PLUS-1




 夜も更けて、寝支度も済んで、面倒な仕事など残っておらず、この先の時間を誰かに邪魔される懸念のない絶好のチャンスが訪れているというのに、二人きりの寝室で実に朗らかに談笑を続けるマッシュの隣、腰掛けていたエドガーの笑顔は徐々に引き攣りつつあった。
 座っている場所はベッドの上、隣り合ってしばらく経つ。さり気なく距離を縮めて今やエドガーの頭はほとんどマッシュの肩に乗っているというのに、背中に手を回すでもないマッシュの清らかな笑顔が小憎らしい。
 これでもう何度目だろうか。初めてのキスだって随分時間がかかった。手慣れていないのは離れていた十年間でマッシュに悪い虫がつかなかった証でもあるので構わないが、もう少しばかり積極的になってくれないものか。
 奥手な弟を可愛らしく思うものの、お互いいい年をした健全な成人男性である。一度スイッチが入ればマッシュも夢中になるのだから、行為が嫌いな訳ではないのだろう。
 エドガーも、こんな風に手を出されないもどかしさを感じるくらいにはマッシュと睦み合うのが好きだった。本当は時間が許す限りべたべたとくっ付いていたいのだ。
 しかし身体を重ね始めてからそれなりに時間が経った今も、マッシュは相変わらず優しくて清々しくてちょっと鈍い。談笑の合間に眠そうな目を見せるようになってきたマッシュに焦れたエドガーは、相手の出方を見ることをやめて自分から仕掛けることにした。
 話が途切れた隙を見て、マッシュ、と呼びかけると素直にこちらを向くその顔を捕まえ、ちゅうっと唇を吸ってやる。硬直したマッシュに構わずちゅ、ちゅ、と小さく啄むようなキスを顔のあちこちに落とし、最後にもう一度唇を重ねて今度は舌を潜り込ませてねっとりと。
 唾液の糸を引きながらそっと唇を離すと、視界のど真ん中でマッシュがぼんやりと蕩けた目をエドガーに向けていた。上気した頬に北叟笑んだエドガーは、今度は自ら目を閉じてマッシュからのアクションを待つ。
 思惑通り、エドガーの両肩に優しく手を添えたマッシュが辿々しく唇を塞いでくれた。最初は触れるだけ、それにエドガーが応えて少しずつ深く。やがて肩を掴んでいた腕が背中に回り、ギュッと強く抱き締められる。エドガーの口から安堵と陶酔の吐息が漏れた。
 そのまま身体を倒されて、質の良いスプリングで上下に揺れるその身をマッシュに捧げようと、エドガーは逞しい背中に手のひらを滑らせる。マッシュが何度もキスをくれながらエドガーの服に手をかけるが、不器用な指はボタンひとつ外すのにもまごついて無粋な間が空いた。
 エドガーは優しくマッシュの震える指に手を重ね、自らボタンを外し始める。そして目と顎で促して、気づいたマッシュが慌てて自分の服を脱ぎ始めた。焦り過ぎたのかシャツの裾がピアスに引っかかって「いてっ」と小さく声を上げたのに苦笑し、解いてやりながらエドガーは愛しい弟の鼻先に口付ける。
 照れ臭そうに頬を染めているマッシュに目を細め、改めて腕を伸ばしてきつく抱き締めてもらい、肌から直に伝わるマッシュの胸の音を感じてエドガーはうっとりと瞼を下ろす。
 可愛い、と告げれば弟は不貞腐れてしまうだろうけど、やはりぎこちない動作のひとつひとつが可愛らしいと思わずにはいられなかった。マッシュが焦れば焦るほどエドガーの心には余裕が生まれ、抱かれていながら抱いてやっているような気分になる。
 夜の生活は大体がこんな調子で、エドガーが誘ってマッシュが応えるのが常だった。最中もエドガーがリードしつつ、要領の悪いマッシュの動きを根気強く受け入れて愛を確かめ合っている。
 それはそれで嫌ではないし、もどかしさはあるものの不満というほどでもない。優し過ぎる故にほんの少しの物足りなさは感じるが、ほんの少しだ。文句を言えばバチが当たるレベルでマッシュが誠実なだけなのだから。
 だから余計なことを言わなければ良かったのに、その日は昼の会議の鬱憤でも溜まっていたのか、つい主導権を握る立場として偉そうに一言零してしまった。
