ラストダンス




 着飾った紳士淑女が集う大広間の片隅で、明らかに場違い感が漂う男女の一行が煌びやかな空気に圧倒されて固まっていた。
 天井から吊るされた豪奢なシャンデリアに光る水晶を物欲しそうに眺める者、着慣れないドレスとハイヒールで居心地悪気にそわそわしている者、フリルとレースが揺れる艶やかなドレスの貴婦人に夢見がちに見惚れる者、会場の雰囲気そっちのけで豪華な料理にがっつく者、その様子を母親のように微笑ましく見守る者、我関せずとつまらなさそうに腕組みをしている者──彼らは今集っているお互いしかこの空間の知り合いがおらず、この地域で地位のあるだろう人々が腹を探り合うように談笑している様に比べて酷く浮いた存在に見えていた。
 その中の一人、普段は下ろしている金色の髪を美しく結い上げて淡いシャンパンベージュのドレスを着たセリスが、その横でトレードマークのバンダナもせずに髪を整えた正装のロックへそっと耳打ちした。
「なんだか、物凄く場違いみたい……」
 ロックは耳打ちでいつもの雰囲気の違うセリスとの距離が縮まったことに少し頬を赤らめながら、肩を竦めて答える。
「まあ、あいつら仮にも王族だからな。本当は俺らみたいなのと連める身分じゃねえもん」
「ただの立食パーティーって聞いてたのに」
「ただの、が俺らとちょっと感覚違うんだろ……まあ世界救って最初の誕生日だもんな、国も張り切ってんじゃねえの」
 こそこそと囁き合う二人を一歩離れた場所から壁に凭れて観察していたセッツァーは、実につまらなさそうに大あくびをした。
 ──実にくだらない。 派手な騒ぎは嫌いではなく寧ろ好きな方だが、お上品の皮を被って相手の挙動に警戒するようなパーティーは虫が好かない。
 別段着飾る訳でもなく普段と全く同じ格好のセッツァーは、この場では燻らせることができない煙草の煙が恋しくて苛立ちを募らせていた。
 大体なんでこの自分が、雑多な顔が集まった賑やかな仲間たちの面倒を見てやらなければならないのか──セッツァーは一ヶ月前の自分の浅はかな行動を呪った。
 ファルコンのメンテナンス道具を入手するべくサウスフィガロに立ち寄ったついでに、久しぶりにかつての仲間の顔でも見てやるかとフィガロ城に寄ったのが悪かった。相変わらず自主鍛錬に励んでいたマッシュとくだらない近況話をするまでは良かったのだが、忙しそうに動き回っている城の主が手渡して来た手紙が問題だった。
 丁度良かった、君に頼みがあったんだ──そう告げてさっさといなくなったエドガーにそれ以上追求できず、一体何だと封を開けば、中にはパーティーの招待状に綺麗な文字で書かれたメモ、それから多額の紙幣。メモには招待する仲間の名前と居場所がご丁寧に記され、特に女性陣にはそれなりのドレスを調達のことと要らない追伸まで載っていた。
 誰がそんなことするかとその場に捨てて行こうかと思ったが、手紙の最下部に書かれていたもうひとつの追伸にあるオペラ座の特等席チケットの報酬に気持ちがグラついた。それで結局この結果だ。
 数日前からファルコンで仲間たちの居場所を順に回り、当然パーティー用の服など持っていなかったセリスやティナやリルムにドレスを見立ててやって、男はてめえでどうにかしろとロックは突き放したがガウはそうもいかず無理やり服を着せ、復興作業だ年が年だ居場所不明だと捕まらなかった者以外はきっちりフィガロ城まで連れてきてやった。
 後は報酬さえいただけばさっさとこの胸糞悪い空間を抜け出したいのだが、如何せん依頼者がこのパーティーの主役ときている。
