Metamorphose




 初めて唇を重ねたのは旅の途中ではあったけれど、それ以上のことをするのに躊躇う程度には他の仲間たちとの距離が近かった。
 赤の他人で男女間であれば何かの弾みでベッドに転がり込んでいたかもしれないが、産まれた時から命を共にしている弟だ。お互い何も言わずとも慎重になっていた。
 城での生活に戻ってしばらく経った頃だった。寝酒として軽めのアルコールを嗜んだのもきっかけのひとつだったのだろうが、そういう欲求を我慢し続けてきたことへの限界が来たのがたまたまこの夜だった。
 辿々しく触れてきた指先の震えを肌で感じて、弟を受け止めてやろうと不思議なくらいすんなり自分の中で納得できた。相手が他の誰でもこんな気持ちにはならなかっただろう。
 男に組み敷かれるのは勿論、性欲が原動となって触れられるのは初めてだった。慣れない行為にそれなりの痛みを覚悟したが、弟はああ見えて几帳面で繊細で何より優しく、実に多くの時間をかけて身体への負担を最小限に留めるように愛してくれた。
 初めての夜は快楽に溺れるというよりは身体を繋げたことへの満足感で心を充たされて、弟の暖かな腕の中で幸せな眠りについた。
 愛する弟、可愛いマッシュ。この身を守ると誓ってくれた頼もしい存在だからこそ、身体を晒すことを躊躇わなかった。寧ろ性に不慣れで朴訥な弟をリードしてやるくらいの気持ちで大きな身体を抱き返したのだ。


 共寝が何度目であるのか数えることをしなくなった頃だった。
 マッシュとのセックスはいつもほぼ同じパターンであり、手や口で互いの身体の感度を高めてから交わるという実にオーソドックスな流れで、最後にマッシュが達してしまえばそれで終わりとなっていた。
 秘所を抉られる前に一度マッシュの手で精を吐き出しているエドガーは、必死で腰を振る弟を見守るような気持ちで抱かれていることが多かった。終わった後にぐったりと倒れ込んでくるマッシュの汗だくの背中を、愛おしげに撫で回すことで心の充実を感じていた。
 受け入れることへの違和感は確かに減ってきたとぼんやり考えてはいた。
 息が詰まるような圧迫感をあまり感じなくなっているのは、マッシュが行為に要領を得始めたのか、エドガーの身体が少しずつ慣れてきたためか。どちらにせよ初めての時とは明らかに違っているという自覚はあった。
 しかしその日、貫かれている箇所のいつもよりほんの少し奥、マッシュが腰の角度を変えて深く挿し込んだその場所に受けた刺激が、思いの外ビクリと全身を大きく震わせたのは本当に不意の出来事だった。
 重なっている肌にもその過剰な動きは伝わったようで、マッシュが驚いた顔で見下ろしてくる。エドガー自身、何故身体がここまでの反応をしたのか分からず戸惑いに目を見開いたまま思考が止まってしまい、その様子が更にマッシュを不安にさせたようだった。
「兄貴……? ごめん、痛かった?」
「……、え……? あ、ああ、いや……」
 痛い、とは様子が違っていた。感じたのは痛みではない。表現し難いが背面に電気を流されたような不思議な感覚だった。
 それをどう説明すべきか迷っている様を肯定と勘違いしたのか、マッシュは心配そうにエドガーを見つめてからゆっくりと自身のものを引き抜いた。
「あ」
 身体の奥から質量のあるものがずるりと抜けていく感触に思わず声が漏れる。エドガーは自分の後孔が名残惜しげに窄んだことに気づいて顔を赤らめた。その表情の変化には気づいていないのか、マッシュが優しくエドガーの髪を撫でて額の生え際にキスを落とす。
「乱暴にしてごめん」
