肌の色より少し桃色が際立つ白粉に刷毛を滑らせ、頬にひと塗り、額にひと塗り、眼の下は注意深くふた塗り。 手鏡で確認し、塗り斑を指や手のひらで馴染ませる。顔から鏡の距離を離し、遠目で全体を確認してから納得したように目を伏せ、白粉と手鏡を引き出しにしまいこんだ。 ふうっと短めに息を吐き立ち上がる。青色のリボンで束ねた金髪を揺らし、会議に赴くためエドガーは部屋を後にした。 ここしばらく、人に会う前には女性のように白粉を叩くのが常になっていた。睡眠不足のせいか、食事が疎かなためか、またはその両方か、お世辞にも顔色が良いとは言えない素肌を隠すようになっていた。 ケフカとの戦いの後、手にするものは武器ではなくペンとなり、言葉の通り寝る間も惜しんで事後処理に当たってきた。被害の大きかった他の都市を先導する立場となったフィガロ国の長として、取り憑かれていると形容されてもおかしくないほど政務に没頭していた。 かつての自分であればもう少しうまく立ち回り、物事の優先順位を非情なまでに冷静につけることができていたのだが、今はそれができなかった。一国の王ではなく世界を救うために旅をした仲間の一員として、各地を渡り歩き実際に見た景色は机上からは測れない惨さがあった。あの悪夢をひとつでも減らすために。先送りすべきことにも手を伸ばしてしまっている自覚はあった。 書類の決済に陳情の受付、繰り返される会議と各地からの使者との面会、これに視察の時間を取りたいと告げると大臣は渋い顔を見せた。少し休んで下さいと方々から言われるようになり、鏡を覗いて合点がいく。それから引き出しに白粉を忍ばせるようになっていた。 何を焦っているのかと自分に問う気がない訳ではないが、追い立てられるように仕事をしている方が気持ちが楽だった。もう少し、あと少し。どこが区切りになるのか見当がつかないまま、限界をごまかして日々をこなしていく。 コンコンと響くノックに顔も上げずにどうぞと答える。躊躇いがちに開いた扉の音で、役職のある人間ではないと気づき視線をやると、見慣れない若い侍女が怯えたように深くお辞儀をしていた。 思わずペンを置き「何かな?」と声をかける。彼女は小さな声でおずおずと告げた。 「あ、あの、マシアス様よりご伝言をお預かりしております」 「マッシュが? 何だ」 「その、陛下に、マシアス様のお部屋にいらしていただくように、と……」 エドガーはあからさまに眉を顰めた。侍女がその様子を見て肩を丸めて縮こまる。 「悪いが忙しくてね。用があるならそっちが来いと伝えてもらえるかな」 思わず棘も隠さずにきつめの言葉を選ぶと、侍女は泣き出しそうな顔になって祈るように両手を組んだ。 「そ、それが、陛下がいらっしゃるとおっしゃるまで戻ってはならないとのお言いつけで……」 エドガーは呆れて溜息をついた。成程この態度、見慣れないのは城に来て間もないためだろう。真っ青な顔でブルブル震えながら返事を待つ侍女はさながら断頭台の前に立つ囚人のようだ。 マッシュにしては嫌らしい手を使う、とエドガーは首を軽く横に振り、観念して右手を上げた。 「……分かった。後で行くと伝えなさい」 「あ、ありがとうございます……!」 侍女の顔がぱっと輝き、ぞんざいだが深いお辞儀をもう一度見せると逃げ出すように部屋を出て行った。 一人になった部屋で大きく息を吐き、天井を睨む。 この無茶な生活が加速してから、マッシュと顔を合わせるのを避けていたのは事実だった。勿論城の中で全く会わないというのは不可能であり、毎日それなりに言葉は交わしているのだが、明らかに今のエドガーに不満を持っているマッシュから小言が飛び出さないよう、長い時間会うのをのらりくらりと躱してしばらく経つ。そろそろ覚悟しなければならないと思うと気が重い。近すぎる存在なだけに説教も遠慮がないだろう。 大方今夜の食事にも現れなかったことが引き金になったか──溜息をつきながらエドガーは書類にペンを走らせ、最後の行にサインをしたところで手を止めた。 ペンを離して引き出しを開け、手に取った手鏡で顔を覗き込む。さすがに昼間塗った白粉は落ちており、目の下の窪みがどんよりと黒ずんで見える。