 フィガロ国王とその弟御の生誕祝いとあって国内は浮かれきっているし、城下町のサウスフィガロでは盛大な祭が催されていた。生誕祝賀式典は午前中から続いており、民に向けての国王陛下の有難い演説や教会での儀式など丸一日かけて行われ、一般市民向けではない夜の部が爵位のある人間が主な招待客のこの夜会である。これだけ客がいるとなると個人的にエドガーと話ができるかどうか……嵌められただろうかとセッツァーは品のない舌打ちをした。
 ロックやセリスはパーティーを楽しむどころではないし、ガウはここに来てからずっと豪華な料理を食い散らかしてリルムに怒られている。ティナが面倒を見てくれているからまだ良いものの、この連中と同じ仲間だと思われていることがセッツァーには苦痛だった。あとどのくらい針のむしろ状態を我慢すればいいのか、苛々を募らせるセッツァー自身も禍々しいオーラが滲み出て他者を寄せ付けなかった。
 ふと場内が騒がしくなり、眉を顰めたセッツァーも興味なさげに目を向ける。招待客に囲まれて、他の人間より頭二つ分ほど大きな男が入り口から姿を現していた。口々に祝いの言葉を投げかけられ、困ったように笑いながら頭を掻いていたその男は、巡らせた視線の先にセッツァー含む仲間たちを認めると一気に破顔し、周りに断りながら人混みを掻き分けてきた。
「ロック、セッツァー! セリス、ティナにリルムも……ガウも来てくれたのか!」
 本日の主役の一人、マッシュが近づいてくることで周囲の人々の視線が一気にセッツァーたちに集中する。ますますの居心地の悪さにセッツァーは顔を顰めるが、彼には全く悪気がなく、それどころかマッシュ自身もこの空間は好ましいものではないのか、その笑顔には安堵感が滲み出ていた。
 とは言えさすがに王弟の立場では普段のような身軽な服装とはいかないのか、マッシュはエドガーのように首の詰まった襯衣に精密な刺繍の入った襟つきの正装で、髪も装飾のついた美しい髪飾りで結ばれていた。見慣れない姿に女性陣からは思わず感嘆の息が漏れ、ロックは小さく口笛を吹く。
「マッシュ誕生日おめでとう。凄いわ、見違えちゃった」
「本当、マッシュって実は格好良かったのね……」
「やっぱ双子だね、色男に似てるー」
 ティナとセリス、リルムがマッシュに歩み寄り祝いと称賛の言葉を送る。マッシュは窮屈そうに首元を触り、苦笑しながら二人に礼を言った。
「兄貴がうるさいんだ。今日くらいちゃんとしろって。肩凝って仕方ない」
「でも素敵よ、王子様みたい」
「『元』、な」
 ティナの言葉に軽くウインクしたマッシュは、成程確かに王家の一員と言われて違和感のない姿だった。見渡せば血筋の良さそうな招待客の令嬢たちがうっとりとマッシュに熱い視線を送っている。この朴念仁にねえ、とセッツァーは鼻で笑った。
 それからセッツァーはマッシュを見直しているセリスを見て不安そうに眉を寄せているロックを面白そうに眺めながら、大事なことを尋ねるためマッシュに声をかけた。
「おい、お前の兄貴は?」
「もうすぐ来るよ。ああ、セッツァーにパーティーが終わったら渡すものがあるって言ってたな」
 セッツァーは分かりやすく舌打ちした。──終わりまでいろってか。
 マッシュはガウとの久々の再会に顔を綻ばせ、リルムにオススメのパンケーキが並ぶテーブルを教えている。主賓の一人だというのに名のある貴族たちよりかつての旅の仲間を優先するのがマッシュらしいが、彼の兄はそうはいくまい。黙ってこの場を耐え忍ぶか、オペラ座を諦めるか……セッツァーが渋い表情で思案していた時、先程マッシュが現れた時とは質の違うどよめきが起こった。
 場内が騒がしくなったのは一瞬、すぐにシンと静まり返り、入り口からよく通る靴音がコツコツと響いてくる。金の髪を鮮やかな青のリボンと水晶の飾りで結び、金房が裾に揺れるフィガロブルーの眩しいマントを靡かせたエドガーがその威厳ある姿を現わすと、招待客は一斉に頭を垂れた。