 汗ばんだ胸に抱き締められて声を詰まらせたエドガーは、マッシュが乱暴だったことはこれまで一度もなかったと思い起こしながら、それでも黙って首を縦に振るだけに留めた。
 まだ達していないマッシュのことが気になったが、エドガーの隣にごろりと転がって太い腕で抱き寄せて来るところを見るとこのまま収まるのを待つ気らしい。少し迷って、結局エドガーもマッシュの肩に頭を乗せた。
 あの貫かれた一瞬──とても奇妙な感覚だった。今まで感じたことのなかった反応の真意を追うことに微かな怖れを感じて、探究を止めるためにエドガーは目を閉じる。
 何だか、自分の身体が意志という支配下から抜け出していきかけたような、そんな不安が胸の中に残っていた。



 その不安は思った以上に心を占めていたようで、エドガーは気づけばあれこれ理由をつけてマッシュからの誘いを避けるようになっていた。
 決してマッシュが嫌いになった訳ではない。おやすみのキスだって交わす。しかしそれ以上を求めて肩や胸に触れられると、あの夜に感じた刺激を思い出して全身が総毛立つのだった。
 やんわりと断るとマッシュはエドガーを腕に抱いて眠るだけだったり、時にはほんの少し寂しそうな笑顔を見せて部屋に戻って行ったり、無理強いすることもなくエドガーの意思を尊重してくれた。そんなマッシュの気遣いを目の当たりにして胸がときめかないはずがなく、その背を引き留めたい気持ちにかられるのだけれど、振り向かせた後に身体を捧げることができるかと問われると返答に詰まってしまう。
 エドガーとてマッシュが嫌で拒んでいるつもりはないのだが、一歩踏み出す勇気が出ない。大抵の未知には好奇心を持って飛び込む性格だと自負していたというのに、この怖気付きようはどうしたことだろう。
 あまりにこの状態を長引かせてはいらぬ心配をマッシュに課すことになってしまう──悪い予感は的中し、今まさにありありと不安を顔に描いたマッシュに肩を掴まれ詰め寄られているエドガーは、この場のうまい切り抜け方が思い浮かばず反応に困っていた。
「兄貴……、俺のこと、嫌いになった……?」
 ああ、案の定だ。情けなく眉を下げたマッシュの揺れる瞳に見つめられてエドガーは胸を痛めた。
「そんな訳ないだろう……お前を嫌いになど」
「でも、ずっと避けてるよな? なんで? この前乱暴にしたから?」
 そんなことは、と口籠もりながら顔を逸らしたせいでマッシュはますますエドガーを捕らえる手の力を強めてくる。
 腕力では敵うはずもない。逃げられないことが前提とすると、どう説明をするべきか。エドガーはあれこれ上手い言葉を探して頭を巡らせながら、恐る恐る対面のマッシュの表情を伺った。
 マッシュの今にも泣き出しそうな震える青い眼に心臓がぎゅっと潰れそうな痛みを感じ、やはりその場凌ぎの言葉で愛する弟を誤魔化すことは不可能だ、と観念したエドガーは大きな溜息を漏らした。
「……マッシュ。その……、うまく説明できるかは分からんのだが……」
 エドガーはできる限り誠心誠意、自分が感じた奇妙な感覚についてマッシュに話し始めた。つい難しい言葉で逃げようとする悪い癖を押し留め、マッシュにも伝わるように、行為が嫌なのではなく、あの夜の続きを追究することに躊躇いがあるのだと。
 マッシュは険しい表情で話を聞いていたが、やがてその眉間の皺が少しずつ浅くなって、ついには困惑の色が浮かび始めた。それはエドガーも同じで、二人はよく似た顔を突き合わせてしばしの間話し込み、気恥ずかしさで目線を泳がせるエドガーに対してマッシュは腕組みをして首を捻る。
「……痛かったんじゃないのは分かったけど……、でも、結局は嫌だってこと?」
