マッシュは目を細めて二人を見下ろし、兄が部屋に尋ねて来た時に余裕なく告げた言葉を思い起こす。

 ──あの二人を探してリボンを取り返して来てくれ。俺では駄目だ。冷静にあの二人に向き合う自信がない、怖がらせてしまう……

 被害を受けたというのに二人を気遣うエドガーの優しさに微笑み、マッシュはリルム、ガウと並んだその隣に彼らに倣って腰を下ろした。
 悪戯を仕掛けたはいいが、あまりの形相で怒ったエドガーに怯えて逃げ出したリルムとガウを探して欲しいと言うのが一つ目の依頼。もう一つの依頼をこなす為に少々時間を要したが、その間ずっとこんな場所に隠れていた二人は恐らくはとっくに反省しているのだろう。
 しかし怒りに我を忘れたエドガーがあまりに恐ろしかったのか、狭い空間でべそをかくリルムとガウがいじらしく、マッシュは大きな手のひらで二人の頭を順番に撫でた。
「あのな、そのリボンはとても大事なものなんだよ」
 マッシュは二人に顔を向け、諭すような優しい口調で話し始めた。
「俺たちの産まれたフィガロが砂漠の国なのは二人も知ってるだろ? 砂漠を照らす太陽の光は国の象徴みたいなもので、でも砂漠では水がないと生きられないから、水もまた大切で神聖な存在なんだよ。兄貴の金色の髪は太陽を、そのリボンは水を表してる。王様にしか許されない、特別な装いなんだ」
 リルムとガウは手の中のリボンを見下ろして眉を垂らす。しょげる二人が持つリボンを指差して、マッシュは続けた。
「それから、見てみろ。リボンの端。刺繍があるだろ?」
「ししゅう……?」
「あ、ホントだ……E、かな? そっちは……M……、これ、ひょっとして」
「うん、兄貴と俺のイニシャル」
 まじまじと刺繍を見つめる二人を眺めつつ、どこか遠くを向いているように思いを馳せたような顔のマッシュが、感慨深げに息をつく。
「俺たちのおふくろ、俺と兄貴を産んで少ししたら天国に逝っちまったけど、その間にやっとの思いでリボンにイニシャルを縫ってくれたんだって。だからそれは、おふくろの形見のリボンでもあるんだよ」
「……どうして、マッシュのリボンもエドガーがつけてるの?」
 リルムの疑問にマッシュが過去を懐かしむように微笑んだ。
「俺が城を出た時に兄貴に預けたんだ。兄貴は俺の分もリボンをつけて国を守ってくれていた。俺にとっても大切なリボンなんだ。……分かるよな、二人とも」
 リルムとガウは神妙な顔つきで頷いた。そして握り締めたせいで僅かに出来た皺をそれぞれ細い指先で必死で伸ばす様を見て、マッシュは穏やかに笑いかける。
「よし、じゃあちゃんと謝りに行かないとな!」
「……でも……」
「エドガー、こわい……」
「大丈夫、俺もついてってやるから! 悪いことをしたらきちんと謝らないとダメだぞ〜!」
 二人まとめて肩を抱き寄せたマッシュの長い腕の中、リルムとガウは顔を見合わせて決心したように頷いた。



 遠慮がちなノックをしてからほんの数秒、開いたドアから現れたエドガーは長い髪を下ろしたままで複雑な表情をしていた。顔が強張っているのは、上目遣いでエドガーを見上げる悪戯っ子たちを怒るまいと耐えているからなのだろう。
 リルムとガウの後ろで二人の丸まった背中を押すように軽く叩いたマッシュが引き金となり、リルムもガウも手の中のリボンをエドガーに向けて差し出した。
「……ごめんなさい! そんなに大事なものだって知らなかったの。ちょっとだけ、イタズラするつもりで……」
「エドガー、ごめんなさい……ガウ、わるいこ……」
 エドガーは小さく溜息をつき、二人の手からそっとリボンを受け取って慈しむような目で見つめた。そして眉尻を下げてほろ苦く微笑む。
「……いや、私も怒り過ぎてしまったな。怖がらせてすまなかった。返してくれてありがとう」
「本当にごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
「もういいよ、リルム、ガウ。無事にこれが戻って来れば、それでいいんだ」
 エドガーは片方のリボンを肘にかけ、もうひとつのリボンで髪を手早く括ると、残ったリボンもいつもの位置に手馴れた様子で結びつけた。普段通りの姿に戻ったエドガーを見上げて、リルムとガウもほっとしたように表情を緩める。
 エドガーは二人に少し待つようにジェスチャーし、部屋の奥から何かを持って戸口に戻ってきた。そしてオレンジ色のリボンがついた小さな袋──星やハートの形にくり抜かれたクッキーをリルムとガウの手にそれぞれ乗せてやる。
「もう悪戯は懲り懲りだからな。これで許しておくれ」
「……ありがとう!」
「エドガー! ありがとう!」
 ぱっと輝いた子供達の顔を見て、エドガーもまたようやく安堵で目元が和らいだ。ちらりと二人の後ろに立つマッシュと視線を合わせ、マッシュもまたエドガーににっこりと笑い返す。
「そのクッキーはマッシュが作ってくれたんだよ」
「ええっ、ホント!? 筋肉男、クッキー作れるの!?」
「まあ粉と砂糖とミルクだけの簡単なやつだけどな。でも美味いぞ」
「クッキー、ガウたべる! ガウ、クッキーすきだ!」
 その時、はしゃぐ二人と、それを微笑ましく見守る兄弟の耳に、遠くから柔らかい呼び声が響いてきた。
「かぼちゃのパイを焼いたの、みんな食べに来て」
 四人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑い合う。
「ティナの声だ。そういやさっきキッチンで一緒だったな」
「やあ、丁度ティータイムだな。マッシュ、お茶を準備しよう」
「かぼちゃのパイ、大好き!」
「ガウもたべる! パイもクッキーもたべるぞ!!」
 飛び上がって駆け出すリルムとガウの後ろをゆっくりと追うマッシュの隣で、エドガーがそっと小声で話しかけた。
「……助かったよ。ありがとう、マッシュ」
「お安い御用だ。やっぱり兄貴はそのリボンが似合うよ」
 誇らしげに微笑むマッシュに頬を緩めたエドガーは、少し顔を近づけて耳元で小さく囁く。
「お礼に、後で悪戯してやるから」
「えっ……」
 思わず足を止めたマッシュに意味深なウィンクをしたエドガーは、マントを靡かせて鼻歌交じりに食堂へと向かって行く。
 その後を慌てて追うマッシュは、締まりのない顔を隠すべく片手で緩む口元を覆うのだった。