「お前は本当に奥手だなあ……、もっと積極的な方が男振りが上がるのに」
 暖かい胸の上で微睡みながら、半ば冗談のつもりで揶揄い混じりに口にしたそれで、マッシュが思い掛けなく気に病んでしまうかもしれない、なんて予想することもなく。





 ペンを置いて時計を見上げ、そろそろ頃合いかと肩を押さえて首をひと回ししたエドガーは、椅子から立ち上がり軽く背伸びをした。
 区切り良く書簡も書き終えたことだし、今夜は自分からマッシュの部屋に出向いてやろうか、などと悪巧みでも考えるように唇に笑みを湛え、椅子の背凭れに掛けっぱなしだったストールを手にした時。
 コンコン、と軽いノックの音に、エドガーは悪戯がバレた子供のように肩を落とす。こんな時間に訪ねて来る相手なんて一人しかいない──先を越されたかと少々不貞腐れ気味にドアを開くと、思った通りマッシュがそこに立っていた、までは予想できた。
 しかし部屋に入ってきたマッシュの後ろから、同じくマッシュがもう一人にこやかな笑顔で現れたのはエドガーの予想の範疇を超えていた。
「ハーイアニキ! 逢えて嬉しいぜ!」
 マッシュと全く一緒の姿形をしたテンションの高い男はつかつかとエドガーに歩み寄り、硬直して無反応となったエドガーの右手を勝手に掬い上げてその甲に軽く口付けた。
 エドガーは目の前の男を見る。何処からどう見てもマッシュである。そして首を少し動かしてその横にいる複雑な笑顔を浮かべた男を見る。こちらもどう見たってマッシュだった。
「ま、マッシュ……、お前、俺以外にも、双子が」
「違うよ兄貴、こっちは欧米版の俺でセービンって言うんだ」
「お、お前が何を言っているのかさっぱり理解できん」
「もうひとつの世界があるのさアニキ。俺の世界にも勿論愛するアニキがいるけど……こちらのアニキもとてもキュートだ」
 取られたままだった右手をギュッと握り締められ、思わず顔を上げたエドガーの目の前にマッシュと同じでありながらほんの少し雰囲気の違うセービンの顔があった。
 その僅かな違和感に戸惑ったエドガーは慌てて手を引くが、セービンは気を悪くした様子もなく笑顔で、しかし何処か不躾な視線でじろじろとエドガーを見回した。
「フウン……成程」
 呟きはエドガーの耳にも届き、意図が分からず怪訝に眉を顰めたエドガーにもう一度横目を流したセービンは、隣のマッシュを振り返って明け透けに尋ねた。
「マッシュ。アニキは本当にヴァージンじゃない?」
 ビシッと凍りついて固まるエドガーをよそに、マッシュはやや気まずそうに眉を下げて小さく頷いた。
「その割には随分とイノセントだな……俺のアニキなんか立ってるだけでセクシーでたまらないのに」
「な、な、な、」
「セックスが足りてないんだよ。もっと頑張らないと、マッシュ」
 何の話をしているんだと睨みつけるエドガーの視線に気づいたのか、マッシュが肩を竦めながらも辿々しく説明し始めた。
「……兄貴さ、なんか……物足りなさそうだったろ……? 俺、鈍いし、うまく誘えないし、どうしたらもっと積極的になれるかなって考えて……それでセービンを先生として呼んだんだ」
「ま、待てマッシュ、呼んだってそんな」
「セービンならもう一人の俺だからいいかなって。いろいろ慣れてるみたいだし、俺、……兄貴に満足してもらいたいし」
 何処から呼んで来た、だとか、そもそももうひとつの世界って何だ、とか、根本的な疑問が全く解決されないマッシュの説明にエドガーがどう答えたものか口をぱくぱくさせていると、セービンがおもむろにエドガーの腰に手を回してカモン、と小さく囁いた。
 そのままマイペースに引っ張られて行き、慌ててエドガーはマッシュを振り返るが、マッシュは黙って部屋の戸をきっちり閉めて鍵をかけているところだった。嫌な予感で背中を冷や汗で濡らすエドガーの予想通り、セービンが導いた先が紛れもなくベッドでエドガーは真っ青になる。
「お、おい、何を」
「ん? 大丈夫、軽くレクチャーするだけだよ。リラックスして」