「嫌、という訳ではなくて……、何と言うか、あのまま踏み込むのは少々危険な気がして……」
「だから嫌なんだろ?」
「……嫌ではない」
 やはりどう説明したら良いのか分からない──エドガーはあの時感じた何とも言えない感覚をうまく伝えられず、もどかしさに唇を噛む。
 マッシュは困ったように頭を掻いて、軽く斜め上を見上げてからエドガーを見据え、頬を赤らめながらも決心したように口を開いた。
「……嫌じゃないなら、俺は……やっぱり兄貴を抱きたい……」
 ストレートな誘いにエドガーの胸が竦む。
 真っ直ぐに見つめてくるマッシュの眼差しの強さに一瞬見惚れ、エドガーは躊躇いながらも頷いた。これ以上漠然とした不安でマッシュを待たせるのは本意ではない。
 顎を引いてマッシュを見つめ返し、口元を微笑ませてもう一度頷くと、マッシュが堪え切れないといった様子で伸ばした両腕にあっさりと抱き込まれた。久しぶりにマッシュの日向の匂いに包まれて、思った以上に心臓が跳ねる。戸惑いよりもときめきが優ったことに気づいたエドガーは、やはり本心では嫌ではなかったのだと思い知らされた。
 強く抱き締められて背中を弄るように撫でられ、エドガーも同じようにマッシュの背に腕を伸ばす。マッシュはいつも焦れったいくらいに身体の隅々まで触れてくれる。普段と違うとすれば、太い腕に込められた力が今までよりも強いことだろうか──逃さないという意志表示をはっきり感じ、エドガーは息を飲んで目を閉じた。
 喘ぐように顎を上げると唇が塞がれる。キスは毎日のように交わしてはいたが、重ねるだけではない舌を絡める口づけは久しぶりだった。
 合間に漏れるマッシュの息が荒い。興奮しているのか、と考えるだけでエドガーの気持ちも俄然高揚していく。
 思えば初めての頃はキスすら辿々しかったマッシュが、今は噛みつくように唇を貪りつつエドガーの身体を抱え上げることを難なくこなし、力強くありながら大切にベッドへ運ぶまでの動作をスマートに行えるようになっているのだ。エドガーが感じたあの反応も、そうした二人の変化の一部として自然に表れたものなのかもしれない。
 ならばこのまま身を任せてみるべきか──角度を変えた口づけを繰り返しながら、少しずつ確実にエドガーの衣服を剥いでいくマッシュに動きを合わせ、鼓動が速まっていく胸を心の中で宥めたエドガーはらしくなく震える指先を握り締めた。
 マッシュの愛撫はいつも丁寧で、生真面目な性格が出ているのか顔から首、胸、腹と順に律儀に愛してくれるので、次に何処に触れられるのか大体は予想通りだった。それでも以前は擽ったいだけだった指先の動きが、身体に熱を灯すスイッチを確実に探り当ててくる。
 胸の飾りなど口に含まれても前戯のパターンのひとつとしか思っていなかったのが、今は軽く吸い上げられるだけで腰が引けるようなむず痒さを感じる。もっと身体中の至るところに口づけられたいと無意識に身を捩る。肌を滑る手が下に降りていくことを期待してしまっている。
 マッシュに抱かれるための身体が完成しつつある──そのことにたまらなく羞恥を感じはするが、エドガーを抱くマッシュの目はいつだって真摯で愛しさに溢れていて、そんなエドガーを揶揄ったり嘲笑ったりすることは決してないと信じられるから、この身を開くことを厭わないのだ──まだ少し臆病風を吹かせる自分にそう言い聞かせ、エドガーは脇腹に唇を寄せるマッシュの髪をそっと撫でた。
 マッシュの手のひらが腰回りを意味深に弄る。腿の付け根のちらほら陰毛が生え始めている箇所を舌で探られ、皮膚の薄い部分に受ける刺激がエドガーの背をぴくぴくと反らせた。