 エドガーは品の良い微笑みを浮かべ、海が割れたように拓かれた道を優雅な身ごなしで歩き、広間のほぼ中央で立ち止まった。
「皆、今日は私とマシアスの祝いに来てくれたことに心から礼を言う。堅苦しいことは抜きにして心行くまで楽しんでくれ」
 エドガーのよく通る声が合図だったかのように、広間の傍らに控えていた楽団が音楽を奏で始めた。張り詰めていた空気が一気に柔らかくなり、人々はエドガーを囲んで今日のこの日がどれだけ素晴らしいかを競うように伝え合った。その全てにエドガーは優しくも気高い笑みで応え、当分その場所から動ける状態ではなさそうだった。用意されている玉座に座るのもいつになるのか──セッツァーは無駄な時間を費やすことを覚悟した。
 広間では音楽に合わせて踊るペアが現れ、その煌びやかな空気にセリスがうっとりと見惚れる。セッツァーは暇潰しにロックをからかうことにした。
「てめえもセリス誘ってくるくる回ってくりゃいいんじゃねえの」
「えっ!? で、できるかよ! ダンスなんて村祭りでしか踊ったことねえのに」
「まあ泥棒風情じゃお上品な宮廷ダンスは無理な話だなあ?」
「んだと、泥棒じゃねえって……! 俺だけじゃねえだろ、お前こそ踊れんのかよ!」
 ロックが矛先を自分に向けてきたので、セッツァーはその方向を華麗に変える。
「それを言うならマッシュだろ。フィガロの王弟殿下はまともにダンスなんかできるのか?」
 セッツァーの言葉にロックがマッシュを振り向くと、食べ散らかして汚れたガウの口元を拭いていたマッシュもまた不思議そうに振り返った。
「マッシュ、お前ダンスなんてできんの?」
 ロックの問いにきょとんとしたマッシュは、事も無げに答える。
「できるよ」
「ええっ」
 ロックが大袈裟に驚くが、内心セッツァーも驚いた。それが顔に出ていたのだろう、心外だとでも言いたげに口を尖らせたマッシュが二人に食い下がる。
「十七まで城にいたんだぞ。一通りは叩き込まれてるよ。女性パートだって完璧に踊れるぜ」
「とか言ってとっくに忘れてんじゃねーのお? 今のお前があんな繊細なダンスなんてできるかねえ」
「違えねえなあ。オタついて相手の足踏むのしか想像できねえ」
 ロックとセッツァーがにやにやと嫌らしく笑いながら揶揄ってくるのを大いに不満に思ったらしいマッシュは、すぐ傍に立っていたティナに首を向けて言った。
「じゃあティナ、ちょっと俺と踊ってくれよ。」
「えっ……? わ、私ダンスしたことないわ」
「いいよ、適当で。あんまり他の女の子誘うのはまずいんだ」
 セッツァーはちらりと周囲に視線を走らせ、着飾った妙齢の女性たちがチラチラマッシュの様子を伺っているのを確かめた。国王よりはお手頃な、しかし高い地位にある見た目も性格も悪くない男──下手に気を持たせて狙いを定められるような真似は避けるのが無難だろうとセッツァーも納得する。
 マッシュが緊張で固まるティナの手を取って広間の中央近くまで歩いて行くと、ざわざわと室内がさざめいた。
「誰だ、あの女性」
「マシアス様の恋人か?」
 セッツァーの耳にもちらほらと噂話が届き、改めて面倒な境遇をお気の毒様と思いながらも、マッシュのダンスは素直に気になったのでお手並み拝見とばかりに腕を組む。
 マッシュは何かティナに小声でアドバイスしているようで、ティナが戸惑いながらも右手をマッシュの左手と繋ぎ、少し背伸びするように左手をマッシュの肩に添えた。マッシュが気遣って少し背を曲げたので、ティナが踵をすとんと下ろす。
 セッツァーはティナがドレスを選んだ際にあまりヒールの高くない靴を手にしていたことを思い出した。底上げしていないティナと、マッシュの身長の差が随分と目立つ。
