昔々のお話です。 あるお城に双子の王子様が誕生しました。 その国の言い伝えでは双子の王子は不吉な存在とされていました。国の繁栄のためにはどちらかの王子様を城から追い出さなくてはならないのです。 しかし心優しい王様と王妃様は双子の王子様をどちらも手放さず、たくさんの愛情を注ぎました。双子の王子様はすくすくと育ちましたが、二人が一歳になった日に王妃様が、三歳になった日に王様がご病気で亡くなりました。 これも王子様が双子であるせいだと城の兵士たちが騒ぎ出し、とうとう弟王子様が城を追い出されることになりました。 弟王子様は仲良しの兄王子様と引き離され、たった一人で大きな熊がたくさん住んでいるコルツ山に捨てられました。 一人泣いている弟王子様の元に熊たちが集まりました。食べられてしまうことを覚悟した弟王子様を、熊たちは優しく迎えてくれました。コルツ山の熊たちは本当は人間が大好きだったのです。 こうして弟王子様は熊たちと暮らすことになりました。 弟王子様はご自身のお名前がマッシュであったことだけを覚えており、その他のことはすっかり忘れて大きく育ちました。 マッシュ様はご自身が王子様であったことも忘れてしまいました。しかし時々ぼんやりと昔仲良く遊んだ大好きな人の夢を見ることがありました。その人が誰なのかマッシュ様は思い出すことができませんでした。 立派な青年に成長したマッシュ様は、ある日友達の雌の熊から求婚を受けました。長く熊と暮らしていたマッシュ様は熊の言葉も理解できるようになっていたのです。 マッシュ様は熊の女性に興味がなく、相手を傷つけないようとても丁寧にお断りをしました。しかし雌の熊は大変に嘆き悲しみ、更には怒り狂ってマッシュ様に呪いをかけました。 呪いの力でマッシュ様は大きな熊の姿に変えられてしまいました。雌の熊が言うには、元の姿に戻るためには人間を愛し、その人間にも愛されなければならないそうです。しかし熊の姿でマッシュ様を愛してくれる人間がどこにいるでしょう。 マッシュ様は困りましたが、元々コルツ山には熊しかいなかったため、そのまま熊の姿で暮らすことにしました。 ただひとつ悲しいことがありました。それはマッシュ様が暮らす山小屋には時折旅人が休息を求めて訪ねてくることがあるのですが、熊の姿となってからは訪れた旅人たちが皆怖がって逃げてしまうのです。 たまにやってくる旅人との会話を楽しみにしていたマッシュ様は少し淋しくなりました。 ある日山小屋に一人の青年が訪ねて来ました。 金色の長い髪を紺碧のリボンで結び、鮮やかな青のマントを纏った大層美しい青年でした。 青年は山小屋のドアをノックしましたが、熊の姿であるマッシュ様は怖がらせてはいけないと思ってドアを開けず窓から様子を伺っていました。しかし、青年が足に怪我をしているのに気づいたマッシュ様は、そっとドアから顔を出しました。 青年はマッシュ様を見て綺麗な青い瞳をまん丸にし、非常に驚いた顔をしました。小屋から大きな熊が出て来たのだから当然でしょう。 マッシュ様は熊にされてから人間の言葉を話せなくなっていたため、身振り手振りで自分が無害であることを伝えようとしました。それでも今まで訪れた人々は必ず逃げ帰ってしまったため、今回もきっとダメだろうと思っていました。 せめて怪我の手当てだけでもとマッシュ様が手にしていた包帯を見た青年は、驚きながらもにっこり微笑みました。 「ひょっとして怪我の手当てをしてくれるのかい?」 青年の言葉にマッシュ様は何度も頷きました。熊の姿を怖がらなかったのはこの青年が初めてでした。 マッシュ様は青年を小屋に招き入れ、獣にやられたと覚しき足の怪我の手当てをしました。それから美味しいスープとパンケーキを振る舞いました。 青年は食事を綺麗に平らげて、ご馳走様と上品に御礼を言いました。 「怪我が癒えるまでここに滞在しても構わないだろうか」 青年の願いをマッシュ様は快く引き受けました。 しかし青年は熊の姿が怖くないのでしょうか。まじまじと青年を見るマッシュ様に、青年は青く優しい眼差しを向けました。 「君は私と目の色が同じだね。とても優しい目をしている。だから怖いと思わなかったのだよ」 青年はまるでマッシュ様の心の声が聞こえているかのように語りました。