 もう既に頭を擡げている下腹部のものを緩く握られ、エドガーは次に何をされるか予測して奥歯を噛み締めた。直後、すっぽりとマッシュの口内に収められたそれの硬度がぐんと増す。
「んっ……」
 分かっていたのに声が出てしまう。つい口を押さえかけて、その方が目立つと気づいて思い止まった。
 舌で丁寧に根元から舐め上げられ、先端の凹凸を唇で扱かれると息が浅く荒くなるのを堪え切れない。エドガーは顎を仰け反らせながらゆっくりと後頭部をシーツに擦り付けた。
 マッシュは必ず先にエドガーを射精させた。それはマッシュの中で手順の一つとして完全に刷り込まれているのか、エドガーが達する前に挿入することはほぼなかった。
 今も口と舌を動かしながら、そこから溢れて垂れ落ちてきた唾液や粘液を指に絡ませて勃ち上がったものの下で微かにヒクつく蕾を優しく拡げ、次の準備を進めている。
 決まったパターンのセックスに不満がある訳ではなかったが、新鮮味が徐々に薄れてきたのは否めなかった。しかしこの日のエドガーは少し違った。マッシュの指が少しずつ入口から奥に潜る距離を延ばす度、もうすぐ指ではないものが中に入ってくることを想像して落ち着きなく鼓動が速まっていくのは気のせいではなかった。
 最も刺激に弱い箇所を口に含まれ後孔を弄られ、紛れも無い急所を委ねているというシチュエーションも相まって、髪を掻き毟りたくなるような快楽の火種が身体を確実に支配しつつある。意図せず荒く吐き出していた呼吸には掠れた喘ぎ声がごく普通に混じっており、それを押し殺す余裕はすでにエドガーからなくなっていた。
 マッシュが口中から空気を抜くようにエドガーのものを吸い上げる。あと一息の刺激を欲していたエドガーはそれで呆気なく達してしまった。ビクリと震えた腰と足の指先に力を込めて、ここしばらく溜め込んでいたものをマッシュの口の中に吐き出し切った後、強張っていた四肢から力が抜けて荒い息だけが空間に響く。
 力なく下がった瞼の隙間から、マッシュが身体を起こして親指で口元を拭うのが見えた。指先を舐める赤い舌が唇の隙間からちろりと覗き、脱力していたエドガーは一度は静まりつつあった鼓動がまた速くなっていくのを感じて喉を鳴らす。
 すでに上半身は脱ぎ終えていたマッシュが腰紐に手を伸ばした。いつもの習慣でエドガーは気怠い腕に力を込めて身体を起こし、マッシュの下半身に触れようとした。それを留めるように手の甲にマッシュの手が上に重なり、エドガーは思わず顔を上げる。
「今日は、いいよ……、もう……」
 若干頬を赤らめてそう告げたマッシュが下衣を下げると、すでに充分な硬度で聳り立つものが弾かれるように飛び出して来た。
 普段ならエドガーもこの時点で半勃ちのものを口や手で奉仕するのだが、その必要がないくらいに臨戦態勢が整っている。それどころかはち切れそうになっているものを眼前に捉えたエドガーの瞳が一回り大きくなった。
「早く……したい……」
 マッシュが夢見がちな潤んだ瞳で余裕なくエドガーの肩に触れた。
 その赤らんでいながら真剣な表情をしたマッシュの様相に一瞬怯んだエドガーは、近づく胸に思わず衝立のように手を当てる。咄嗟の行動に驚いてマッシュの胸を押す手を見ると、指先が僅かに震えていた。
「あ……、マッシュ、やっぱり……」
 目線を逸らして躊躇いがちに口を開く。
 情けないが、怖れていると自認せざるを得なかった。あの日に断片を感じた知らない扉を開けるのが怖い。自分が自分でなくなるかもしれない、その一端を確かにあの時垣間見た、だから拒み続けていた。
