共犯者




 右往左往する大人たちをすり抜けて、秘密の部屋の秘密の入り口へ。
 尊敬する騎士が教えてくれた、大事な秘密の隠れ場所。何かあったらここに隠れていなさいと、優しく頭を撫でられた。
 柱時計に隠れた扉、教わった数字を回せば呆気なく開き、扉の向こうはぞっとするような暗闇に吸い込まれる階段。
 ごくりと喉を鳴らしたが、いや弟はこの先にいるはず──奮い立たせてランプを握り、コツコツ階段を降りて行く。


 弟がいなくなったと城が騒ぎになったのは、彼の姿が見えなくなって二時間ほど経過した頃。
 いつもの講習の時間に現れなかった弟は、どうしたことか部屋にも図書館にも広間にもどこにもいない。
 事故か拐かしか──焦った大人たちが城のあちこちを捜索するが弟は見つからない。父王から心当たりはないかと尋ねられたエドガーは、父の目を見つめて「知りません」と答えた。
 喧騒の中、目立たないようにランプを抱え、エドガーは迷わずあの場所へと急いだ。
 大好きな騎士が二年前に教えてくれた。フィガロの城にはたくさんの隠し部屋がある。ここは私のとっておきだから、二人にだけ教えよう──何かあったらここに隠れていなさいと。
 エドガーは階段を下りる。闇は深くなりランプの照らす光は頼りない。
 それでも弟はこの道を進んだのだ、確信するエドガーは階段を降りきった。
 さして広くもない祈りの間に、この土地の精霊を象る銅像がひとつ。
 その向こうに震える塊を見つけたエドガーは安堵の息を漏らす。
「──レネ」
 安心させるために先に声をかけた。びくりと震えた塊が解れ、恐る恐る立ち上がってこちらを向いた顔は紛れもない弟のもの。
 ランプを掲げると弟の顔は涙に濡れていた。
 声ですでに分かっていたのだろう、弟はエドガーの元に近づこうと足を踏み出していた。が、その足が縺れて転がる。
「レネ!」
 エドガーはランプを床に置いて弟の元に駆けつけた。抱き起こすと弟はすぐにしがみついてきて、エドガーの肩に顔を押し付けてひくひくと背中を震わせた。
 優しく弟の肩を抱き頭を撫で、昂らせないよう静かな声で囁きかける。
「心配したよ。上では大騒ぎだ。私と一緒に戻ろう? うまくごまかしてあげるから。」
「ロニ……あに、うえ」
 馴染みの名前を押し込めて兄上と口にした弟の様子で、エドガーは全てを悟る。
 双子の王子が十歳を迎えた頃から王族としての自覚を促されることが増えた。品行方正でありなさい。立場に伴う威風を身につけなさい。それに加えて、いつも二人同じ内容で受けていた教育に差がつくようになった。エドガーは次期国王としての、弟はその補佐としての立場を求められているのだと悟るには、無邪気な弟は心がまだ幼くて、周囲の変化に戸惑うばかりだった。
 顕著な例が呼び名の矯正だった。言葉を覚え始めた頃からロニ、レネと呼び合ってきたその名はこれから人前で決して使ってはいけない、お前は弟なのだから常に兄を立て守らねばならない──
 それは裏返せば、エドガーもまた兄として世継ぎとしての責務を果たさねばならない役割を強要されていることに他ならなかったが、それを弟に理解させるのは酷だろう。
 弟が逃げ出したのはその時間に受けるはずだった講義の教師が原因だ。彼はお役目熱心でその分視野が狭く、弟の聡い部分を認めない。兄より弟の方が愚であるべきとの短絡的な考えを、まだ年が二桁になったばかりの自分たちに押し付ける。
 エドガーは弟を抱き締めて、その柔らかな金色の髪を慈しむように撫でた。同じ髪に同じ瞳。他人はどうして差をつけたがる。
