観察




 普段兄貴の機嫌の良し悪しをどこで見極めているのかとロックに聞かれた。以前ロックがくだらない話を兄貴にしようとしていた時、今は機嫌が悪いからやめとけとアドバイスしたのがきっかけだ。
 別にこれといって特別なポイントがある訳じゃない。歩き方だったり首の動きだったり、眉や目線の位置だったり唇の形だったり。いろんなものを総合して今の兄貴が何を考えているか判断する。これはもう癖のようなもので、ほとんど無意識の行動だ。城を出る前は誰より一緒にいたのだから一番長く見ている人だ。要するに子供の頃から根っこの部分は変わっていないのだ。
 特に兄貴は自分の感情を隠したがる時ほど言葉が少なくなる。そうなると言葉以外で兄貴の気持ちを読み取らなくてはならない。自然と身についた、兄貴にしか使えない洞察力。それが当たり前になっていた。
 例えば街に出た兄貴が包みを手にして近づいてくる時。目尻がほんの少し下がってるから何かを期待している。口角もいつもより角度がちょっと高めで、ははあこれはプレゼントでも買ってきたなと予想すると、案の定クルミのパウンドケーキを渡してくれた。兄貴は俺が喜ぶのが嬉しいみたいで、俺はそんな兄貴が喜ぶのが嬉しい。もちろんケーキも嬉しいんだけど。
 それから飛空艇に書類を持ち帰って無言で眺めている時。瞼を少し下ろしてほとんど青い目を動かさずに文字を追っている時は、頭の中でいろんなことを考えまくってるから話しかけてはいけない。気を散らせてもいけないのでなるべく物音も立てないようにする。眉間に皺が寄ると考察は難航し、髪を弄り出すと集中力が切れている。こうなったら時間を無駄に費やすだけなので、気持ちを切り替えるためにお茶でも用意してやれば、ふっと肩の力が抜けてその書類から手を離したりするのだ。
 注意するのが機嫌の悪い時。これはもう足音でも分かる。なんというか、普段とリズムみたいなのが全然違う。いつもがカツカツならなんかこう、ゴーンゴーンって感じで……これは誰に話しても伝わらなくて、俺にしか分からないらしい。こんな時にうっかりロックがバカ話仕掛けたり、ガウが兄貴の機械いじろうとしたりするともう考えるのも怖いので早めに対策する。誰も兄貴に近寄らせない。これしかない。余計な犠牲者は出さない方がいい。
 まあそんな感じで何気なく兄貴の様子を観察するのが常になっている。十年離れていてもこうしていろんなことが分かるのは嬉しいし愛しい。兄貴だってある程度は俺のこと分かっててくれてるんだろうけど、兄貴は態度に出さない人だからそこら辺はよく分からない。一緒にいて心地よいんだからそれでいいんだろうと思う。
 今も風呂に向かう俺と入れ替わりで兄貴が風呂から出てきた。風呂か、と尋ねられて頷く。洗い立ての髪のいい匂いが通り過ぎ、最後にチラリと俺を振り返って兄貴は何も言わず部屋まで戻っていく。
 ……今の目は。ああ、うん……そうか。うん。
 髭は明日の朝でいいかなと思ってたけど今剃って来よう。というか風呂、急ごう。ちゃちゃっと体洗って髭キレイにして、それで……兄貴の気が変わる前に兄貴の部屋まで。
 全、速、力!