乾杯




 戦闘が終わって立ち寄った町で、その日のパーティーメンバーがめいめい買い物や一服など好きなことに限られた時間を使い、さて集合場所へ赴くためにそのうちの一人であるセッツァーが商店街の前を通りかかった時。
 見慣れた大柄の男が一軒の店で何やら品物を物色していた。然程長くはない金色の髪をうなじで尻尾のように束ねたあの後ろ姿は、間違いなく仲間のマッシュだった。
 普段買い物になど興味を示さない男が珍しい、と興味を引かれて店の看板を仰ぎ見ると、酒屋とある。
 寝酒の共でも探しているのだろうか。特別変わった買い物ではないことに内心がっかりしつつ、この後マッシュも集合場所へ向かうだろうことを予想して、合流を申し出るためセッツァーは大きな背中に近づいて行った。
 軽い調子で声をかければ届く距離で、セッツァーはマッシュが物色している棚のラインナップに眉を顰める。
 随分と高い酒ばかり見ているな──思わず背中側からマッシュの身なりを上から下まで見下ろして、所持金が見合っているのか勝手な心配をしてしまう。
 チラリと店の主人の様子を窺うと、案の定隙のない目つきでマッシュの動向を見張っているようだ。無理もない、いくら人当たりが良いマッシュでも、この戦闘後の見窄らしい格好では持ち逃げを警戒されるのは仕方がないだろう。
「よし」
 独り言と思しきマッシュの呟きに、セッツァーと主人の肩がビクッと跳ねる。
 マッシュは腕を伸ばして棚の上段から高級なワインの瓶を掴むと、にこやかに振り返った。その視界の先にいるセッツァーに気づき、キョトンと瞬きしてから慌てて酒瓶を背中に隠す。
「な、なんだセッツァー、いたなら声かけろよ」
 長身の男が大袈裟に驚く様をますます怪しく睨んだセッツァーは、マッシュが不自然に隠した背中側を覗き込むように軽く身を屈め、小声で尋ねた。
「随分と高ぇの選んだな……?」
 マッシュの顔が分かりやすく引きつる。
 いや、まあ、たまには、とボソボソ口の中で言い訳のような呟きを零しながら、背中に隠した酒瓶はそのまま、セッツァーに見せないように蟹のような横歩きで主人の元へ向かったマッシュは、素直に酒瓶を主人の前に差し出した。
 セッツァーと主人が未だ疑いの目で見守る中、尻ポケットから取り出した薄っぺらな財布から、
マッシュはきっちり酒代を支払ったのだった。


「持ち逃げえ!? する訳ないだろ!!」
 主人に何重にも包んでもらった酒瓶を大事そうに抱え、マッシュが隣を歩くセッツァーに呆れたように言い返した。
 とは言え口調の割には控え目な声量で、前を歩く仲間には聞こえない程度であることにセッツァーは気づいていた。
「お前のそのボロボロの格好で買う酒じゃねえだろ。値段の桁見間違えてんのかと思ってハラハラしたぜ」
「ちゃんと見たよ……、そっか、それであの親父さんコワイ顔してたのか」
「足りなきゃトイチで貸してやろうかと思ったよ」
「カードで負けるより怖えな」
 苦笑いするマッシュの腕の中にある酒はワイン、しかも赤であることはセッツァーもチェック済みだった。ところがセッツァーの記憶にはマッシュが赤のワインを好んで飲んでいた姿がない。
「……珍しいな、赤ワイン」
「え!? あ、いや、た、たまにはな」
「そんな高価な酒、何かの祝いか」
「ん、まあ、その……、うん」
 言葉を濁すマッシュの態度からも分かるが、どうやらあまり詳細を知られたくはないようだ。
 その謎は飛空艇に帰り着いてから解けた。
「おかえり筋肉男ー! 誕生日おめでとーっ!」
 飛空艇の食堂が手製の装飾品でささやかに飾られ、テーブルには普段より見栄えの良い料理と小振りながらも可愛らしくデコレーションされたホールケーキ。
 本日留守番役だった面々が奮闘した結果であることは、セッツァーにも容易に理解できた。彼らの後方で申し訳なさそうに微笑むエドガーと、ぽかんと口を開けたマッシュの間の抜けた表情が気になりつつ。
「すまないね。この歳だし騒ぐほどのことでもないと思って黙っていたんだが」
「フィガロ国王の誕生日は毎年サウスフィガロがお祭り状態じゃねえか。俺らに気ぃ遣って城に帰らなかったんだろ? ならこっちで少しくらいはお祝いしようぜってことになってよ」
 成程、発端はロックか──悪戯っぽい笑顔でエドガーの肩を叩くロックを横目で見てから、セッツァーは再びマッシュの様子を窺った。笑ってはいるが、少々苦さが滲み出ているように思えなくもない。
「そうよ、二人が産まれた日のお祝いをしなくちゃ!」
「大したもんないけど、気持ちは込めたからねっ!」
「ケーキ、ケーキ!!」
 ティナ、リルム、ガウは少し違う気がするが、他の仲間たちも暖かな眼差しで二人を囲み、セッツァーが密かに感じ取っていた双子の兄弟が匂わせていた躊躇いの気配が、その瞬間に消えた。
 エドガーとマッシュは目を合わせて何やらコンタクトを取り、同じタイミングで微笑む。