 しかしマッシュはエドガーのその手を優しく握り、掬い上げて指先に恭しくキスをした。そして先程よりも強引さを滲ませた眼差しでエドガーを真っ直ぐに見つめてくる。
「……兄貴……、いっつも俺が挿れてからイッたことないだろ……?」
 ストレートに尋ねられると恥ずかしさが優ってエドガーは返答に困る。一瞬マッシュを見上げたエドガーが再び視線を彷徨わせると、マッシュは握っていた手に更に力を込めた。
「兄貴が話してたのって、ひょっとして……中でイケそうってことじゃないのか?」
「そ、れは、」
「俺、自分だけイイのとか嫌だから……、兄貴ももっと気持ちよくさせてあげたい」
「マッシュ……、ん、んんっ」
 場を取り繕うための言葉を言いかけた口が噛みつくようなキスで塞がれる。
 そのまま再び身体を倒されて、舌を絡め取られながら腰に下りたマッシュの手のひらが臀部を掴むように潜り込み、中指で先ほど念入りに解された奥を確認するように突く。エドガーの下肢がやや大きめに震えた。
 腿の内側を掬われ、脚を開かされる。その瞬間を察して身体を強張らせたエドガーは、思わず眉を垂らして不安げに顔を上げた。見下ろすマッシュと目が合う。マッシュはエドガーの硬い表情を見て若干心配そうに目を細めたが、脚を掴んだままぐいっと上半身を寄せ、少し皺が刻まれたエドガーの額に口付けた。
「……大丈夫、力抜いて」
 まるで初めての時のような台詞を吐いて優しく唇にもキスを落としたマッシュに、エドガーは照れ臭さを感じながらも小さく頷く。何か軽口でも返そうと頭を巡らせたが、思った以上に心に余裕がなくうるさい胸の音に考えを遮られて短い迷いの時は過ぎた。
 マッシュがもう一度入り口を指で確認し、ゆっくりと自身の先端を当てがう。軽く円を描くように頭を潜らせてくるものを、黙って受け入れるためにエドガーは深く細い息を吐いた。
 指とは比較にならない質量のものが肉を割って押し入ってくる。少しずつ奥へと進むそれを反射的に締め付けてしまいそうになるのを堪え、意識して息を吐こうと努めるのだが、身体をゆっくりと串刺しにされるような感覚がエドガーの呼吸を浅く荒く変えていった。
 マッシュの動きが一度止まり、上からフッと短い息の音が聞こえてくる。いつの間にか瞑っていた目を恐々開くと、頭髪がやや乱れていつもより前髪を多く垂らしたマッシュが眉間に僅かな皺を寄せてエドガーを見下ろしていた。
 影を背負った青い瞳がギラつくように光る様がエドガーの身を竦ませた。思わず大きく開かされた脚を閉じようと寄せかけた膝を、マッシュの手が留める。
「……動くよ」
 エドガーの返事を待たずにマッシュが腰を緩めに突き出した。
「あっ……」
 抑えきれずに漏れた声の予想以上の甲高さにエドガーは頬を染める。同時にグチュ、と果実を潰すような音が下肢の付け根から響いてきて羞恥でマッシュから顔を背けた。
 マッシュは決して動きを急いたりはせず、エドガーの身体に負担がかからないように気遣いながら腰を進める。大分慣れて来たとはいえ久々の目合いである、狭い場所をマッシュのものが行き来すると声が詰まりそうな息苦しさがあった。奥歯を噛み締めるエドガーの表情で悟ってか、マッシュはしばらく浅く出入りを繰り返してエドガーの様子を伺っているようだった。
 入り口付近でくちゅくちゅと音を立てながら熱を持って内壁を擦るものが、圧迫感だけではない、中枢から下肢の強張りをこじ開けるような刺激を伴ってエドガーを追い立てる。いつもよりも几帳面なその動きが、かえってエドガーの心から余裕を奪って行った。