 できるか、とツッコミを入れる間も無くベッドに座らされたエドガーが抗議をする前に、セービンは立てた人差し指を軽くエドガーの唇に当て、その指を自身の口の前に添えてウィンクした。そしてマッシュを振り返り、ホラ、と声をかける。
「ベッドに誘うのはこれで充分だ」
「う、うん……」
 腕組みをしたマッシュが真剣な眼差しで眉を寄せている。エドガーはレクチャーの意味を理解はしたが、納得はできずに立ち上がろうとした。
「アニキ」
 雰囲気を察したのか、素早くエドガーに顔を向けたセービンが片膝をベッドに乗せて身体をぐいっとエドガーに寄せて来る。
 咄嗟に仰け反るエドガーだったが、至近距離で真正面から見つめてくるセービンの顔はやはりマッシュそのもので、まるでマッシュに鋭く射抜かれているような気分になって身体が強張ってしまった。
「……うっとりするような目だ」
 むず痒い台詞のおかげでマッシュとは違う人間だと認識はできるのだが。
 セービンは後ろで突っ立っていたマッシュに手招きし、こちらへ来いと呼び寄せる。素直にセービンに応じてひょこひょことやって来る姿は憎たらしいくらいだが、何よりエドガーが戸惑ったのはマッシュが他人をエドガーに触れさせたことだった。
 マッシュの説明は少しも理解できなかったが、本当にもう一人のマッシュであるとしても身体が分かれていればそれは別人ではないだろうか? 見分けがつかないくらい姿はそっくりだとは言え、雰囲気や話し方が僅かに違う。
 レクチャーだなどと言っていたが、何処まで何をさせる気なのか──不安に表情を硬くするエドガーににっこりと笑いかけたセービンは、傍に来たマッシュの腕を掴んでエドガーの元に引き寄せた。そして背中をドンと押したため、バランスを崩して突っ込んで来たマッシュをエドガーが受け止める格好になった。
「たくさんハグして、たくさんキスして、セックスを楽しめばいいんだよ。難しいことじゃないだろ?」
 当たり前のように告げるセービンの言葉で声を詰まらせたマッシュは、首まで赤くなって陽気なもう一人の自分を振り返る。
「だ、だからそれがうまくできれば苦労はないんだって……!」
「……そいつは問題だな。どうしてうまくできないんだ?」
「どうしてって……」
 マッシュはチラリとエドガーに見やり、すぐバツが悪そうに逸らしてしまった。肌の出ている部分が漏れなく真っ赤になってしまったマッシュをしみじみ眺めたセービンが、呆れたように溜息をつく。
「恥ずかしがる理由が分からない……目の前に愛する人がいるならセックスしたいと思うのは自然なことだろ?」
 なんだ、いいこと言うじゃないか。
 思わず小刻みに何度か頷いたエドガーとセービンの目が合った。セービンはほんの数秒眉を持ち上げた後、含みのある笑みを見せた。その小さな変化に何故かエドガーの背筋がゾクッと冷える。
「……じゃあレクチャーの続きをしよう。ベッドですることはひとつだ……マッシュ」
 セービンがマッシュの肩を掴んでエドガーから剥がすように押し退け、代わりに自分の身をその場所に滑り込ませた。顔は同じでも表情の違う人間にすり替わったことに、警戒したエドガーが思わず顎を引く。
 セービンはまた薄く笑い、エドガーの顎を軽く掴んで「盗みたくなる唇だな」と囁いた。カッと頬を赤らめたエドガーがその手を払い除けると、セービンが苦く微笑む。
「本心だよ。とても魅力的でセクシーだ……俺なら隣で大人しくお喋りなんてしてられない」
 脇に避けられたマッシュがきまり悪そうに下唇を噛むのが見える。セービンの言うことに思わずそうだろうと同意したくなったエドガーは、いくら同じ顔の人間とはいえ、ここまで自分と近い距離に他の男がいるのを黙って許しているマッシュにも苛立ちを感じ始めた。
 別に達者な言葉で口説かれたい訳ではなく、二人きりでいる時くらい少々不器用でも求めてもらえたらそれで心は満たされるのに。