マッシュ様はコルツ山に来てから鏡を見たことがなかったため、ご自分の瞳が青いということを初めて知りました。でも、青年の青い目がとても綺麗だったので、同じ色と言われて嬉しくなりました。 そして青年は旅の目的も話してくれました。 「実は私はこの山の向こうの城を治める王なんだ。生き別れの双子の弟がこの山にいると知って探しに来たところ、獣にやられてしまってね。助けてくれてありがとう」 青年はとても戯けた口調で話したので、マッシュ様はそれが本当のことなのかどうか分かりませんでした。でも、自分と同じ目をしているという美しい王様がとても好きになりました。 夜になり、マッシュ様はいつもご自分が使っているベッドを王様のために整えました。王様にベッドを勧めると、王様は狭い小屋を見渡してこう言いました。 「君の寝る場所がないじゃないか。」 マッシュ様は首を横に振りました。熊の姿であるため、床で寝るのもへいちゃらだったのです。 しかし王様は綺麗なお顔を曇らせました。 「怪我の手当てをしてくれた上に美味しい食事もご馳走になって、おまけにベッドまで占領しては申し訳が立たない。ベッドは君が使ってくれ。」 またマッシュ様は首を横に振りました。怪我をした王様を床で寝かせるなんてとんでもないと思ったのです。 王様は困った顔をして、ではこうしよう、と何か良いことでも思いついたように青い目を輝かせました。 「一緒に眠ろう。少し狭くなるが許しておくれ」 マッシュ様はびっくりしました。この王様は熊の姿を怖がらないばかりか、一緒に寝ようと言うのです。 マッシュ様は恐る恐る王様と一緒にベッドに潜りました。マッシュ様はとても大きな熊だったので、ベッドもとても大きく作っていましたが、それでもぴたりとくっつかないとどちらかがベッドからはみ出てしまいそうでした。 王様はマッシュ様の少しごわごわした毛むくじゃらの胸に体を乗せて、気持ち良さそうに眠りました。マッシュ様は王様を潰さないよう優しく抱き締めて眠りました。それはとても暖かく、ちょっぴりどきどきする夜でした。 マッシュ様は久しぶりに素敵な夢を見ました。ずっと昔に仲良くしていた大好きな人とくっついて眠る夢でした。 目が覚めてからも胸の上で王様が眠っているのを見つけて、マッシュ様はなんだかとても嬉しくなったのでした。 マッシュ様は王様の怪我が早く治るようせっせとお世話をしました。王様はマッシュ様の作るお料理をどれも美味しいと褒めてくれて、特にスープとパンケーキがお好みのようでした。 マッシュ様は人間の言葉が話せませんでしたが、不思議なことに王様はマッシュ様の考えていることがそっくりお分かりになるご様子でした。なので、マッシュ様が口を利けなくても二人はお話ができました。 王様はとても物知りで、マッシュ様にいろいろなことを教えてくれました。王様が住むお城のお話。王様が作る機械のお話。知らないことばかりのはずなのに、何故だかマッシュ様は王様のお話がどれも懐かしく感じるのでした。 夜になると二人はくっついて眠りました。王様はマッシュ様の胸の上がすっかりお気に入りになって、気持ち良さそうに頬を埋めて眠ります。 マッシュ様も王様の髪から漂う優しい匂いが大好きで、王様を抱き締めて眠るのが毎晩楽しみでした。 マッシュ様は、王様がずっとずっとここにいてくれたらいいのになあと思うようになっていました。 でも王様は怪我が治ったら小屋を出て弟を探しに行くのでしょう。その日を思うと、マッシュ様は胸が潰れそうなほど淋しくなるのでした。 王様の怪我がだんだん良くなって来ていたある日、山小屋を訪ねてくる者がおりました。 兵士の格好をした男は山小屋のドアを勝手に開け、中にいる王様と熊の姿をしたマッシュ様を見て悲鳴をあげました。 「大変だ! 陛下が熊に囚われている!」 男はお帰りの遅い王様を探しに来たお城の兵士でした。 王様が訳を話す暇も無く兵士は逃げ帰ってしまいました。心配そうに王様を見るマッシュ様に、王様は優しく笑いました。 「大丈夫。君が優しい心の持ち主だと話せば分かってくれるだろう。」 しかし翌日、お城からやってきたたくさんの兵士たちが、山小屋を取り囲んで王様を返せと騒ぎました。 王様が話をしようとしましたが、兵隊たちは機械仕掛けのボウガンを構えて矢をひゅんひゅんと打ち込んできます。