 自然と腰がマッシュをより深く受け入れるように緩やかに動き始めていた。もっと奥に欲しい──自分の本音を垂れ流しているようで顔を両手で覆いたくなる。そんなエドガーの内心を知ってか知らずか、マッシュの腰が徐々に速く、更に奥へと進み始めた。
「……あっ、あっ」
 噛み締めていた歯が思わず浮いて声が飛び出すほど、中への刺激は的確だった。粘膜の弱い箇所が擦れて突かれる度に下顎が震えて嬌声が抑えられない。所在無く持ち上げた腕のやり場に気を配れず、ごとりと額に落ちて来た手の甲を避けることまで考えられなくなっていた。
 マッシュのものが人並みよりずっと立派であることはよく見知っていた。その気になればまだ奥を貫けるそれがじわじわエドガーの肉を抉る。以前は何度かこの動きを繰り返せばマッシュが達して終わりなのだと高を括っていた、しかしエドガーはあの日初めて受ける刺激の切れ端を掴んでしまった。
 これ以上突かれたらまたあの時のように身体の自由が効かなくなるのでは? 想像すると、プライドを侵される恐怖にも似た不安がエドガーの胸を掻き乱す。
 早く達して欲しいと身体を揺すられながらの願いに反して、マッシュは折り曲げたエドガーの膝を更に外側へ開いて奥へと腰を打ち付けて来た。
「アッ……!」
 両脚がバネにでもなったかのように振り上がる。苦しげに眉を寄せていたエドガーの目が見開かれ、今まで届いたことのなかった未知の場所を貫かれた刺激で身体が狼狽に強張った。
 咄嗟に脚が抵抗してマッシュの胸を蹴ろうとする。その動きは大きな手で捕らえられ、再び秘所を突き出すように両膝をシーツに力づくで沈められて、エドガーは激しく首を横に振った。
「いや、だっ……、マッシュ、そこは、」
「……兄貴、これ、めちゃくちゃ感じてるんだよな? 中のイイ場所、ここなんだろ?」
「アッ、違う、あっ、ああッ」
「違わねえよ……スゲェ腰振ってんじゃん……」
 高く持ち上げられた後孔を上から突き下ろすように奥を抉られ、苦痛も確かに在るはずなのに、中の肉がまるで別の生き物となり侵入者に絡みついて自ら招き入れているようで──それはエドガーが無意識に腰を浅ましく揺らしているからだと気付かされて、羞恥で頭の中はグチャグチャに乱れた。
 しかし奥を突かれる度にびりびりと全身を駆ける電流が思考を遮断していく。今の姿が醜い、卑しいと自覚はあるのに、それを否定するために動きを正す自由などなかった。口をついて出るのは聞くに耐えない生温く茹だった喘ぎ声ばかり、この口で嫌だと主張しても誰が信じるというのか。
「マッシュ、やめ、あん、ああん」
「もう少し奥、いくぞ」
 ぐいっと腰を大きく突き出したマッシュのものが内壁を破ったかのような強烈な刺激を打ち付け、かぱっと開いたエドガーの口の中で舌が一瞬嘔吐直前のように硬直し、誰の見た目にも明らかなほど滑らかな肌の上で全ての毛穴が粟立った。
「ッ……!」
 身体の中で膨れ上がっていた塊がぱちんと弾けた。これが快楽というものなのか、チカチカ目の前に光が散る眩暈に似た景色を朦朧と眺めながら、エドガーは口の端からだらしなく垂れた唾液が仰け反った顎のせいで耳の穴に入り込んで来たのを不快だと思うことはできても、それを拭おうと思い当たるまで頭が回らない。
 まだ深くマッシュと繋がったままヒクヒクと収縮する入り口は未だ貪欲で、主人が気を手放そうとしているのに硬度を保ったままのマッシュのものをきゅうきゅうと締め付けている。
 しばらくは放心しているエドガーを見守っていたマッシュも、動かなければ辛くなって来たのかまた緩めに腰を揺らし始めた。まだ収縮を続ける場所に再び刺激を与えられ、エドガーの腰が弾かれたように浮いた。
「ひんっ……」
「兄貴……、イッた?」