額は青白く、頬も血の気がない。 仕方なく白粉に手を伸ばし、刷毛に粉を馴染ませた。 ノックをすると「どうぞ」と低い声が返ってくる。 開けて出迎える気もないのかと若干苛立ちながら乱暴にドアを開くと、部屋に据えられたソファに座ったままのマッシュが顔を上げた。 目が合い、マッシュは即座に険しく眉を寄せた。会うなりそんな顔をされてエドガーもむっとするが、マッシュは真っ直ぐエドガーの元に来ずに椅子にかけられていたタオルを手にしてからずんずんと近づいて来る。 呆気に取られている間に目の前に来たマッシュは、おもむろにエドガーの顔をタオルで覆った。突然の行動に回避できなかったエドガーは両手をバタつかせて抵抗するが、マッシュはエドガーの頭を押さえつけて顔を擦る。ようやく解放された時には顔がヒリつく程で、思わず頬を押さえてマッシュ睨みつけるが、更に鋭い目でマッシュがタオルを突きつける。 タオルは薄っすら橙色に染まっていた。 「こんなもん塗って誤魔化すな」 エドガーの言葉が詰まり、顔が熱くなる。 白粉がバレたのも気まずいが、何よりマッシュの口調が想像以上に厳しい。うまくあしらって部屋を出るのは難しいかもしれないと、エドガーは戸口より中に入るのを躊躇った。 「……何の用だ」 マッシュの言葉には答えずに尋ねたが、マッシュもまたエドガーの言葉を無視して腕を掴んで来る。あっと思った時には物凄い力で引っ張られ、部屋に体が入ったところでドアが閉められた。ガチャリと錠の降りる音に気づきドアを振り返る。 「長く話してる時間はない。手短に済ませろ」 鍵を開けようとエドガーが伸ばした腕を再び掴み、マッシュはただ一言「ダメだ」と告げた。耳を疑ったエドガーが見上げると、ゾッとするほど厳しい表情の青い瞳がエドガーを見下ろしていた。 「……マッシュ?」 本当に目の前の男が弟であるのか、思わず確かめるように呼びかける。マッシュは答えずにエドガーの腕を引き、エドガーは抗うも簡単に引き摺られる。 そのまま振り回されるように投げ飛ばされ、自分を受け止めたのがベッドであると気づき、はっとエドガーは顔を上げた。 見下ろすマッシュは青い炎を湛えたような眼で、驚きに強張るエドガーを見据えて低く吐き出した。 「部屋には返さない。今日の仕事はもう終わりだ」 「それはお前が決めることじゃない」 「いや、俺が決める。兄貴はこのまま俺が抱く」 「な……」 言葉を失うエドガーの束ねた髪を掴むように後頭部を捉えたマッシュは、そのまま唇を包み込むように口付けて来た。呼吸全てを吸い取られるようでエドガーがマッシュの肩に爪を立てるが、構わずに舌が潜り込んで来る。強引に舌の根を絡め取られエドガーは呻いた。 そのまま上に伸し掛かってくるマッシュの胸を拳で叩くがビクともしない。いつもなら多少嫌がればやめてくれるはずの腕は弛まず、より深く唇を貪られてエドガーは目の前がチカチカするような目眩を感じていた。 ようやく解放された唇から酸素を取り込もうと荒く息を吸い込んでいると、無骨な両手がエドガーの頬を包んだ。目の前にある自分とよく似た、しかし自分よりも雄々しい目をしたマッシュが、頭の中に直接響かせるような低い声を絞り出す。 「こんな顔しやがって……! なんで全部背負い込もうとする? 兄貴一人でできることには限界がある……自分に酔って無茶するな」 はっきりと言われてエドガーの頬が紅潮する。言い返そうとしたがあまりに図星で言葉が出なかった。 その隙にマッシュはエドガーの首筋に噛みつき、服の合わせ目に手を入れて胸をはだけさせる。その手際の良さに戸惑いながら、エドガーは抵抗を再開した。 「お前の言いたいことは分かったっ……、から、もう離せ」 「離さない。こうでもしないと兄貴は言うこと聞かない」 「何だと……あっ……」 鎖骨を舌でなぞられてビクリと肩が上がる。そのまま歯を立てられたのか、焼けるような痛みを感じてエドガーの眉が歪んだ。 マッシュの唇が胸を辿って鳩尾を通り過ぎ、臍の辺りで強く吸い付いてくる。弱い腹回りを攻められると腰が浮いてしまい体に力が入らない。そうしているうちに下半身の衣類をずり下げられ、そのまま蹴り下ろされて奪われてしまった。 