二面性




 買い出しの帰り道、通りかかったアクセサリーの店で足を止めたマッシュは、店内外に飾られたクリスマスのディスプレイを目にして「そういえば」と兄のエドガーに何もプレゼントを用意していないことを思い出した。
「あんだ、何か欲しいモンでもあんのか」
 荷物の半分を持つセッツァーが面倒臭そうに隣に立って覗き込んで来る。マッシュは店の外に並ぶ品々から目を離さずに頷いた。
「うん、ちょっと兄貴に」
 ビーズや木製の素朴なアクセサリーが並んだ棚を一瞥したマッシュは、エドガーに似合うものはないかと店の奥に足を踏み入れた。セッツァーも溜息をつきつつ後ろからついて来る。なんだかんだ付き合いの良い男だな、と後ろを軽く振り向いて微笑したマッシュは、ふとピアスのコーナーで視界を掠めた目を惹く煌めきに動きを止めた。
 幾つか並んだ商品の一番端で、青みがかった緑色の石の輝きが美しい涙型のピアスが鎮座している。澄んだ緑に深い青が混じったその石は、手に取ると光の加減で色合いが微かに変わってより魅力的に見えた。
 兄の青い瞳の傍で揺れる高潔な青碧はさぞや映えることだろう──マッシュはそのピアスを緩く握り締めた。
「決めたのか」
 セッツァーの言葉に頷いて、手の中にある控え目な大きさのピアスを見せた。セッツァーが軽く眉を持ち上げ口笛を吹く。
「へえ、こいつか」
「知ってるのか? 初めて見たけど、この色兄貴に似合いそうだ」
「あー、その石な、……」
 セッツァーは何かをマッシュに言いかけ、ふいにくるりと紫色の目を斜め上に移動させて何か考えたような素振りを見せてから、怪しく笑って首を横に振った。
「いや、何でもない」
「……? なんかあるの、この石」
「何もねぇよ? 確か石言葉は『高貴』ってんだ。さぞやお前さんの大事な兄貴にお似合いだろうさ」
 やけに意味深に微笑んだセッツァーに首を傾げながらも、『高貴』の単語にますます決意が固まったマッシュは、ピアスを手に店員に声をかけた。クリスマスらしく華やかなラッピングを施してもらい、ほくほくと顔を綻ばせながら帰路につくマッシュの後ろで、セッツァーがニヤニヤと含みのある笑みを浮かべていた。


