そういえばしばらく立ち寄っていなかった──理由としてはそんな程度で、それからもうじきガタが来そうな部品のことを思い出し、交換ついでに久しぶりにあいつらの顔でも見に行くか、と舵を切った。
 最後に訪れたのはいつだったか、少なくとも一年は来ていなかったのではないだろうか。相変わらずの砂の暑さに辟易しながらも、城の門番に取り次ぎを頼むとしばらくして案内役の女官が現れた。
 以前と違う方向へ先導する女官に理由を尋ねると、この時間はこちらにいらっしゃいますと簡素な説明の後、初めて来る部屋の扉の前に立たされた。女官は扉をノックし、中にいるらしい相手にご案内致しましたと一言告げ恭しく頭を下げて去って行く。まだ女官の後ろ姿がそこまで遠くならないうちに扉が開き、中からひょっこり顔を出した大柄の男が笑って出迎えてくれた。
「ようセッツァー、久しぶり」
 日に焼けた笑顔のマッシュは扉を大きく開いて中に入れと示す。招かれるまま扉を潜って察しがついた、豪華な調度品が並んでいるが丈が低くて趣味が幼い。立派な本棚にずらりと並ぶ背表紙はどれも絵本──ここは子供部屋だ。
「やあ、元気そうだな」
 部屋の中央で長身の影が立ち上がり、こちらに向かって穏やかな笑みを見せた。砂漠の城を統べる王、エドガーに鼻で笑ってお前もな、と返してやると、隣に寄ったマッシュと二人で全く同じ笑顔を並べるので苦笑してしまう。
 ふと、二人の後ろで小さな椅子に座ったままのシルエットに気がついた。
 ふんわりと柔らかそうな金髪が肩の上まで伸びた、まん丸の青い瞳を怯えたような上目遣いにしてこちらを見ている小さな子供。まるで女の子のようなその顔立ちに確かに両親の面影を見て思わず目を大きく広げた時、エドガーが振り返って彼を促した。
「レグルス、ご挨拶しなさい」
 エドガーの言葉におずおずと立ち上がった少年は、ぺこりと頭を下げてすぐにエドガーの脚にしがみついた。そして脚の影からこっそりこちらの様子を伺っている。その背丈はエドガーの太腿くらいだろうか、以前会った時はマッシュの腕に抱えられていたので朧げにしか覚えていないが、随分大きくなったものだと眉を持ち上げた。
「へえ、デカくなったじゃねぇか」
 軽く声をかけたつもりだったが、少年はびくりと肩を竦ませて完全にエドガーの後ろに隠れてしまった。どうやら歓迎されていないらしい。軽く目を据わらせると、マッシュが苦笑して少年を抱き上げた。──ああ、やはり以前見た時よりもかなり大きくなっている。
「覚えてないかレグルス? 最後に会ったのは随分前だもんな」
「セッツァーの人相が悪いんだよ、レグルスが怯えるのも仕方ない」
 当然だと言わんばかりに大きく頷きながら失礼なことを言うエドガーに舌打ちし、マッシュの首に噛り付くように腕を回している少年にわざと顔を近づけてやった。
「怖ぇのか。産まれたばっかのお前抱いてやったのは俺だぞ」
 目を細めて凄んで見せると、大きな青い目にみるみる水面が広がり、今にも溢れんばかりに広がった。うう、と小さな呻き声を上げてマッシュの肩に顔を擦り付ける息子を前に、エドガーが眉間に皺を寄せる。
「私の可愛い息子に悪人面を寄せないでくれ」
「言ってくれんじゃねぇか……俺がいなきゃお前らどうなってたか分かってんだろうな」
「ま、まあまあ、仕方ないよ、今レグルスは人見知り始まってるしな。お茶用意するから座ろうぜ」
 マッシュの宥めでエドガーは渋々こちらへの視線を外し、マッシュから少年を受け取ってまだひくひくと肩を揺らす息子の背を優しく撫でた。その表情は相変わらず統率者のそれではなく親としての慈愛に溢れていて、お幸せそうで何よりと肩を竦めて溜息をつく。
 ふと少年が座っていた椅子と揃いの低いテーブルの上を見下ろすと、画用紙に色とりどりのクレヨンで何やら描かれていた。歪な丸がふたつ、丸の中にはどちらも目と鼻のようなものがアンバランスにつけられて、頭が黄色く塗られている。そのうち一人は髪が長く、青のクレヨンで髪飾りらしきアクセントも見られ、ははあと合点がいった。
「凄いだろう、レグルスが描いたんだぞ。まだ二歳なのに。この子は天才かもしれない」
 目元と頬を緩めたエドガーが親馬鹿丸出しの発言を恥ずかしげもなく口にするのに呆れつつ、画用紙を拾い上げてまじまじと見つめる。
 エドガーとマッシュを描いたであろうアーティスティックな絵は、これが天才的なものなのか年相応の落書きなのか判断は致しかねるが、あの小さかった赤ん坊が絵を描くまでに成長したのだと思うと出産に関わった身としては感慨深い。
 次に来る時は手土産のひとつでも持ってきてやるか、と小さく笑うと、怖々こちらを見張っていた少年がまた顔を歪めて瞳に涙を溜め始めた。
 どうやら彼はこの甘いマスクがお気に召さないらしい──茶の支度ができたとマッシュに呼ばれ、再び舌打ちをして親子の横を通り過ぎる時、間近で思い切り顔を顰めて威嚇してやった。背中にわあんと大きな泣き声とエドガーの怒号が届くが知ったことかと、舌を出して笑いながら懐かしい香りの紅茶に手を伸ばした。



 ***



「おっ、また絵を描いてるのか、レグルス」
 エドガーの隣で熱心にクレヨンを動かすレグルスを上から見下ろし、息子の邪魔にならないよう直接茶の入ったカップをエドガーに手渡したマッシュは、小さな手が描き出す線の形と色を見ておやと瞬きする。
「兄貴、これ……」
「ああ、お前も気づいたか」
 エドガーも苦笑しながら息子の絵を見守っていた。
 円の中に描かれた目と思しき細長い丸はつり上がり、ざくざくと傷のような線が顔中に加えられ、今まさにグレイのクレヨンでぐりぐりと長い髪を生やされている、この人物は。
 思わず吹き出したマッシュが口元を押さえて笑いを堪える。
「これ見たら何て言うかな」
「ふふ、次に来たらこの絵をプレゼントしてやろう。なあレグルス、セッツァーおじさんに今度は少しくらい笑いかけてやっておくれ」
 絵の中のセッツァーの目つきの悪さにしばらく笑いの止まらない二人の間で、レグルスは完成した絵を誇らしげに掲げてにこりと微笑みかけた。

(2017.11.30)

閉じますよ