「やめろ、マッシュ……っ!」 叫ぶのと下腹部のものを握り込まれたのはほぼ同時だった。握られると同時にやや乱暴に扱かれて、直接的な愛撫にエドガーの顎が上がる。 思わず歯を食い縛るが、エドガーのものを弄りながら体重をかけてきたマッシュがもう一度深いキスを落としてくるのでつい口を開けてしまう。また忍び込んでくる舌は、先程よりも優しくエドガーの口内を撫でていった。 「んん、う……ん、ふ……」 触れられるのは数ヶ月ぶりだった。与えられる刺激があまりに大きすぎて手足にうまく命令ができない。自らのものが滲ませる先走った液がぬるぬるとマッシュの指に絡み、それが快楽となってエドガーの体に返ってくる。自然と足の爪先に力が入り、扱かれるままに仰け反った瞬間、怒張したものから精液が放たれた。 はあ、はあと息を吸うのもやっとのエドガーは四肢をくたりと弛ませる。久しぶりの射精に頭がぼんやりして気が入らない。そんなエドガーには構わず、マッシュは力の抜けた脚をぐいと膝で折らせて開かせた。そしてベッド傍に置かれていた香油と思しき瓶の中身を手に取り、指に馴染ませて足の付け根の秘所に充てがう。 「!」 潜り込んできたものの刺激でエドガーの全身が跳ねた。まだ射精の余韻が残る体は熱が冷めず、押し込まれた指が内壁を広げるように蠢くその動きは一度達したエドガーには過分過ぎる刺激だった。 「あ、あ、待っ……」 久方ぶりで少し痛みも伴いながら、しかしどこに触れればエドガーが反応するのかよく知っているマッシュの指は的確で、エドガーは開かされた脚を閉じることも忘れて腕で顔を覆いながら喘いだ。 一番長い指が奥を擦るように内部を突き、裏返ったような声が口をついて出てくる。エドガーは顔を覆う腕に噛み付いた。それに気づいたマッシュがもう片方の手でエドガーの腕を取り上げる。隠れていた顔も露わになり、エドガーは耳まで赤く染まった自分を見られたくなくて背けた右の頬をシーツに埋めた。 淫らな水音と共に指が引き抜かれ、マッシュがシャツを脱ぎ捨てた気配がした。指の代わりにもっと質量のあるものが入り口に添えられる。それが何かすぐに分かったが、エドガーには抵抗する気力は残っていなかった。寧ろ慣らされた体がその瞬間を待ち侘びてしまっている──エドガーは観念して目を閉じた。 「うっ……んん……」 押し広げるように侵入してくるマッシュの腹のものが中でヒクついているのが分かる。もっと奥に受け入れやすいよう、腰が勝手に浮いてしまう。マッシュはエドガーの脚を抱え、ある程度進めたところから一気に奥へと突き入れた。 「うあっ……」 強烈な圧迫感でびりびりと電気のような感触が背中を駆け上っていく。思わず見開いた両目にマッシュの切なげに細められた瞳が飛び込んできて、胸までぎゅうと締め付けられる感覚に包まれた。 マッシュが腰を打ち付ける度に体は大きく揺れ、最早閉じることを忘れた口からは悲鳴じみた嬌声が漏れ続けた。久々のせいもあるのだろうが、普段よりも強く貫かれているようで溢れる声を抑えられない。 「ま、しゅっ……! あ、ああ、ああっ……」 抱かれていると言うよりは犯されているのだと気づいたが、マッシュをすっぽり咥えたその場所は悦びに震えてマッシュのものを締め付ける。 肉の擦れ合う音が聴覚からも興奮を誘い、もう冷静な判断はできなくなった。とにかく自分を突き上げる快楽の最後の波を迎えたくて、マッシュの動きに合わせて自らも腰を揺らした。 最後にぐっと一際奥を突かれた瞬間、先程達したばかりのエドガーのものが再び収縮しどくどくと精を吐き出す。一瞬目の前が暗くなりかけてエドガーは必死で瞬きをした。 二度も続けて精を放ったことで体の怠さは言いようもなく、喘ぎで開きっぱなしの口から呼吸だけは確保してだらしなく両脚を開いたままでいたのだが、未だ足の付け根の孔に埋められたマッシュ自身が硬度を保ったまま抜かれていないことに気づいてふと身震いする。 「マッシュ……、もう……」 エドガーが弱々しく首を横に振るが、マッシュは何も言わずにエドガーの腰に手を当てがった。 「マッシュ、もう、無理っ……」 グズグズに解れたそこを再び貫かれ、エドガーは絶叫する。 