 欲しいのはテクニックではなく素直な愛情表現なのだが、マッシュがそれを分かっていないのがもどかしい。
 じっとりマッシュを睨みつけていると、ふいに頬にチュッと小さなキスを落とされた。エドガーが慌てて頬を押さえて顔を向ければ、悪びれないセービンがにっこり笑っている。
 次いですぐさまマッシュを見るが、アッと口を開けて衝撃を受けた表情を浮かべながらもセービンを制止に来ない様子に、エドガーもまたショックを受けた。
「アニキは……少しくらい強引な方が好きだよな?」
 耳のすぐ傍で聞こえた囁きにビクッと肩を竦めたのも束の間、セービンに軽く胸を押されただけで構えが遅れたエドガーの身体はベッドの上に転がった。起き上がろうと力を込めて支えにした左腕をひょいっとセービンに取られ、浮きかけていた背中は再び沈む。
「お、おい!」
 ようやくセービンの背後からマッシュの声が飛んで来る。そのことに小さく安堵の息を漏らしたエドガーだったが、セービンが振り返らずにじっとエドガーを見つめたままでいることに気づいてすぐに表情は凍りついた。
「心配するな……マッシュのアニキだってことはちゃんと分かってるよ」
 マッシュと同じ青い目をやんわり細めてそう告げたセービンは、言葉の割には真剣な眼差しでエドガーから視線を逸らさない。
 両膝をベッドに乗り上げエドガーの視界を自身の身体で塞いだセービンのせいで、マッシュの姿が見えなくなったエドガーは背中に嫌な汗を感じた。
「なあアニキ、本当はどんな風に抱かれたい? たまにはマッシュから誘って欲しいって思ってるだろう? ……こんな風に」
「あ」
 言うなりエドガーの首筋に顔を埋めてきたセービンのマッシュと同じ匂いに怯んだエドガーは、思わず口から漏れた自分の声に艶が含まれていることに気づいて目を見開き、羞恥で顔を歪めた。
「こ、こらっ……!」
 マッシュの慌てた声が聞こえて来る。エドガーの首に音を立ててキスをしたセービンは、軽く顔を上げてマッシュを振り向き、差し伸べるように手を出した。
「ぼんやりしてないで来いよ、マッシュ。俺たち二人でアニキを気持ちよく感じさせてやろう」
 さらりとセービンが告げた内容にエドガーが目を剥く。
 身体を起こしたセービンの肩越しにようやく見えたマッシュの顔は見事に戸惑い狼狽えているが、セービンがもう一度上に向けた手のひらをしゃくると引き寄せられるようにベッドの上に上がって来た。
 セービンとマッシュ、同じ顔が並んでエドガーを覗き込む。片や余裕の笑み、片や緊張で強張った真っ赤な顔。表情は違えど瓜二つの二人に退路を塞がれ、エドガーは無駄な足掻きと理解しつつも毛布の上を後退りした。
「マッシュ、アニキの感じるところ分かるか?」
「あ、あんまり……」
「スキンシップが足りないんだな。……アニキの好きなところは耳と首と、あと……脚の付け根」
 セービンが捕食者のような鋭い目をエドガーに向けた。その目つきに身を竦ませたエドガーが尚も後ろへずり下がろうとすると、セービンが足首を掴んで引き寄せる。
「マッシュ、アニキの頭の方へ」
 セービンの指示で、マッシュが躊躇いながらも四つん這いでベッドの上を移動し、エドガーの頭側に回って上から顔を覗き込んで来た。逆さまに現れたマッシュに抗議の目を向けるエドガーに対し、マッシュは真剣な表情で答える。
「兄貴、俺、頑張るから」
 がく、と肩を落としている場合ではないものの、どこかズレたマッシュに苦言を呈するべく口を開いたエドガーの視界が真っ暗になった。
 正確にはマッシュの身体で塞がれた。顔に覆い被さるようにエドガーの耳元に唇を寄せたマッシュの息で、不自然なほどにエドガーの全身がびくんと跳ねる。
 押し返そうと腕を突っ張るが、マッシュの力で抱き込まれては動くことができない。エドガーの反応に手応えを得たのか、マッシュが辿々しく耳朶にキスをして小さく食んだ。ぞくぞくと背中を駆け抜けるむず痒い感覚にエドガーの口から浅い息が飛び出してくる。