 弟はただひたすらに優しくて、自分一人で傷ついた。決して誰かを攻撃せずに、ひっそり姿を消してしまった。今はまだエドガーの手の届く場所で見つけることができたが、もしもこの先本当に弟が消えてしまうことがあれば──抱き締める力が強くなる。
 胸の中で弟が鼻を啜り、幾分か落ち着きを取り戻した声で「ごめんなさい」と小さく告げた。
「心配かけて……ごめんなさい、兄上」
「レネ、ここには私しかいないよ」
「でも……」
 大切な名前を呼ぶのを躊躇う弟は、本当は分かり過ぎるほど分かっているのだろう。自分たちを取り巻く環境がいかに過酷で息苦しいか。そしてそれはこの先ますます大きくなって行く。
 どうしたらこの弟を元気付け、勇気付けてあげられるだろう。この弟は優しいだけでなくとても強い少年であるのに──こんな暗闇に明かりも持たず、たった一人で隠れていたのだから。
 エドガーは顰めていた眉を少し持ち上げ一計を図る。
「……マシアス、いやマッシュ。お前は強い子だ。よくこの部屋に一人で来られたね。お前、暗闇は苦手だっただろう」
「……どうしても、授業に出たくなくて」
「──同感だ! くだらなすぎて、わた……俺も飽き飽きしてたんだ。クソも面白くない頭でっかちの講義なんざ真っ平ごめんだね!」
 弟がぎょっと目を剥く。普段兄の口から出るはずのないフレーズに面食らっているようで、エドガーはエドガーで目を泳がせているのを気取られないように注意しながら必死で言葉を搾り出す。
「大体あんなクソつまんない授業、黙って一時間も聞いちゃいられない。クソ眠いし、クソくだらないし、えっと……クソ面白くないし」
「あ、兄上……?」
 クソクソ言い過ぎただろうか? 語彙が枯渇してエドガーは焦る。違う、ただ汚い言葉を使えば良いのではないのだ。弟に元気と勇気を与えるために、……共犯者になるために。
 エドガーは弟の細い肩をしっかり掴み、悪戯を思いついた時と同じ笑顔で力強く言った。
「いいか、マッシュ。お前はもっと自信を持て。こんなところで二時間も隠れてたお前は物凄くカッコいいぞ!」
「……カッコいい……?」
「ああ! ……でも今度どうしても嫌な時は俺に言えよ。俺がお前を守ってやる」
「兄上……本当?」
「本当だ。俺はお前の兄貴、だからな!」
 弟はぱちぱちと瞬きをした。あにき、と呟く弟を前に、エドガーは自分の言葉に頬を染める。ランプの薄明かりしかない場所で良かったと安堵し、飽くまで余裕を装って背中を叩いた。
「さあそろそろ上に戻ろう。ちちう……親父も心配してたぞ」
「親父!?」
 さすがにやり過ぎただろうかと、鸚鵡のように繰り返した弟を前に不安になったが、弟の目は暗がりでもはっきり分かるほど輝いていた。
 エドガーはにやりと笑い、弟の目の前に小指を立てて見せた。
「いいか、俺がこんな言葉を使うのはお前の前だけだ。二人だけの秘密だぞ」
 ウィンクをしてみせると、弟はぱっと顔を明るくして自分の小指を兄のそれに絡ませる。
「分かった……あに、き」
「おう!」
 小指を固く結んで誓いを立てる。
 この素直な弟に、秘密と言う名の逃げ場を作ろう。辛いことがあった時に逃げ込める二人だけの場所。哀しみも憎しみも笑い飛ばせるくらい、凶暴で不道徳で魅力的な世界を作ろう。
 この先何があっても二人で越えて行けるように──二つの顔を持つのだよと、優しい弟を引き摺り込む。
 しかしエドガーは知っていた、この弟は生粋の澄んだ人間で、自分のような二面には決してならないことを。
 たからこそ共犯者に選んだ、お前は強い、いつか周りも思い知る。それまでは独占したいのだ、同じ髪と同じ瞳の違う心を持つ半身を。

 明かりを求めて階段を上れば、二人の秘密は暗がりの中。