奥手




 弟は奥手だ。


 折角午後の予定がぽっかり空いたというのに、目ぼしい場所の何処にもマッシュがいない。マッシュの部屋、訓練所、食堂、図書館。一通り探し回って後に残るはあの場所くらいだろう──エドガーは王族しか立ち入ることのできない回廊を上がり、フィガロの砂漠を一望できる塔の天辺に顔を出すと思った通りマッシュがそこにいた。
 マッシュは目を閉じ、石床に直接腰を下ろして胡座をかいている。座禅、というのだと以前マッシュが教えてくれた。このポーズも修行の一種で、瞑想と呼ばれるものらしい。何でも頭の中を空っぽにして無心となり、心の成長を促す効果があるそうだが。
 エドガーはあからさまにがっかりした。いつからマッシュがこの状態にあるかは分からないが、瞑想の修行は長い。マッシュがこの場所を選んだということは、他の誰かに邪魔をされないためだ。瞑想が終わるまでややしばらく待たなければならないかもしれない。
 折角、時間ができたというのに。ここのところ忙しくて二人だけの時間もあまり取れず、物足りない思いをしていた矢先の貴重なタイミングだというのに、何故マッシュは間が悪く瞑想なんぞに耽っているのか。
 弟は奥手だ。こちらから誘わなければ夜の営みだってなかなか求めてくれない。もう少し強引でもいいのに、と焦れているエドガーに気付いているのかいないのか。すっかり機嫌を損ねたエドガーは、瞑想中にはご法度の茶々入れを始めた。
「おい、マッシュ」
 返事はない。予想はしていたが、無視されるとやはり腹が立つ。
「マッシュ、聞こえてるんだろう」
 マッシュは微動だにしない。エドガーはわざとらしく靴音を立てて近寄った。
「マーッシュ」
 マッシュの隣にしゃがみ込み、その肩をつんと突く。いつ見ても惚れ惚れするような三角筋は弾力があり、しばらくつんつんと突いて反応を見るがマッシュは相変わらず沈黙している。
 かなり間近で顔を覗き込むが何の変化もない。目を閉じたマッシュの精悍な顔立ちはとても凛々しく、エドガーの胸をときめかせるに充分な色気を備えているのに、罪作りな弟はまるで空気のように無になってしまっているのだ。
 エドガーはいよいよ憤慨した。この兄が声をかけているというのに、眼中なしとはどういう了見だ。大体こんな瞑想とやらに心身を鍛える効果が本当にあるのだろうか? 寧ろ、これ以上煩悩を減らされては夜の楽しみもなくなってしまうのではないか?
 エドガーはマッシュの肩に顎を乗せ、耳元でマッシュ、と甘ったるく囁いた。そのまま耳の穴にふっと息を吹きかける。まだ動かないマッシュの耳朶に唇を寄せ、ぺろりと舐める。エドガーとお揃いのピアスが揺れた。そのピアスごと耳朶を咥え、舌先で転がしてみた。マッシュはまだ動かない。
 そのまま耳の裏からうなじへと啄ばむようなキスで移動して、肩に軽く歯を立てる。痕をつけてしまおうか、と力を込めようとした時。
 それまで岩のように不動だったマッシュの腕がぐいっとエドガーの後頭部を捉え、掴まれた髪を引っ張られてエドガーは倒れるように仰け反った。
 あっと思う間も無くマッシュの顔が迫り、唇全てを包み込むように荒々しく口付けられる。呼吸ごと吸い取られて息が詰まったのも束の間、乱暴に捻じ込まれた舌がエドガーの舌を根から撫で上げて、エドガーは背中が総毛立つのを感じた。
 マッシュの舌はエドガーの舌を散々蹂躙した後意味ありげに口内の上顎をなぞり、その痺れるような刺激に思わず唇を震わせたエドガーはマッシュの肩に爪を立てる。少しだけ唇が離れて僅かに酸素を取り込めたが、すぐに角度を変えて再び唇が降ってくる。口の端から垂れ落ちる唾液がどちらのものかも分からず、くらくらと眩暈を感じたエドガーはマッシュに支えられるまま体重を預けてくたりと脱力した。
 ようやく唇が解放された時にはエドガーは息も絶え絶えで、目の前に迫る雄の色をしたマッシュの瞳に射抜かれて恍惚に目を潤ませていた。
「……ったく、修行になんねえだろ……!」
 マッシュの青い瞳にはすっかり情欲の炎が揺れている。部屋行くぞ、とマッシュに促されるがエドガーは腰に力が入らない。その事実に赤面し、気恥ずかしそうに唇を尖らせてマッシュに両腕を伸ばす。
「……立てない」
「ナメてるからだよ」
 エドガーの膝下に腕を差し入れて、決して軽くない体をいとも簡単に抱き上げたマッシュはもう一度エドガーに口付け、覚悟しろよ、と低く囁いた。


 弟は奥手だ。と、思っていた。