 今までのマッシュは分かりやすい場所に端的な触り方しかしてこなかった。エドガー自身どこが自分の弱い場所かなど知りはしなかった。
 しかし今、日頃ごく普通に人前に晒している部位だというのに、耳を軽く舐られるだけでむずむずと腰が疼くような感触がエドガーを支配しようとしている。耳を弄られながらマッシュがそっと撫でた首筋には鳥肌が立ち、下肢から力が抜けていくようで、エドガーは思わず視界を覆うマッシュの肩を握り締める。
「ホラ、気持ち良さそうだ。たくさん愛してあげような」
 いつの間にかもじもじと擦り合わせていたらしい両足首を不意に掴まれ、エドガーがぎょっとしたのも束の間、膝を折られながら腰に伸びた手が下衣をずり下ろしにかかっていることに気づいて慌てて脚をバタつかせた。
 先ほどのセービンの言葉を思い出して身震いする──脚の付け根──冗談じゃない、と蹴り上げようとするも頭をマッシュにホールドされているため上半身の自由が利かない。
「リラックスだよ、アニキ。マッシュ、そっちも楽にしてやろうぜ」
「う、うん」
 息と共に耳に吹き込まれた低い声にまた力を吸い取られていくようで、悶えているうちに胸元が涼しくなってきた。身を乗り出したマッシュがシャツのボタンを外していると分かり慌てていると、いつの間にか下ろされていた下半身の衣類が丁度引き抜かれたところで、スースーと空気が触れた太腿に思わず力が入る。
 二人掛かりで上と下を捕らえられては抵抗のしようがない。顔を覆われている息苦しさだけではない、恐らくはセービンの手が足首からするすると撫で上げてくる動きにも呼吸は速く浅く反応し、はだけたシャツに下着姿という自分の格好にも羞恥が募ってエドガーはすっかり混乱した。
「キスもいっぱいして。アニキはキス好きだよな」
 セービンのアドバイスを律儀に受けるマッシュは、ぎこちなくエドガーの頭を抱えて唇を寄せてくる。いつもと上下が逆のキスは奇妙な感触だった。
 ちゅ、ちゅ、と小さな音を立てて吸われる口づけはマッシュらしくていじらしさに胸がときめくのだが、今はこの場にもう一人ギャラリーがいる。セービンの存在がエドガーから集中力を奪い、防御力がほとんどなくなった下半身が気になってキスに没頭できない。
 まさかこのまま最後までするのでは、と考えないようにしていたことを考えざるを得なくなって、若干の名残惜しさを感じつつもエドガーは髭でザラついたマッシュの顎に手をかけて顔を剥がした。
「マッシュ、もういい加減に──」
 荒げかけた声が詰まる。するんと下着が下ろされた感触に目を見開いたエドガーは、慌てて脚を閉じて膝を立てた。マッシュを押し退けたことで足側のセービンが見えるようになったが、やましさなどないと言わんばかりの平然とした態度にエドガーの方が閉口してしまう。
 セービンはエドガーの下着をぽいっとベッド下に放り投げ、手のひらを上にマッシュを手招きした。
「こっちはマッシュが慣らした方がいいだろ? 交代しようぜ、気持ち良くしてあげろよ」
「えっ」
 エドガーの頭の上からマッシュの戸惑う声が落ちてくる。
「どうした? 何か問題でも?」
「い、いや、いつも兄貴が自分でシてるから」
「何だって? 任せっきりだってのか? やれやれ……分かったよ、俺が手本を見せるから」
 エドガーを差し置いて交わされる問題だらけの会話に寒気を覚え、やはり最後までする気だと恐ろしい確信を得たエドガーは、目眩を堪えながら二人の隙を伺った。
 マッシュの言う通り、交わる時はエドガーがさっさと自分で解してしまうことの方が多かった。後ろを弄らせる恥ずかしさが原因というより、手っ取り早いというのが主な理由だった。
 マッシュがのんびりし過ぎているから夜はいつも焦れてしまって、早くひとつになることが最優先だったのだ。マッシュにだってあまり触れさせていないのに、得体の知れないセービンに弄られてはたまらない──ガバッと上半身を起こしたエドガーはくるりと身体を反転させてベッドから飛び降りようとした。が、敢え無く足首を掴まれて頭だけがベッドの縁から垂れ落ちる。