 マッシュに引っ張られるようにティナが怖々足を踏み出し、恐らくマッシュが全て説明しているのか、マッシュの口の動きと音楽に合わせて初心者のティナのダンスもそれなりの形にはなって見えた。とはいえマッシュが背中を屈め気味にしているのと、ティナに余裕がなさすぎて見ている方がハラハラするようなワルツである……セッツァーはティナがマッシュの足を踏んだのを見て思わず手で目を覆う。
 曲の区切りのよいところで顔を真っ赤にして戻ってきたティナは、迎えてくれたセリスに抱きとめられて恥ずかしそうに頬を手で押さえた。
「む、難しかった〜……ごめんなさいマッシュ、足を踏んじゃったわ……」
 マッシュは朗らかに笑って首を横に振った。
「気にすんな、俺とじゃ踊りにくかったよな。もうちょっと身長差がない方が踊りやすいんだけど……」
 マッシュが首を回してセリスを見るが、その横でロックが噛み付かんばかりの目で威嚇をしているのを見て肩を竦めた。
「さすがにリルムじゃなあ……」
「なによ、ちっちゃくて悪かったねーだ」
 舌を出すリルムと目線を合わせるのにティナ以上に腰を屈めなければならないようでは候補にもならないだろう。
 まあティナとのダンスを見る限り、踊れないというのは嘘ではないようだし、少なくとも初心者をリードして踊るだけの技術はあるということだ。内心面白くなかったセッツァーは鼻をフンと鳴らした。
「ま、多少踊れるってのは本当みてえだな」
「ちゃんと覚えてただろ? 結構難しいステップとかもできるんだぜ」
「まあ言うだけはな」
「ホントだって……!」
 わいわいと二人が押し問答をしていると、ふと取り巻く空気が変化した。周囲の人々の視線が自分たちに集中したことに気づいたセッツァーが振り向くと、エドガーが微笑を浮かべて一行に近づいてきていた。
「やあ、みんなよく来てくれた。挨拶が遅れてすまなかったな……これはこれはレディたち、今日の主役の座を攫う気かい? みんなよく似合っているよ」
 背中が痒くなるような台詞と共に現れたエドガーは、いるだけでその場の空気を変えるような華やかさを備えていた。共に旅をしていた頃の気楽な身分の時には感じなかった、国を預かる王という立場の違いがその雰囲気を醸し出させるのだろうか。
 ようやく来やがった、とセッツァーは再び舌打ちし、エドガーの前にずいと歩み出る。
「俺の見立てだ、完璧だろう」
「ああ、助かったよセッツァー。君のおかげで久しぶりにみんなに会えた」
「てめえ、忘れてねえだろうな」
「勿論。今日はみんな城に泊まって行くだろう? 夜会が終わったら約束のものは部屋にちゃんと用意させるからご心配なく」
 ふふんと勝ち誇ったように笑うエドガーを睨みつけ、セッツァーは眉間の皺を深くする。──やはり最後までいなければ報酬にはありつけないらしい。
 馬鹿馬鹿しい、とエドガーに背を向けたセッツァーは、完全に傍観しようと腕組みの姿勢に戻った。王様を称えてくるくる踊る男女の集まりなど退屈しのぎにもなりはしない。
 セッツァーに含みのある笑みを見せていたエドガーは、ふいに視線をずらしてマッシュを見て軽く眉を顰めた。
「マッシュ、お前少しは挨拶してきたらどうだ。さっきからガウと遊んでばかりいて……皆今日は誰のために集まってくれたと思っている」
 マッシュが弱ったように頭を掻く。
「苦手なんだよ、こういうの。知ってるだろ」
「苦手だからと避けてばかりいてはいつまでも克服できないぞ。おまけに見てたぞ、ちゃっかりティナと踊ったりして。狡いぞ、お前ばっかり抜け駆けを」
「狡いって……セッツァーとロックがうるさいから」
「それになんだ、あのダンスは。男なんだからもっとうまくリードしろ」
「いやだって、身長が違いすぎて」