「あ、ああ、も、もう」
「何も出なかったけど……、イッた、んだよな?」
「も、動かさな、ああ、あん」
 手足に力が入らないのに、中を柔らかく掻き回す先端が奥の壁を擦る度にビクビクと尻が浮く。
 ようやく薄眼を開けたエドガーは恐々自分の腹に目線を向けるが、マッシュの言う通り精を放出した気配がない。確かに絶頂だと思ったのだが、射精も無しに後孔だけが痺れたようにヒクついているのは初めてで、エドガーは自らの痴態に顔を歪めて込み上げてくるものを堪えた。
 快感とは違う理由で肩を震わせたエドガーに気づいたのか、マッシュが身を乗り出すように顔を近づけてエドガーの目尻に口付ける。その動きで胸が重なり、暖かさに安堵はするものの、下半身の繋がりが更に深くなって漏れた悲鳴をマッシュの唇が吸い取った。
「うう、うっ、んっ、」
「兄貴……、兄貴、まだ凄く締めてる……、もっと奥、いいか?」
「だ、め、ああ、あああん」
 子供のように首を横に振るエドガーをあやすように小さなキスを顔中に落としたマッシュは、知らず前髪を毟るように握り締めていたエドガーの右手を優しく解いて自分の背に誘導させた。
 そしてもう一度、今度は唇に舌を差し込みながら深い口づけをして、塞いだまま腰を強めに突き出す。
「──ッ!!」
 目を見開いたエドガーがマッシュの背に鋭く爪を立てた。
 脳天まで電気が走り抜けたような強烈な刺激だった。口内にあるマッシュの舌まで噛み切りそうで、エドガーは必死で唇を解こうと顔を振る。
 その間も中を貫く動きは止まらず、思考はどろどろと溶かされて、ようやく唇が離れた頃には最早口から漏れているのが自分の声だと認識もできなかった。
「ひぁっ……、あ、あ、あんっ、あんっ、ああ〜!」
 理性など頭の何処にも残ってはいなかった。マッシュの肩に額を擦り付け、その汗のにおいすら暴走が止まらない快感の一部となってエドガーを追い立てる。
 再びビクリと身体が大きく跳ねて声が詰まった。視界も思考も真っ白になる。びくん、びくんと不自然に痙攣する身体を収めようもなく、ただしがみ付くマッシュの熱だけがかろうじて意識を持たせてくれる存在となり、汗に濡れた肌にもっと潰れるくらいに抱き締めて欲しくてぐずぐずと鼻を啜りながら涙と涎塗れの顔を押し付けた。
 マッシュはエドガーの頭を強く抱え、中を抉る動きを止めない。電流が流されっ放しの身体は陸に打ち上げられた魚のように跳ね、エドガーは再び昇り詰めて行くのをされるがままに喘ぐことしかできなかった。
「ヒッ……! ひん、ひぃん、もうや、だ、あああ」
「またイク? いいよ、イッて」
「ひゃ……んっ……!」
 マッシュの許可を得るまでもなくすぐに頭は真っ白になり、硬直した手脚からだらりと力が抜けるまで痙攣のような甘い痺れが続いた。
 奥を突かれる度にその絶妙な箇所にスイッチでもあるかのように、身体は言うことを聞かずに絶頂を繰り返す。もう指先にも自分の意思で力を入れることができないのに、快楽の波は引くどころか二波三波と押し寄せてくるのだ。
 死んでしまう、とエドガーは直感した。命が無事でも頭がおかしくなると確信するほどに、この凶悪な快感はエドガーが守っていたものを身体の中から容赦無く破壊した。
 浅ましく開脚した脚の付け根を淫らに貫かれて悦んでいる自分の何と醜いことか。聞き苦しい嬌声も全てこの口から出て来ている。快楽に溺れたおぞましい姿は正視するに耐えない。
 怖れていたのはこれだったのだ。自分が自分でなくなるような、しかし確かに自分自身であるはしたない有様をマッシュに見られるのが怖かった。
