応接間に飾られている歴史のありそうな調度品をぼんやりと眺めつつ、ソファに凭れたセッツァーがあくびをひとつ漏らした時、軽やかなノックが響いてそのすぐ後に部屋のドアが開いた。
「お待たせしました」
 凛とした声に振り向けば、一瞬過去の映像を見ている気分になる──覚えている姿よりは更に若いが、出会った頃のエドガーに瓜二つの青年が上品な笑みを浮かべて室内に入り、セッツァーに向かって頭を下げた。
「ご無沙汰しています、セッツァーさん」
「おお、久しぶり。またえらくあいつに似て来たなあ」
 顔を上げた青年──エドガーとマッシュの愛息子であるレグルスははにかむように小さく笑い、頭を下げたことで肩に垂れた束ねた長い髪の毛先を背中に払う。
 セッツァーは立ち上がってレグルスに近寄り、彼が自分の身長を超えたことを実感した。二年ほど会っていなかっただろうか、最後に見た時にはまだ僅かに自分の方が優っていたのだが──内心面白くない気分になりながらも、彼の両親が二人とも長身であることを思い出して仕方がないと肩を竦める。
 すらりとしているが細身ではない。父親であるマッシュを師事しているのだからそれなりに鍛えているのだろう。しかし顔立ちはエドガーの若い頃そのもので、髪を一箇所のみで結っていることを除けばエドガーが若返ったと言われても信じてしまいそうなほどにはよく似ていた。
 強いて言えばエドガーよりも目つきが柔らかく、醸し出す雰囲気が彼の母に比べて控え目であるのが違いだろうか。とはいえセッツァーが知っているのは王であるエドガーの姿であるため、レグルスが即位した頃にはまた空気が変わるのかもしれない、とまじまじとレグルスを見つめながら軽く息をついて腕を組んだ。
「すみません、実は母と父は昨日から不在で……セッツァーさんが来られると分かっていたら日をずらしたのですが」
「あん? 珍しいな、あいつら揃っていないのか。まあ急に来たからな。どっか外遊にでも行ったか」
 立ち話もなんなので、とレグルスにソファを勧められ、セッツァーはどかりと腰を下ろす。その正面に静かに座ったレグルスは、テーブルに置かれているセッツァーのカップの中身が冷めていることに気づいたのか、カップを手に取り再び立ち上がった。
「いいよそのままで。王子サマがすることじゃねえだろ」
「いえ、給仕を呼ぶまでもありませんので。少しお待ちを」
 そう告げたレグルスはカップとソーサーを手に、続き部屋に消えて行った。それから待つこと十数分、現れたレグルスはトレイを持ち、セッツァーの前に淹れ立ての紅茶をそっと置く。
 折角なのでとすぐにカップを持ち上げ口に運ぶと、当初応接間に通された直後に女官が持って来た紅茶よりも香り高く味わい深い。これは父親譲りだなと、口をつけたままセッツァーは口角を上げた。
「昨日から母と父は旅行に出かけているのです。戻りは三日後を予定していて……」
「旅行? なんだ、仕事サボっていいご身分だな」
 揶揄うように告げたセッツァーの言葉にレグルスは困った顔で首を横に振った。
「いえ、違うのです、私がお勧めしたのです。母は決してご自身から休もうとしない方ですし……先日大きな会議が終わったので、たまには父との時間を作っていただきたくて」
 薄っすら頬を赤らめて両親の弁解をするレグルスを前に、へえ、とセッツァーは鼻で笑った。
 あの幼な子が気を利かせるまでに成長したとは。叔父だと思っていた男が実の父で、父だと思っていたのが本当は母親だったと知った直後の彼は、しばらく抜け殻のようになっていたのだとマッシュに聞かされたことを思い出す。
「頼もしいじゃねぇか。もう城を任されるようになったか」
「とんでもない、母が仕事を整理してくださったから何とかなっているだけです」
「それでも国王代理を務められる程度にゃ働けんだろ」
「いいえ、私などまだまだ……母は私の歳にはすでに即位しておりましたから、足元にも及びません」
 謙遜に眉を下げて控え目な笑顔を見せたレグルスは、姿勢を正してから胸に手を当てセッツァーに向き直った。
「なのでご不足だとは思いますが、私が承ります。今日いらしたのは飛空艇の燃料ですか?」
「ん? ああ、部品をちょっと交換したくてな。まあたまたま近くに寄ったついでに来ただけだからな、急ぎじゃねえからまたの機会でも」
「いえ、大丈夫です。必要なものを教えてください、私が準備いたします」
 にこりと笑ったレグルスを前に、セッツァーは軽く眉を持ち上げて口笛を吹いた。