 そこまで言いかけたマッシュは、ふとエドガーを改めて見つめて目を見開いた。エドガーの顔を見て、視線を下ろして足の先まで。それから手のひらを水平に倒し、エドガーの頭の天辺に掲げる。
 一体何をしているのかと、エドガーも二人の様子を見ていたセッツァーも不思議そうに瞬きした時、マッシュが腑に落ちたように「そっか」と呟く。
 何が、と思わず聞きかけたセッツァーが口を開く前に、マッシュがくるりとセッツァーを振り返って不敵に笑った。
「見てろよ。ちゃんと踊れるパートナーがいた」
 そう言って茶目っ気のある笑顔を見せたマッシュは、エドガーに向かって恭しく右手を差し出した。
「踊っていただけますか?」
 ざわっと会場が波打つように揺れた。
 マッシュの頓狂な誘いにエドガーも周りの人々も目を丸くし、もちろんセッツァーも例に漏れず、傍にいたロックたちもぽかんと口を開けて固まった。
 やがて事態を飲み込んだのか、エドガーは見開いた目はそのまま、口元をふっと緩ませて短く笑うと、
「……成程、余興に丁度いいか」
 そう呟いてマッシュの手のひらに自らの手を乗せ、妖しく目を細めて艶やかな笑みを見せた。
「喜んで」
 王の返答に会場から複雑などよめきが起きる。さざ波のように失笑にも似た囁き声が広がる中、マッシュはエドガーをエスコートして広間の中央へ歩み出た。国王が踊るとあってそれまでダンスをしていたペアがさらさらと外側に捌けていき、好奇心に満ちた視線が集中するその中央で、二人は全く臆することなく向かい合った。その佇まいは成程確かにしっくりくる身長差で、マッシュが確認していたのはこれかとセッツァーも思わず眉を持ち上げた。
「お前、ちゃんとリードできるだろうな?」
「当然。散々やらされたからな」
 マッシュと言葉を交わしたエドガーが楽団に合図をする。それまで流れていた軽やかなワルツよりよりスロウなメロディに切り替わった音楽に合わせ、二人は片方の手を繋ぎ合わせ、エドガーがマッシュの肩に、マッシュもエドガーの背に手を添えた。
 二人が長いリーチでステップを踏み始めた途端、静かなどよめきが感嘆の溜息に変化する。背筋を伸ばしてエドガーを支えるマッシュの足と、マッシュに体を預けるように背を逸らすエドガーの足の動きがぴったり合っている。けして華奢ではないエドガーはうまくマッシュにリードを任せ、その首の動きには女性ほどのしなやかさはないものの引けを取らない優雅さがあった。マッシュもまたエドガーに無理をかけないようにうまくポジションを取り、先程ティナと踊った時とは別人のように伸びやかにステップを踏む。
 まるでこの日のために練習してきたかのような息の合い方に観衆は驚きを隠せず目を瞠った。セッツァーもその中の一人になっていた。あの大柄な男二人がペアでダンスなどと、なんの罰ゲームかと嘲笑ってやろうと思ったが、これがどうして楚々たる風情がある。二人の足捌きや身のこなしでダンスのレベルが高いことは素人目にもよく分かった。
 本来ダンスをするには不要なマントをつけたままだったエドガーは、本当は誰とも踊るつもりはなかったのだろう。しかしそのマントがターンの度に翻ることでドレスの裾の広がりにも似た華やかさを描き出していた。リボンの揺れる金髪の房もシャンデリアの光を受け実に優雅に輝き、普段なんら女性めいたところがないエドガーに艶かしささえ感じるのだから流石である。
 加えてマッシュには無骨なイメージしかなかったのだが、ああして身なりを整えて上品に踊る様を見ているとやはり王族の血筋は確かなのだろうと思わされる。普段の明るい様子では影を潜めているが、表情を引き締めて格好をつければ成程エドガーと同じ眼差しの涼やかな美形なのだ。