窓を破って小屋の中に飛び込んで来た矢を見て、王様に当たっては大変とマッシュ様は王様を小屋に閉じ込めて一人で外に出ました。 狙われているのは自分だと分かっていたマッシュ様は、王様を守るために盾になろうとしたのです。王様がほんの少しでも傷つくのが嫌でたまらなかったのです。 兵士たちは熊の姿をしたマッシュ様を一斉に狙いました。ボウガンの矢がマッシュ様の体に刺さった時、王様はお手製の大きなのこぎりを振り回し小屋を破壊して飛び出して来ました。 そして倒れたマッシュ様に駆け寄り、青い瞳から美しい涙を流してごわごわした胸の毛を撫でてくれました。マッシュ様は王様がとても哀しいお顔をしているのが辛かったのですが、王様に矢が刺さらなくて良かったと思いました。 マッシュ様は優しい王様に心の中でさようならを言いました。とてもとても王様が好きでしたと言いました。 王様はいつものようにマッシュ様の考えていることがお分かりになったのでしょう、涙を流しながら何度も首を横に振って、いつも夜に一緒に眠るようにマッシュ様の胸に顔を埋めました。 その瞬間、マッシュ様の体は眩い光に包まれました。兵士たちはあまりの眩しさに倒れてしまいました。王様だけがその光を浴びても平気のようでした。 光が消えた時、熊の姿だったマッシュ様は人間の青年の姿に戻っていました。打たれた矢傷もすっかり消えて、驚いたことにそのお顔は王様と瓜二つでした。 王様は綺麗な青い目をまん丸にして、マッシュ様のお顔を両手で優しく包んで尋ねました。 「もしや……君は私の弟のマッシュなのか?」 マッシュ様は驚きました。王様の弟のお名前は一度も聞いたことがなかったのです。そして時々見る素敵な夢を思い出しました。仲良しだった大好きな人の顔を思い出しました。それはまさしく目の前にいる王様の小さい頃のお姿でした。 王様の問いにマッシュ様が頷くと、王様はマッシュ様を抱き締めて、やっと見つけたとまた涙を零されました。 王様はマッシュ様の双子の兄だったのです。マッシュ様も思わず王様を抱き締めました。熊の姿ではない腕で王様を抱き締めるのはむず痒い感じがしました。 王様は兵士たちがマッシュ様を撃ったことについて大層お怒りになりました。兵士たちの前で大きなのこぎりを持って仁王立ちする王様をマッシュ様は一生懸命宥めました。 王様の強い希望でマッシュ様は王様と一緒に城に戻ることになりました。王様は照れ臭そうに微笑みながら言いました。 「お前の作ったスープを毎日飲みたい」 マッシュ様は王様が毎朝作るスープをとても気に入っていたことを思い出して嬉しくなりました。 「パンケーキもね」 マッシュ様が答えると、王様は恥ずかしそうに頬を染めました。そのご様子があまりに可愛らしく見えたマッシュ様は、ご自身の気持ちに気づいてしまいました。 マッシュ様に呪いをかけた雌の熊は、人間を愛さなければ元の姿には戻れないと言っていました。そうです、マッシュ様は王様を愛していたのです。双子の兄である王様を愛してしまったのです。 城に戻った初めての夜、マッシュ様は兄王様の寝室に招かれました。兄王様は今までのようにマッシュ様とご一緒に寝たいとお考えでした。 しかしマッシュ様は躊躇いました。熊の姿でなら抱き締めても思い留まれましたが、人間の姿ではとても我慢ができそうにありません。 愛する兄王様に良からぬことをするのが怖くて、マッシュ様は寝室を出ようとしました。兄王様はマッシュ様を引き留めようと腕を掴みます。その必死なご様子に、マッシュ様は呪いが解けるもうひとつの条件を思い出しました。 人間を愛し、その人間に愛されること。マッシュ様ははっとしました。愛されなければ元の姿には戻れなかったはずなのです。 マッシュ様は勇気を出して、兄王様に想いを打ち明けました。貴方が好きですとお伝えすると、兄王様はとても嬉しそうに微笑みました。 その微笑みの美しかったこと! マッシュ様は兄王様に優しく口付けをし、その夜二人は結ばれました。 こうしてマッシュ様と兄王様はお城で末永く幸せに暮らしました。 しかしそれまで女性好きで知られていた兄王様が女遊びをぱたりとやめてお妃様もお迎えにならなかったため、お城にお世継ぎが産まれることはありませんでした。 言い伝えの通り国は繁栄しませんでしたが、お二人はとても幸せそうに日々をお過ごしになるのでした。 めでたしめでたし(?) |