 一度知ればもう後戻りできない、きっとこれからも同じかそれ以上の快感を求めてこの身は淫らに狂うのだろう。その時マッシュに幻滅されるのが怖くてたまらなかったのだ。
 しかしそんなエドガーを胸に包みながら繋がっているマッシュが無性に愛しくもあり、このまま壊されるならそれでも良いと、腕は無意識にマッシュの背に縋り付いて放さなかった。
 もうマッシュのことしか考えられない。みっともなく唾液の垂れる唇をマッシュは躊躇いなくキスで塞いでくれる。下肢に受ける凶暴な刺激に加え、同じ人物が施していると思えないほど優しく濃厚なキスにエドガーの感情はぐしゃぐしゃに掻き壊された。
 気持ち良い。良過ぎて心も身体も滅茶苦茶だ。やめて欲しいのにもっと欲しい。泣きながらいや、もっとを悲鳴まじりに繰り返すエドガーの上で、マッシュの顔が苦しげに歪む。
「兄貴っ……、中、何してる……っ? なんだこれ、絡みついてっ……」
「わ、からな、なにも、してな、ああん」
「すっげキツイ……、ダメだ、ごめん、イクっ……」
「ま、しゅ、あ、欲しい、中にっ……」
 それまでほぼ一定のリズムを保っていたマッシュの腰の動きが速まって行く。激しい揺さぶりと何度も何度も絶頂のポイントを力強く突かれることで、エドガーの喘ぎはすでに絶叫に近くなっていた。
 マッシュがクッと小さく息をついた瞬間、エドガーの支配され続けた腹の奥に熱いものが放たれて身体の中に染み込んで行く。
 収縮しながら精を吐き出すものを搾り取るように内壁が締め付けている感覚はエドガーにも伝わったが、自分の意思でその動きをコントロールできず、ただ体内に精液をぶちまけられる快感と充足感に目を剥いて浅く呼吸を確保するのみだった。
 ずるりと音を立てて長く下半身を貫いていたものがゆっくりと抜かれる。
 今まで自分の身体の一部のごとく溶け込んでいたものが引き抜かれた瞬間、まるで半身を奪われたような猛烈な淋しさに襲われたエドガーは、ぽっかりと赤黒く開いたマッシュ自身の形そのままの後孔の穴も、放心して見開かれた瞳から溢れる涙も隠すことができなかった。
「う……っ、ううっ」
 嗚咽を漏らして泣くエドガーを胸に強く引き寄せて抱き締めるマッシュに包まれ、エドガーは子供のようにしがみついて声を上げて泣いた。
 これだけの痴態を晒してもなお愛を込めて髪を撫でてくれるマッシュが愛おしくてたまらず、泣きながらエドガーは譫言のように言葉を繰り返す。
「マッシュ……、マッシュ、好き、好きだ……」
「うん……、俺も、愛してるよ……」
「嫌いに、ならないで、くれ……」
「なるもんか……、誰より愛してる……」
 マッシュに顎を掬われ、重ねるだけの長い口づけを受ける。自然と下ろした瞼が上がって唇が離れた後、目に映ったマッシュの微笑は優しかった。
 涙と汗と唾液に汚れたエドガーはうまく笑い返すことはできなかったが、先程までマッシュを呑み込んでいた後孔と同じく胸がぎゅうぎゅうと音を立てて窄み、厚い胸に身体を擦り寄せて疼きにも似た痛みを散らすため細く息を吐く。
 肌に伝わるマッシュの鼓動も最初は速かったが、徐々に落ち着いてゆったりとエドガーの頬を打っていた。エドガーもまた手足の指先に感覚が戻ってきていることに気づき、安堵を感じた途端にずるずると眠気が訪れていることを自覚する。
 もう少しマッシュの暖かさを感じていたい──その願いも空しくあっさりと瞼は下り、気を失うように眠りの時間はやってくる。
 目が覚めた時、新しい扉を開ける前の何も知らなかった自分にはもう戻れないのだろう。気怠い四肢から力を抜き、全てをマッシュに委ねてエドガーは深い夢の世界に引きずり込まれた。