 仲間たちとの賑やかなパーティーの後、部屋に戻ったマッシュは飲み直しに選んだワインでエドガーと乾杯し、ランプの灯りでオレンジ色に照らされる兄のほんのり赤らんだ顔に見惚れていた。
 エドガーから細やかな彫刻が施されたバングルをプレゼントされたマッシュは、次は自分の番だと張り切って先日選んだプレゼントを手渡す。
 手のひらサイズの包みをエドガーは興味深そうに微笑みながら開き、中から出てきた箱の蓋を開けてほう、と声を上げた。その驚きつつも嬉しそうな表情に安堵したマッシュは、照れ臭さを誤魔化すためにワインで口を潤す。
「お店で見かけてさ、兄貴に似合いそうな色だなって」
「へえ。普段あまりつけない色だが……似合うだろうか?」
 エドガーの言葉にマッシュの笑顔が一瞬固まった。──ふだんあまりつけない色? 兄はいつも青い石を好んでいたはずだが──マッシュが返事に困って瞬きをすると、エドガーは箱の中からピアスを拾い耳の傍まで持ち上げて見せた。その色にマッシュはあっと声を上げる。
「? どうしたマッシュ」
「あ、い、いや……」
 エドガーの指が摘んだピアスは、涙型の形こそあの日選んだものと同じであるのに、あの澄んだ青みがかった緑色は何処にもなく、妖艶な赤紫の輝きに変わっていた。
 何かの手違いだろうか? ──いや、あの日確かに手渡したピアスは店員が目の前で包んだのだ。取り違えられるタイミングはなかった。では何故色が全く変わっているのだろう──
「マッシュ」
 エドガーの声にハッとしたマッシュが考え事から意識を現実に戻すと、兄が手のひらにピアスを乗せてマッシュに向かって差し出していた。
「つけてくれ」
 その艶のある声にドキンと胸を竦ませつつ、マッシュはそっとピアスを手に取る。間近で確かめてもデザインはあの日見たまま、色だけが違っている。一体どういうことだと首を傾げている間に、エドガーはそれまでつけていたピアスを外してマッシュを待っているようだった。
 立ち上がってテーブルを挟んだ向かいにいるエドガーの元に回ったマッシュは、力を込めると握り潰してしまいそうな小さなピアスを手に、兄の耳にそっと触れた。
 瞼を閉じて待つエドガーの長い睫毛に気を取られつつ、小さなピアスを丁寧に兄の耳に取り付ける。柔らかな耳朶に触れるとその冷たさがやけに指に伝わり、痺れるような興奮を感じながら兄の耳から手を離すと、赤紫の石が怪しく揺れた。不思議な緊張感で微かに指先を震わせて、もう片方の耳にもピアスを取り付ける。
「似合うか?」
 微笑を浮かべながらマッシュを見つめるエドガーの青い瞳の傍で煌めく赤は、普段見慣れない組み合わせではあるが決して似合わない訳ではなく、寧ろ──
「……似合うよ」
 眩しいものを見つめるように、目を細めたマッシュの瞳がエドガーを前にどろりと蕩ける。
 初めにマッシュの目を留めたあの青緑の石だってエドガーにはよく似合っていたはずだった。セッツァーが教えてくれた石言葉の『高貴』の言葉の通り、兄の王たる貫禄を引き立てる美しい輝きを見せてくれただろう。
 しかし今、エドガーを照らすランプの暖かな光を一瞬にして濃厚な大人の空気に変えた赤紫の石は、兄が醸し出す艶かしい雰囲気を助長させるに充分なアイテムとなっていた。
 酷く魅力的で、官能的ですらある──意図的なのか無意識なのか、軽く頭を振ってピアスを揺らす兄の色気のある仕草に思わず喉を鳴らしたマッシュは、ピアスごと兄の片耳に触れて唇を寄せる。
「凄く、似合う……」
 囁きながらピアスに口付けてそれごと耳朶を緩く食むと、エドガーの肩がピクリと揺れた。エドガーが細く吐き出した息に色づいた気配を感じたマッシュは、その頸で結われた髪の付け根に指を差し入れ顔を自分に向かせ、濡れた唇に噛み付くように口付ける。
 エドガーの腕もまたマッシュの後頭部に伸びて、力を込められるがままマッシュもエドガーの身体を強く抱き寄せた。





「アレキサンドライト?」
 酔いで半分ほど瞼を下ろしたロックが聞き返すと、セッツァーは「ああ」と軽い調子で答えた。
「日光の光と人工的な灯りでそれぞれ色が変わる石だ。昼間は青緑、夜は赤紫。昼と夜で表情が変わる……意味深だよなあ?」
「ふーん……、で、そのアレキなんとかが何だって?」
「いや、そういう石があるって話だ」
 グラスの底に残った酒を飲み干したセッツァーは、だらしなくテーブルに突っ伏して頬を潰すロックをちらりと眺め、呆れたように肩を竦める。
「んで、お前は何だってここでクダ巻いてんだ。セリスと部屋に行ったんじゃねぇのかよ」
「それがさあ……」
 待ってましたと言わんばかりにがばっと身体を起こしたロックは、セッツァーにしがみつく勢いで酔って赤くなった目を潤ませながら近付いてきた。その憐れみに塗れた表情に顔を引きつらせたセッツァーが思わず仰け反る。
「クリスマスプレゼントに、指輪買ったんだ。奮発したんだぜ」
「ちと重いが悪くねぇんじゃねぇの」
「……セリスの指に入らなかった」
 低くポツリと零したロックの言葉にセッツァーは眉を寄せ、御愁傷様と手を合わせた。
「笑顔が真顔になったあの瞬間思い出したくねぇ……」
 ロックはセッツァーの肩を掴んでさめざめと泣き、セッツァーはやれやれと溜息をついた。
 イヴの夜は更けてゆく。