懇願




 天気の良い午後、女性陣は買い出しに、男性陣はお目当のアイテムを探しに出かけてから数時間。
 フィガロ城から持ち帰った書類に囲まれていたエドガーはそのどちらにも帯同できず、部屋で溜息をつきながら留守番を請け負っていたそんな時。
 がやがやと騒がしい気配と共に、外で誰かがエドガーの名前を連呼している。この声はセッツァーだろうか、そんなに何度も呼ばなくとも聞こえていると文句を言いながら、飛空艇の出入り口まで出迎えてぎょっとした。
 カイエンとセッツァーに両脇を抱えられ、バツが悪そうに困った笑顔を見せているマッシュ。──だらりと垂れ下がった両手はボロボロ、片足がおかしな方向に折れ曲がっている。
 さっと血の気が引いたエドガーは思わず我を忘れて駆け寄った。
「マッシュ、どうした! なんだってこんな……」
「悪い、兄貴。ドジった」
 体の状態の割には軽い調子で情けなく笑うマッシュだが、これだけの怪我で辛くないはずがない。出血はそこまで酷くはないようでマッシュの顔色も悪くはないとは言え、この左脚はどう見ても折れている。
「エドガー、代われ。重くて敵わねえ」
 マッシュの左脇を支えていたセッツァーが額に脂汗を浮かべて訴える。その言い方にエドガーはむっとしたが、マッシュを支えるのに異論はなかったので即座に交代した。
 反対の脇を抱えるカイエンが、苦々しく零す。
「申し訳ない、我らがついていながら。マッシュ殿はガウ殿を庇って落石に巻き込まれたでござる」
 カイエンとセッツァーの説明によると、足場の悪い崖で近道をしようと斜面を上ったガウの頭上から落石があり、ガウを助けようと身を呈した結果が今のマッシュの姿ということだった。
 運悪く男性陣は回復魔法を身につけておらず、誰もその場でマッシュの傷を癒すことができないため、仕方なく抱えて引き返して来たと言うのだが。
「ありったけのポーションを持っていったじゃないか? 魔法がないからその分備えねばと……」
 エドガーの質問には仏頂面のセッツァーが麻袋を掲げながら答えた。
「そのつもりだったがな、開けてみりゃガキの菓子が詰まってた」
「なんだって?」
「リルムの袋と間違えたんだ」
「なんてこった……誰が間違えたんだ」
「マッシュ」
 短く吐き棄てるセッツァーにマッシュがあははと笑った。
「似てたから間違えちまった」
「という訳で半分はコイツの自業自得だ。セリスたちは?」
 セッツァーの質問にエドガーは首を振る。
「まだだ。女性三人にロックだからな、荷物持ちもいることだし張り切って買い物を楽しんでいるだろう」
「仕方ねーな……とりあえず部屋まで運ぼうぜ、回復役が帰るまで応急処置しねえと」
 当然と頷き、カイエンと力を合わせてマッシュを運ぼうとしていたエドガーは、カイエンの後ろで申し訳なさそうに小さくなっているガウに気づいた。落ち込むガウにエドガーが優しく声をかける。
「ガウ、気にすることはない。私の弟はこれくらいの怪我、なんて事はないよ、ガウが無事でよかった」
「がう……」
「そうだよガウ、これくらいへっちゃらだからな! 大丈夫だ!」
 マッシュもまた落ち込むガウを元気づけるように豪快に笑った。が。


「──酷い怪我だな。全く……」
 弟の手足に包帯をぐるぐる巻きながら、エドガーは苦々しく呟いた。
 マッシュはベッドの上で面目無いと眉を垂らす。
「岩に足やられて、残りの降ってくるやつ避けらんなくて、焦ってパンチしたらこうなった」
 割れた拳が痛々しい。それでも他に目立った外傷がないと言うことは、拳と共に岩を砕いて相討ちにはできたようだ。
 左脚は完全に折れており、とりあえずの添え木と共に大袈裟過ぎるほどの包帯で固定した。両手も動かさないように包帯に覆われ、マッシュはベッドの上でほぼ身動きができない状態となる。
「あー、ティナやセリスたち早く帰って来ないかなあ……」
「どうだろうな、さっきキッチンを覗いたがしっかり夕飯の準備までしてあったぞ。夜まで帰らないつもりだろうな」
「マジかあ……トイレとかどうしよ……」
 マッシュの嘆きにエドガーが軽く眉を持ち上げ、それから目を伏せてひっそりと笑った。兄の怪しい微笑にマッシュは怯えて顔を顰める。
「なん、だよ兄貴。その顔」
「いや? まあ、困ったらこの兄に何でも言うといい、喜んで介護してやろう」
「なんかすげえ嫌なんだけど……!」
「はっはっは、遠慮は不要だぞ」
 エドガーは立ち上がり、折れたマッシュの脚にぽんと手を置いた。
「いっ……!」
 涙目になるマッシュを尻目に、優雅にマントを翻してドアへ向かい、振り返って手を振る。
「では手始めに夕食を持って来てやろう。いい子で待っていなさい」
 マッシュは口を尖らせて、実に楽しそうなエドガーを見送った。