「おっと、危ないぞアニキ」
 エドガーの足を捕らえたセービンが怪力で引っ張り上げ、再びその身を元の場所に戻されたエドガーは、うつ伏せの状態で向かい合うマッシュを見上げて睨みつけた。
「マッシュ、何とかしろ! お前、俺があいつに良いようにされてもいいのか!」
「で、でも、セービンはもう一人の俺だし」
「お前はたった一人だ! 顔が同じだろうが何だろうが、俺の弟はマッシュ、お前だけだろう!」
 エドガーの眼差しにマッシュが怯む。
 よしもう一息、マッシュがこちら側に付けばセービンを追い出すことも難なくできるとエドガーが希望の光を見出した瞬間、無防備だった秘所にヒヤリと濡れた感触を認めてエドガーの身体が硬直した。
 振り向く前に、無骨な何かがつぷっと突き入れられて思わず顎が上がる。あ、と開いた口からは掠れた息が漏れ、悩ましげに眉を寄せて見開いた目とマッシュの目が合った。
 顔から火を噴くかと錯覚するほどの熱だった。マッシュ以外の人間にデリケートな場所を弄られ、その様を余すところなくマッシュに見られているだなんて。
「や、やめ」
「マッシュ、アニキを押さえてて」
 エドガーの腰を持ち上げて双丘の窪みを暴きながら、何でもないことのように指示するセービンの言葉に戸惑いつつも、マッシュはおずおずとエドガーが身体を支えるために肘をついて前に出していた両腕を押さえつけた。
「マッシュ!」
「オーケー、ちゃんとアニキの顔を見てろ。どんな風にしたら悦ぶのか教えてやるよ」
 言うなり潜り込ませていた指をぐっと中に押し込んで、中を拡げるようにゆっくりぐるぐると回し始めたセービンの指先の動きにエドガーが声を詰まらせる。逃れようと身体を浮かせるべく力を入れた腕は、マッシュが押さえていて脱出の助けにはならなかった。
 拡げるだけではない、関節を折り曲げた指の腹で何かを探るように蠢くその不規則な動きは、エドガーが今まで知らなかった感触をもたらした。
「……あっ……」
 少しずつ押し進んだ指は恐らくは指の根元まで突き入れられたのか、前進を止めて下方を弄り始めた。腹の奥を小さく掻き回されるむず痒さに膝が震えて下半身を支えるのが辛くなってくる。
 懇願するように見上げたマッシュが酷く複雑な狼狽ぶりを表情に浮かべていた。一体自分はどんな顔をしているのかと、想像するだけでエドガーは羞恥心に押し潰されそうになる。
 後孔への深い圧迫感の先に奇妙な刺激が走り、エドガーは思わず孔をキュッと締めた。無意識にセービンの指をきつく咥えたことを自覚してまた顔が熱くなる。
「ここかな」
 小さく呟いたセービンが、ある一点を執拗に擦り出した。身体の内側からぞわぞわと全身に広がっていくような痺れがエドガーの目を大きく開かせ、その唇から色づいた息を零させる。
「っ……、んっ……」
 エドガーを見下ろすマッシュの目が動揺に揺らぐ。見られたくないという気持ちは強くあるのに、セービンの指はエドガーも今まで知らなかった弱点を的確に攻め立て、たった一本の指の動きでエドガーの身体は自由がきかなくなってしまった。
 その落ち着かなく揺れる瞳に自分の姿はどのように映っているのか、マッシュの顔を見るのが怖い。しかし指が内壁を擦る動作に合わせて顎がヒクヒクと上がってしまい、その度に瞬きの隙間からマッシュの呆然と口を半開きにした様子が視界に入り込んで、恥ずかしさで消えてしまいたくなる。
 ここまで執拗に中を解されたことはなく、指だけで喘がされたことも当然経験がなかった。エドガーの反応で確信したのか、セービンの指は動きを止めることなくじりじり力を込めて追い詰めて来る。浅い呼吸と共に小さな声が漏れるのを抑えられないエドガーは、自分の腰が嫌らしく揺れていることに気づかないフリができなかった。
 意思とは関係なく、秘所がセービンの指を更に深く呑み込もうと収縮を繰り返す。寧ろ指では足りない、もっと大きな力でその場所を突いて欲しい──そんな浅ましい思考がチラつき始めたエドガーが、目尻に涙を浮かべて必死で声を噛み殺そうとしている様を、マッシュはただただ気が抜けたようなぼんやりした顔をして見つめていた。