完全に熟して熱を持つそこは触れただけでも火がついてしまいそうなのに、熱く怒張したマッシュのものは容赦なく壁を擦り奥を攻める。口の端から唾液を垂らし、掠れた悲鳴を上げるエドガーは何も考えられなくなり、次々に押し寄せる快楽に恐怖を感じて逃れるように腕を伸ばした。 マッシュがその手を握り、口付ける。荒々しい腰の動きとは真逆の優しいキスに、エドガーの瞳が潤んだ。 「マッシュ……、マッシュ……」 息も絶え絶えに名前を呼び、自由な腕をマッシュの背中に回す。口付けられた手も解かれ、そのままマッシュの首に縋り付いた。 マッシュもまたエドガーの体を掻き抱くように引き寄せ、エドガーは完全にその広い胸に理性を委ねた。 「兄貴……、愛、してる」 押し殺した声で耳元で囁かれ、エドガーはマッシュを抱く腕に力を込める。 「俺、だっ……て……」 あいしてる。囁きは再び体が昇り詰めようと痙攣を始めて音にならなかった。視界が白と黒を行き来し、腰から下の快楽で頭から爪先まで痺れ、呼吸がうまくできているのか止まっているかも覚束ない中、押し寄せた火花のような絶頂がエドガーの思考を完全に停止させた。 体の自由が利かずマッシュに抱かれるがまま、猛烈に闇の中へ引き寄せられていく。諍えないどろどろの感覚がエドガーの瞼を下ろさせ、意識はずぶずぶと沈んでいく。 ふと暖かいものが唇に触れた。荒さのない、優しいキスだと分かると胸は安堵に満たされてエドガーは全てをマッシュに委ねた。 薄れる記憶の途中で「おやすみ」と囁かれたのをかろうじて拾うことができた。 目覚めると傍らには誰もおらず、しかし気怠く重い下肢の感覚は間違いがなくて、マッシュのベッドで身を起こしたエドガーは目を擦りながら窓を見た。陽が随分と高い。すでに昼近くになっているかもしれない。一瞬焦りで胸が騒いだが、サイドテーブルに置かれた食事に添えられた書き置きを手に取り肩を竦める。 “食べ終わるまで部屋から出ないこと” そこそこの達筆はよく見知ったマッシュの字だ。見ればエドガーの好物ばかりが並んでいる。エドガーは苦笑する。 一糸纏わぬとはいえ体はすっかり清められ、昨夜の名残は胸に点々と残された口付けの痕以外はなくなっていた。マッシュが全てしてくれたのだろう、汚れたはずのシーツもその気配がない。それらの記憶が残らないほどどろどろに眠っていたのだ。 そのお陰か、やけに頭が冴えて気分がすっきりとしている。心成しか肌の調子も悪くない、と手の甲で頬に触れてエドガーは息をついた。 マッシュの言う通り、自分に酔っていた──忙しさに身を委ねることで世界の惨状に向き合うどころか、目を背けていたのかもしれない。 一度凝り固まると耳を貸さない自分への荒療治だったのだろうが、荒すぎてどうにかなってしまうかと思った。普段エドガーの嫌がることを絶対しないマッシュが、あんなに強引に自分を抱いたのは初めてかもしれない──昨夜のマッシュの雄の目を思い出してエドガーは身震いするように肩を抱き、胸の疼きに頬を赤らめる。 ──たまには、悪くない……か。 気恥ずかしそうに唇を尖らせ、肌寒い胸に毛布を引き寄せ、サイドテーブルに置かれた果物を摘む。口の中が潤うと、久しぶりに空腹を感じて腹の虫が鳴った。 大きくため息をひとつ。──この時間まで誰も呼びに来ないと言うことは、人払いもその後の処理もマッシュが完璧にやってくれたということだ。ならばここは彼の言うことを聞いて食事をいただくことにしよう──エドガーがフォークを手にした時、近づく気配と足音が聞こえ、顔を上げればドアが開いた。 身構えたのは束の間、珍しく礼装で現れたマッシュが優しく微笑んだのを見て、心底ほっとしたエドガーも笑う。 「おはよう、兄貴。よく眠れた?」 「ああ、よく眠れたよ。とてもね。」 腕を伸ばすとマッシュが傍まで来てエドガーの体を抱き締めてくれる。昨夜の険しい表情からは別人のように優しい抱擁だった。 ありがとう、と口の中で呟いた言葉はマッシュの耳に届いたようで、無理しすぎるなよ、と暖かい声が返ってくる。 マッシュの肩に額を預け、もう白粉は捨てよう、とエドガーは無茶な自分にようやく向き合う決心をしたのだった。 |