 部品交換と簡単なメンテナンスをレグルスと共に終えて再び戻った応接間にて、女官が運んで来た軽食を摘み終え、煙草片手のセッツァーは作業着から正装に着替えているレグルスを待っていた。
 作業の半分をレグルスに任せてみたが、まあ腕は本物だ──彼の母親が過去に目を輝かせて飛空艇の深部を覗いていた光景を思い出し、血は争えないと小さく笑う。
 産まれた頃から彼を知っているが、複雑な環境で育った割には実に素直な性格で捻くれたところがない。これは彼の父のマッシュの存在が大きいのだろうと、朗らかな仲間の笑顔を頭に浮かべて納得した。
 しかし口には出さないが自分の力に確信を得ている自信家でもある。作業中に幾度か難題を吹っかけてみたが、何て事ないといった調子でこなしたレグルスを思い起こしてセッツァーは北叟笑む。内心冷や汗を掻いただろうに、顔色を変えず受けて立った様子は彼の母であるエドガーそのものだった。事実多少の時間はかかったが注文通りに作業を終えた彼は、やり遂げる自信があったのだろう。優しいだけでは務まらない彼の未来の環境を思い、しみじみと浸る自分は歳を取ったものだと苦笑する。
「すみません、遅くなって」
 きっちりと身綺麗に支度を整えたレグルスが戻り、セッツァーは手にしていた煙草の先端を灰皿に押し付ける。
「ああ、急がせて悪かったな。そろそろ行くからよ」
「えっ……、もう少しゆっくりして行かれては……夕食も準備させています」
「さっき幾つか摘ませてもらった、あれで充分だ」
「でも、折角いらしてくださったのに」
 世辞などではなく本心から告げているらしいレグルスの様子にセッツァーは思わず笑った。かつて顔を見せただけで泣かれていたことを考えると、随分と待遇が良くなったものだ。
 不思議そうに軽く首を傾げるレグルスの肩に手を置き、セッツァーは不敵に微笑んだ。
「お前の親父とお袋が戻ったらよろしく伝えといてくれ。上手いこと育てたじゃねえかってな」
 レグルスが照れ臭そうに頬を染める。じゃあな、と手を離したセッツァーがドアに向かおうと踵を返した時、まさにそのドアにコンコンとノックが響き、返事をする間も無く扉が開いた。
 そして現れたエドガーとマッシュの二人の姿を見て、セッツァーのみならずレグルスも目を丸くする。
「母さま、父さま!? お戻りは明後日のはずでは……」
 エドガーは軽くセッツァーに手を上げて挨拶をしてからレグルスに向き直り、にこやかに微笑んだ。
「ああ、その予定だったがあまり長く城を空けるのもな。充分満喫したから戻って来たよ」
「わ、私が頼りなかったでしょうか……」
 肩を落とすレグルスに苦笑したマッシュが、その背に回って大きな手で頭を撫でた。
「違うよ、母さんは寂しがりなんだ。どうせならお前も一緒が良かったってずっと言ってたからな」
「マッシュ、余計なことを言うな」
 軽く瞼を伏せてマッシュに釘を刺したエドガーは、今度はセッツァーに顔を向けていつもの飄々とした調子で口を開いた。
「丁度留守にしていて悪かった。間に合って良かったよ、今日はどうした? 部品でも取りに来たか」
「ああ、お前の息子が全部手配してくれたよ。もう帰るところだ」
 エドガーは瞬きし、レグルスを振り返った。
「お前、ちゃんと出来たのかい」
「は、はい、恐らく」
 姿勢を正したレグルスが慌てたように答え、ちらりとセッツァーの顔色を伺ってきた。セッツァーは鼻で笑い、軽く親指を立ててみせる。
「上出来だったぜ。あと何年かしたらうちのクルーにスカウトしてもいいな」
「聞き捨てならないな、大事な世継ぎに変なことを吹き込まないでくれ」
「レグルス、考えとけよ」
「セッツァー!」
 エドガーの声を無視し、後は親子水入らずでどうぞと今度こそ扉に向かったセッツァーは、彼はいい統治者になるだろうと目を細めて部屋を出た。

(2017.11.30)

閉じますよ