 すでにマッシュがエドガーの腕を押さえている手に力はほとんど入っておらず、添えられているだけのそれを振り解こうと思えばいくらでもできたはずだった。
 しかし身体の奥に指を捻じ込まれて喘いでいるエドガーはその身を起こすことすらままならずに、殺し切れなかった嬌声を漏らしながらもじもじと腰を揺するのだった。
「そろそろ指よりいいもの欲しくなってきた……?」
 セービンの囁きに思わず頷きそうになったエドガーは、寸でのところで唇を噛み締めて堪えた。
「じゃあアニキ、マッシュのも可愛がってやってくれよ。うまくできたら挿れてもらえるぜ」
 ビクリと揺れたマッシュの身体から狼狽が伝わってくる。
 エドガーは見上げていた目線よりも下、丁度顔の前にあるマッシュの腹の下辺りの衣服がやや盛り上がっているのをはっきりと見た。
「俺のを挿れていいけど」
 マッシュと同じ声ではあるが背後から聞こえた他人の独り言にぞくっと肌を粟立てたエドガーは、震える手を伸ばしてマッシュの腰紐を掴んだ。マッシュは戸惑って目を泳がせるが抵抗する様子はなく、エドガーが腰紐を解いて緩めた下衣の隙間から引っ張り出したそれは、すでに重力に反した角度を保ち硬くなりつつあるのがよく分かった。
「あ、兄貴」
 焦ったようなマッシュの声が頭に降って来る。
 これからすることをほんの少し咎めるような声ではあったが、指だけではすでに我慢できなくなっていたエドガーは恥を捨て、動ける範囲で身を乗り出して頭を擡げたそれを口に含んだ。
 マッシュが前屈みになり小さく息を漏らす。エドガーは顔を大きく上下させて口に余るものを必死に愛撫し、その間も後ろから耐えず与えられる快感に意識を持って行かれないよう堪えた。
「んっ……、んん、んー、んんっ」
 鼻を抜けていく甘ったるい声が抑え切れない。口内で硬く膨張するものを咥えながら、これが自分を貫くことを妄想してまた孔が悩ましげに窄む。
「んっ、んあっ、」
 指先で引っ掻くように弱い箇所を擽られると、弾かれるように顎が上がって口が外れてしまう。ぶるんと口から飛び出てきた怒張したものを急いで再び咥え直し、エドガーは唇と舌を動かす。
 今セービンが触れている場所を、他の誰でもないマッシュのもので突かれたい──そんな期待を最早隠すこともできず、目尻で留めていたはずの涙をコロリと落としながらエドガーは口淫に励んだ。
「……よーし、いい子だ……、もういいだろ……」
 指がゆっくりと引き抜かれていく。肉壁が引き留めるように離れていく指に吸い付いているのが自分でも分かる。エドガーは背を仰け反らせ、抜かれる時ですら感じてしまう快楽に目を蕩かせてすっかり艶を帯びた息を吐いた。
 マッシュのものを両手で握りながら陶酔の表情で顔を上げたエドガーに対し、マッシュが眉を下げて躊躇を見せる。
 エドガー自身、自分がとても緩み切ったはしたない顔をしている自覚はあったが正すことができなかった。これが欲しい、とマッシュに請うような目で見上げても、マッシュは戸惑うばかりでエドガーに手を伸ばしてくれない。
 ああ、これは。マッシュが自信を無くした時の反応だとエドガーは察した。エドガーにここまで自我を奪わせる行為を施したのはセービンで、目の前で兄が変わっていく様を見せつけられたマッシュが完全に自信を喪失してしまっている。
 マッシュ、と掠れた小さな声で呼び掛けるが、マッシュは怯えたように眉を下げて困惑の色を浮かべるばかり。早く後ろに欲しくて焦れたエドガーの腰がもじもじと揺れる。不安と焦りで泣きたい気持ちになってきたエドガーの背後から、セービンの溜息が聞こえてきた。
「どうした? アニキが待ってる……早く抱いてやれよ」
「で、も」
「でも、何? アニキは欲しがってるんだ、迷う意味が分からない」
「お、俺、うまく、できないよ……」