 戻って来たエドガーはトレイを二つそれぞれ両手に持ち、ベッドの傍まで引きずったテーブルに乗せた。スープに豆のサラダ、ハムの挟まったバゲット。マッシュの腹は鳴るが、この両手では口に運ぶことすらできない。
 エドガーはにこにこと微笑みながら、スープを掬ったスプーンを差し出して「あーん」と揶揄うように言った。マッシュは苦虫を噛み潰したような顔で口を開ける。温かいスープが口と喉を潤し、飲み込んだ時にはマッシュの顔は耳まで赤くなっていた。
「兄貴、なんか恥ずかしいんだけど……」
「どうして? 昔はよくやっただろう」
「そうなんだけどさ、今されると……」
 マッシュは口ごもり、何でもないと小さく首を振った。観念したように口を開けて次の一口を待っている。
 エドガーはくすりと微笑み、雛に餌をやる親鳥よろしくせっせと食事を運んでやった。
 何とか落ち着かないマッシュの夕食が終わり、それではとエドガーが自分用のトレイに向き合って冷めたスープを口にするのを見て、マッシュは申し訳なさそうに言った。
「それ、兄貴のだったのか? 冷めちゃったんじゃ……」
「ん? ああ、冷めても旨いからな」
「食堂で食べて来ても良かったのに」
「何言ってる、こんな状態のお前から目を離せないだろう?」
 当然とばかりに言い放ったエドガーは、上品な手つきでスプーンを操る。優しく口付けるようにスープを口にし、千切ったバゲットから指に零れるソースを舌先で舐め取る様を見ていると、マッシュはむらむらと妙な気が湧いてくるのを感じて唇を噛む。
 マッシュの視線に気づいたエドガーが、怪訝に眉を顰めた。
「なんだ、じろじろ見て」
「……いや、だって」
「はっきり言え」
「……兄貴の食べ方、エロいから」
 エドガーは瞬きをし、それからにやりと笑った。スプーンから手を離し、立ち上がってゆっくりマッシュに近づく。
 ベッドの端に肘を置き、頬杖をついてマッシュを見上げた。エドガーの上目遣いにマッシュは首まで赤くなる。
「お前、そんな目で俺を見てたのか?」
「だって……」
「……そういえば、しばらくご無沙汰だったなあ……」
 ちらりとエドガーが毛布をめくると、マッシュの下腹部に膨らみかかったものが現れる。マッシュは慌てて隠そうと腰をくねらせるが、手足の自由が利かないせいでほとんど意味がなかった。
「もうこんなにしてるのか? 仕方のないやつだな……」
 エドガーが膨らんだ部分を指で弾く。マッシュの全身がびくりと跳ねた。
「や、やめろよ」
「いいのか? こっちは嬉しそうだが」
 明らかに先程よりも膨らみの大きくなったそこを、エドガーは意地悪くちょんちょんと突く。その度にマッシュはびくびくと腰を引き、ぎゅっと唇を噛み締めて声を殺した。
 そんなマッシュの姿を楽しげに眺めながら、エドガーは優し過ぎるほど優しくその場所を撫でる。じんわりとした刺激に煽られ、涙目になったマッシュは懇願するようにエドガーを見た。
「あ、兄貴……」
「ん?」
「頼むよ……」
 弱々しい声色で訴えるマッシュに、エドガーは実に怪しく微笑んでみせた。肩からマントを外し、膝をベッドについてマッシュの上に伸し掛かる。二人分の体重を受け止めたベッドがぎしと音を立てた。
 エドガーはマッシュの腹の上に跨り、擦り付けるように腰をゆっくり動かす。
「うっ……」
 エドガーの足の付け根に当たる膨らみが大きくなり、ぐんと硬度が増した。分かりやすい反応にエドガーは小さく笑い、更に腰をくねらせる。
「あに、兄貴、ダメだって、ヤバいって……!」
「ふふ、情けない声を出すな。もう少し我慢してみろ」
「無理、だろ、こんなのっ……」
 勃ち上がったものの輪郭をなぞるように臀部を押し付けられ、マッシュは首を仰け反らせた。
 請うように横目で兄を見上げるが、妖艶に微笑むエドガーの目に余計に気持ちが煽られるだけで、体は楽になりはしない。頼む、ともう一度掠れた声で訴えた。
「挿れ、させて」
 エドガーは微笑んだまま。
「口でもいいから」
 少し考えるようにエドガーが目をきょろりと動かす。
「て、手でも……いい、から……」
「……さあ、どうしようか」
 吐息混じりに囁かれ、マッシュは本当に泣き出しそうな顔でエドガーを仰ぐ。
 その瞬間、カツカツと複数の足音が響き、まさにこの部屋の前で立ち止まったと思った途端、コンコン!と高らかなノックの音。  ぎょっとしたエドガーは素早くマッシュの上から飛び降り、急いで大変なことになっている下腹部に毛布をかける。とほぼ同時にドアが開いた。
「マッシュ、大丈夫!?」
「ごめんね、遅くなって!」
「筋肉男生きてるー?」
 セリス、ティナ、リルムがどたどたと部屋に入り込み、不自然な位置で引き攣った笑みを浮かべるエドガーを不思議そうに眺めながら、丁寧にマッシュに回復魔法を施した。
 エドガーはさて、続きは食堂で食べようとわざとらしく独り言を言い、二人分のトレイを手に持ち女性たちに続いて部屋を出ようとしたところで、マッシュの大きな手に肩を掴まれる。
 振り向くと、目を据わらせたマッシュの怒りのこもった笑みがあった。
「お陰様で完治しました」
「そ、そうか、それは良かったな。では俺はこれで」
「逃すかー!」
 トレイを取り上げられ腕を引っ張られ、あっという間にパワーが戻ったマッシュに軽々とベッドに放り投げられて、やりすぎたとエドガーは観念して目を閉じた。
「せめて、鍵はかけてくれ」
 かろうじて最初の願いは叶えられたが、そこから先のエドガーの懇願はマッシュに受け入れられることはなかった。