 マッシュがいきなりエドガーをパートナーに誘った時は頭がおかしくなったのだろうかとも思ったが、どう見ても二人で踊り慣れている様子に一杯食わされたのだと顔を顰めた。悪戯が成功したかのような二人の笑みを見ればよく分かる。会場を驚かせてしてやったりといったところか。時折視線を合わせては楽しそうに口元を綻ばせるエドガーとマッシュのダンスは、余興としては大成功だろう。
 マッシュのダンスの腕も認めざるを得ないし、面白くねえと男二人のワルツを渋い顔で眺めていたセッツァーだったが、ふとエドガーの表情に違和感を感じて目を瞠る。
 先程まで余裕の笑みで周囲にも目線を配っていたエドガーが、いつの間にかマッシュばかりを見ている気がする。
 僅かに顎を上げ上目がちに青い目を揺らし、唇に称える微笑みにはそれまで含まれていた悪ふざけが消え幸いが滲み出ているのを感じて、セッツァーの背中がひやりと冷えた。
 ──あれ、王様の顔じゃねえだろ。
 これは不味いのではないか──恐らくこの中で唯一エドガーとマッシュの関係を知っているセッツァーはさっと周りを見渡すが、観衆は二人のダンスにうっとりと魅入ってまだエドガーの変化に気づいていそうな者はいないようだった。まだ曲が終わる気配もなく、このままではあの二人の間に流れる奇妙な空気が勘付かれてしまうかもしれない。最早一刻の猶予もない。
 セッツァーは仕方なく、隣でぼけっと口を開けてエドガーとマッシュを眺めていたロックの足を思い切り踏みつけた。
「いっ……でーっ!!」
 煌びやかな大広間に不似合いの小汚い絶叫が響き渡る。会場中の人々が驚いて一斉にロックを振り向き、ダンスの途中だったエドガーとマッシュもはっとして動きを止めた。
 中でもエドガーの驚き方が際立っていて、セッツァーは彼の意識を引き戻すのに成功したことを悟る。やれやれ、と胸を撫で下ろすが、何故ここまでやってやらなければならないのかという気持ちが沸々と沸いてくるのは仕方がないだろう。
「セッツァー、てめえ! いきなり何しやがる!」
 苦情を訴えるロックを無視してエドガーとマッシュの挙動を見張ると、エドガーとマッシュはお互いから手を離してすっかりダンスはお開きとなったようだった。二人が広間の中央で招待者たちにお辞儀をしてみせると、人々は称賛の拍手を惜しみなく送った。
「さあまだ夜は長い。今夜は無礼講で踊り明かしてくれ」
 エドガーが高らかに告げると、広間にはまたダンスのペアが集い始める。会場の雰囲気が元に戻ったことを確認したのか、マッシュと共に戻ってきたエドガーはちらりとセッツァーを見て苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……助かった」
 擦れ違う寸前で足を止めたエドガーがぼそりと零す。セッツァーの意図に気づいたらしいエドガーに肩を竦め、セッツァーもまた小声で低く呟いた。
「……なんて顔してやがる。らしくねえだろ、王様」
「……すまん」
 それだけ残したエドガーは早足でセッツァーの前を通り過ぎた。言い訳ひとつしなかったエドガーに、やはり読みは当たっていたとセッツァーが呆れて息をつく。
 侍従に何かしらを伝えて、人目を避けるように広間を出て行ったエドガーの背中を見送り、そのすぐ後にマッシュも恐らくエドガーを追って扉の向こうに消えたのを見定めて、セッツァーはテーブルに置かれたオードブルを手掴みでひとつ口に放り込んだ。
 こりゃ報酬をアップしてもらわんとな──指先をペロリと舐め、何を要求しようか楽しげに考え始めるのだった。






「やっぱりここだった」
 声に振り向いたエドガーは、予想通りのマッシュの姿を認めて目を細めて笑った。