 弱々しいマッシュの訴えに今度は大きく溜息をついたセービンが、やれやれ、と呟いた。
 その呆れた口調に嫌な予感がしたエドガーが恐々後ろに首を回すと、セービンが自分の下衣を寛げて猛った分身を引っ張り出している姿が目に映り、エドガーの身が竦む。
「ま、マッシュ」
 まだ硬度を保ったままのマッシュのものを握り直し、エドガーが懇願の声をかけた。
「いや、だ。頼む」
「あ、にき……」
「お、お前のが、いい」
「……でも、俺、兄貴をあんな風に気持ち良くさせられない……」
 苦々しく吐き出すマッシュに何度も首を振り、エドガーは必死の説得を試みた。
「いいんだ、下手でもいいから、お前がいい」
「だって、兄貴あんなに感じてるの初めて見た……」
 苦しげに歪むマッシュの顔を見るのが辛い。そんなこと言わないで欲しい、確かに不覚にも気持ち良くさせられてしまったが、身体を繋げたいのは愛する人とだけなのだ。
「お前は優しいし、一生懸命だし、俺のこと、真摯に愛してくれるじゃないかっ……、それに、」
 ひた、と後孔に熱いものが充てがわれた。全身総毛立ったエドガーがマッシュの分身の根元を握り締めて声を絞り出す。




「サイズはお前も負けてないぞ……!!」

 叫び声で目が覚めた。

 視界に映る景色はまだ闇が濃く、閉まったままのカーテンの隙間から光は射していない。まだ真夜中、と把握するまで多少の時間を要したエドガーは、隣に眠っていた大きな塊がもぞもぞと動いたことでもう一度夢から覚めたような気分になった。
「兄貴……? どうした?」
 まだ寝惚けたような掠れ声でマッシュが優しく呼び掛ける。そしてぎゅっと裸の胸に引き寄せられ、この身がマッシュの腕の中にあったことを実感してほんのり顔が熱くなった。
 そしてハッとし、反対側に目を向ける。──誰もいない。再びマッシュを見て、少し首を持ち上げてマッシュの背後を確認した。やはり誰もいない。
「兄貴、どうしたんだ? 何してる?」
 エドガーの行動を不審の目で見たマッシュが心配そうに声をかける。エドガーは何度も周りを確認し、「あいつは?」とマッシュに尋ねた。
「あいつ?」
「いただろ、さっき。あの、お前と全く同じ顔の、もう一人のお前だって言う」
「……? 俺と、同じ顔……? 何言ってんだ、兄貴?」
 眉根を寄せたマッシュが揶揄う素振りもなく首を傾げる。そんな馬鹿な、と瞬きしたエドガーは、マッシュと同じ姿形をしたあの不届き者のことを思い出そうとした。
「お前が連れて来たんじゃないか! ええと、名前は……、あれ? おかしいな、何だったか……」
「……夢でも見たのか?」
「夢……?」
 頭の中に蘇るあの声、あの姿。マッシュと瓜二つであった、確かに覚えていたはずのあの男の名前が思い出せない。
 まさかあの鮮明な映像が全て夢だったのだろうか? 確かに突飛な状況だったとは言え、この自分が四つん這いにさせられて身体の半分を他人の自由にされた挙句、はしたなくマッシュのものにしゃぶりついたあれが全て空想の産物だったと? ──脳内で創り出したあまりにショッキングな内容にエドガーは赤くなり青くなった。
 顔色を忙しなく変えるエドガーを不安げに眺めたマッシュがそっと髪に手を伸ばし、柔らかく撫でてくれる。肌から伝わるマッシュの暖かさに少しずつ落ち着きを取り戻し始めたエドガーは、ようやく夢であったことに安堵の息を細く長く吐き出した。
「悪い夢だったのか?」
「ああ……、酷い悪夢だった」
「そうか……、もう、大丈夫だよ」
 全身を包み込むように抱き締められ、夢の中で欲しくてたまらなかったものが今ようやく与えられたような気分になって、エドガーはマッシュの首筋に鼻先を擦り付けて甘ったれた。
 そして耳元に唇を寄せ、今のままのお前が好きだよと小声で囁く。
「え、何?」
「……何でもない」
 笑って抱き締めてくれるだけでいい。
 マッシュの胸に顔を埋め、今度こそ悪い夢を見ないようにと祈りながらエドガーは目を閉じた。