 成程、成程。セッツァーは腕を組み、やや傍観の立場でパーティーに参加しつつ、主役の二人を観察した。
 不思議な兄弟だとしみじみ思う。顔立ち自体は流石双子、目鼻の位置や唇の形などそっくりとは言え、離れている間の環境の違いからかまるきり別人のように見えることもあり、かと思えばふとした仕草がゾッとするほど似通っていたりもする。
 飄々として掴み所がなく、なかなか腹の中を探らせない割に不思議と信頼感を集める兄のエドガー。
 対して誰にでも真っ直ぐな目を向けて、開いた心に裏など微塵もないのだろうなと思わせる弟のマッシュ。
 性格は真逆に見えて、実は似ている。二人とも前向きで自己より他者を慮る。表に出るか出ないかの違いはあれど、かなりの激情家であることも把握した。
 要するに、あの兄弟の本質は同じなのだ。そして二人が揃うととてもバランスが取れている。
 先程のアイコンタクトも、時間にして数秒もないくらいだと言うのに、彼等にとっては会話に等しいのだろう。戦闘中でも時折見られる目と目の僅かな語らいで、互いの意思を疎通させることが他人相手ではどれほど難しいか。
 十年会わなかった相手とすんなり心を通わせられるとは、さぞや仲良く育ったのだろうなと呆れにも似た感心に肩を竦める。
 今日が誕生日であることを、二人は仲間の誰にも告げる気はなかったようだ。エドガーは騒ぐほどのことでもないと言っていたが、マッシュがコッソリ高価な酒を用意していたところを見ると、二人にとってやはり特別な日であることは間違いないのだろう。
 思えば彼等が再会して初めて一緒に過ごす誕生日ではないか──パーティー会場と化した食堂の隅っこで、紫煙を燻らせたセッツァーが眉を持ち上げる。
 賑やかな仲間たちから祝いの言葉を受け、双子の兄弟は同じ笑顔で感謝を口にした。その眼差しに偽りはなく、彼らが本心から喜んでいることが分かる。
 だからこそ、二人が一瞬見せた戸惑いの表情が気にかかった。
「おっと、酒が切れたな。セッツァー、何か秘蔵のやつないのかよ」
 不意にロックに話を振られ、セッツァーは片眉を顰めて人相悪く返した。
「ああ? 何で俺の秘蔵を出さなきゃなんねぇんだよ」
「いいじゃん、誕生日祝いでさ! お前が結構いい酒隠し持ってること知ってんだぜ〜」
 ニヤリと上がった唇の両端を忌々しく睨んだセッツァーが何か言い返そうと口を開きかけた時、
「あ、それなら」
 割って入ったマッシュが何かを思いついたように顔を上げ、座っていた椅子から腰を浮かせる。
 セッツァーはギョッとしてマッシュに目を向けた。──全くこの男は何と言うお人好しなのか。
「俺、さっき丁度……」
「分かった! 特別にサービスしてやる。今日だけだからな!」
 マッシュの言葉を遮って声を荒げたセッツァーは、驚いて目を丸くしたマッシュと、同じ顔できょとんとしているエドガーを交互に見て、改めて口を開いた。
「お前ら、明日先発隊だろ。マッシュは今日明日と連戦になるし、もう休んどけよ。大体こいつら潰れるまで飲ませたら運ぶの一苦労だぞ」
 セッツァーの提案に仲間たち全員が意表を突かれて瞬きをした。
 まだ宵の口、普段ならあと一、二時間は大騒ぎしていてもおかしくない頃である。
「えーっ、主役帰しちゃうなんて傷男空気読めなさ過ぎ!」
「うるせえ、ガキが何時まで起きてるつもりだ、クソして寝ろ」
 キーキー騒ぐリルムを口悪く黙らせ、セッツァーは再び双子の兄弟に向かって顎でドアを指した。
 マッシュが何かを察したのか、僅かに眉尻を垂らしてエドガーの方を見た。エドガーは事態を飲み込めていないようだったが、マッシュからの視線を受け取って感じるものがあったのか、口元に控え目な笑みを乗せて小さく頷く。
「……ではお言葉に甘えて休むとするか。みんな、今日はありがとう。お先に失礼」
「本当にありがとな! また明日!」
 立ち上がった二人が仲間たちと挨拶を交わし、部屋に向かうため戸口へ向かう。
 ドアに手をかけたマッシュが一瞬セッツァーを振り返り、手のひらを立てて照れ臭そうに片目を閉じた。
 思わず笑い返したセッツァーは、マッシュが今度は兄に向けた顔を実に嬉しそうに綻ばせたのを見て、やれやれと溜息をつく。
 普段は飲まない赤ワインを、誰のために奮発したかなんて決まり切っている──マッシュの表情に応えたエドガーもまた、横顔に日頃仲間には見せない子供っぽさを感じる笑みを浮かべ、そうして二人は連れ立って扉の向こうへ消えて行った。
 後は兄弟水入らずで産まれた日を祝うと良いさ、とセッツァーが新たな煙草を求めて懐に手を差し入れる。残った仲間たちは彼らに倣って部屋に戻る者、残って会話を楽しむ者など様々だった。
「で、秘蔵の酒は?」
 肩越しに顔を覗き込んできたロックをじろりと睨み、観念したセッツァーは背中に纏わりつく男を振り払って立ち上がる。
 ──こっちはこっちで乾杯しといてやるよ。
 ハッピーバースデイ、と口の中で呟いて、取って置きのワインを取りに踵を鳴らした。