 王族しか立ち入りを許されない、砂漠を一望できる塔の上で、マッシュは夜風に吹かれて佇んでいたエドガーの隣に並ぶ。
「急に出てったからどうしたのかと思った……疲れたのか?」
 マッシュの問いかけにエドガーは困ったような笑みを見せ、軽く首を横に振った。
「頭を冷やしにきた」
「なんで」
 エドガーは首をマッシュに向け、頭から爪先までまじまじとその姿を見る。舐めるように眺められてマッシュが困惑に頬を赤らめた。
「小さい頃、よくダンスの練習一緒にしてただろ。完璧にしたいからってお互い女性パートも代わり番こで練習して。」
「ああ、あの頃は俺が女役やるのが多かったよな」
「そう。最初は下手くそで、足踏んだり踏まれたり……あまりにもうまくいかなくて大喧嘩したこともあったよな」
「あったあった、取っ組み合いしてばあやに怒られたもんな」
 マッシュが懐かしそうに声を上げて笑った。エドガーも釣られるように笑って、しかしすぐに切なげに目を細めてふうっと吐息を漏らす。
「そんな昔のことを踊りながら思い出して……あの小さくて頼りなかったお前が、昔に比べて随分……、いい男になったなあ、と」
 薄っすら目の下を赤く染めてエドガーがそんなことを言い出したので、マッシュも驚いて言葉を詰まらせた。
「そんな風に思ったら、なんだか周りの景色が目に入らなくなってしまって……いつの間にかお前に見惚れてた。もう、かなりあからさまに。セッツァーが助け舟を出してくれなかったら、ヤバかった」
「ああ、あれか」
 マッシュの言葉に頷いたエドガーは両手で顔を覆う。
「あー情けない。よりによってあれだけ油断できない人間がいる中でぼーっとするとは。しばらくセッツァーに頭が上がらんぞ……お前のせいだ、お前がいい男だから悪いんだ」
「それ褒めてんのか貶してんのかどっちだ?」
「両方」
 即座に返すエドガーにマッシュが思わず吹き出す。エドガーは未だ桜色の頬に手の甲をぴたぴたと当てながら、自分の中の熱を逃がすようにふうと長く細い息を吐いた。
「来年からあの余興はナシだな。俺の理性が持たん」
 エドガーの言葉にマッシュはまた笑い、頷いて夜空を仰ぎ見た。所々雲がかかってはいるが、美しく星座が輝く空を眩しそうに眺め、感慨深げに呟いた。
「三十年前の今頃、俺たち産まれてたかな」
 エドガーもまた空を見上げて目を細めた。
「そうだな……産声を上げている頃かもしれん」
「ハッピーバースデー、兄貴」
「お前も。……マッシュ」
 エドガーが目配せし、その意図を汲み取ったマッシュが軽く腰を屈めて口づけを落とす。しっとり押し当てた唇が軽く音を立てて離れると、エドガーはコトンと頭をマッシュの胸に凭れさせて目を閉じた。
「……さあ、そろそろ戻るか。主賓がいつまでも留守では場が締まらない」
「うん。……あ、その前に」
 マッシュがエドガーの肩に手を置き、顔を覗き込んで尋ねた。
「兄貴、昔習ったの覚えてる? 舞踏会でのラストダンスは特別な相手と踊りなさいって」
 エドガーが当然とばかりに答えた。
「勿論。覚えてるさ」
「じゃあさ」
 マッシュがエドガーの腹の高さに右手を差し出してきた。
「仕切り直しで最後にもう一回。戻る前に、俺と踊っていただけますか。……今度は見惚れてもいいからさ」
 ぱちぱちと瞬きをしたエドガーは、自信たっぷりにそんなことを言うマッシュを嬉しそうに睨みつけ、言ったな、と呟く。
「……じゃあ、見惚れさせてもらおうじゃないか」
 マッシュが差し出した手に、エドガーははにかみながら自分の手を乗せた。
 その手をぎゅっと握られて睫毛を伏せたエドガーを抱き寄せ、マッシュが耳元で愛の言葉を囁く。
 観衆のいない二人だけの空の下、エドガーは遠慮なくマッシュに向けて愛しさを込めた目を蕩かせた。