プロポーズ




 春の陽射しが新緑を照らす穏やかな日、村の外れの小さな教会は可愛らしい花で飾られ、その奥の小ぶりな控え室には幾つもの笑顔が集っている。
 優しい眼差しに囲まれて木製の椅子に腰掛けるセリスは、眩しさに目が眩むような純白のドレスに包まれて、その白い頬を桜色に染めて花をあしらったヴェールを纏っていた。
「セリス……とっても綺麗よ」
 ティナの言葉にセリスがはにかむ。
「まあ、あのお調子者にくれてやるには勿体ねえな」
 ティナの後ろでセッツァーが鼻で笑いながらそう言うと、
「目出度い席で無粋なことを言うものではないでござるよ」
 その横のカイエンが穏やかに窘めた。
「その指輪がロックのおばあちゃんの形見ってやつ?」
 ドレスの膝に纏わり付くようにリルムがセリスの右手の薬指を覗き込むと、セリスは小さく頷いた。
「大事なものだから断ったんだけど、サムシングフォーの話を聞いたらつけて欲しいって……。」
「泥棒にしちゃ気が利いてるじゃん。その綺麗なドレスがサムシングニューだしね」
 にっこり笑ったリルムにセリスも恥ずかしそうに微笑み返す。
 ティナがセリスにそっとシルバーのブレスレットリングを手渡した。
「カタリーナから借りて来たわ。サムシングボローにぜひって」
 受け取ったセリスは細いリングを大事そうに右手首にはめた。
 最後に歩み出たエドガーが、小さな青い石がついたペンダントを手のひらに乗せてセリスに差し出す。
「フィガロ王家で水の象徴とされる青い宝石だ。私やマッシュのピアスと同じ石なんだが……サムシングブルーに使ってくれないか」
 エドガーの後ろでマッシュもにこやかに自分の耳からぶら下がるピアスを指差した。セリスはそのペンダントを握り締め、自分を囲む優しい仲間たちを見渡して、みんなありがとう、と絞り出すような声で呟いた。俯いて震えるセリスにエドガーは胸ポケットからハンカチを取り出す。
「花嫁の涙は格別に美しいが、笑顔の素晴らしさに勝るものはない。さあ、世界一幸せなあの男にこの綺麗な姿を見せてやろう」
 エドガーのハンカチを受け取ったセリスは、目尻にそっと当てて顔を上げて微笑んだ。
 サムシングフォー。結婚式に花嫁が身につけると幸せになると言われる四つのもの。
 サムシングオールドは古いもの、ロックの祖母の形見の指輪。
 サムシングニューは新しいもの、この日のために仕立てたウェディングドレス。
 サムシングボローは借りたもの、モブリズでティナと暮らすカタリーナのブレスレット。
 サムシングブルーは青いもの、フィガロ王家の青い宝石。
 この四つを身につけたセリスは、抜けるような青空までもが祝福する今日、かつての仲間たちに見守られてロックの花嫁となる。




 マッシュの隣の席でブルーグレイのタキシードに身を包んだエドガーが古い懐中時計を覗き込む。
「そろそろかな」
 兄の呟きに教会の入り口を見ると、絶妙のタイミングで花飾りのついた扉が開いた。
 中から姿を見せたロックとセリスの新郎新婦に、招待客や村の人々が歓声と拍手を送る。
 ティナやリルムが花弁を撒く中、先程教会で愛を誓い合った二人がガーデンパーティーの会場に登場し、その晴れ姿を恥じらいのある笑顔と共に披露した。
「ロックの野郎、さっきの指輪交換ガチガチだったな」
 エドガーの左隣のセッツァーが揶揄うように言うと、エドガーも短く笑って同意する。
「見ているこちらがハラハラしたよ……右手と右足を同時に出して歩こうとするし、セリスのドレスでも踏むんじゃないかと気が気じゃなかった」
「やりかねねえなあ……式の間中笑いをこらえんのに苦労したぜ」
 意地の悪い二人の会話に苦笑したマッシュは、自分の右隣でテーブルに並んだ料理を狙うガウを宥めながらも、優しい眼差しで友人であるロックとセリスを見守った。
 結婚式への参列など子供の頃以来で、心が浮き立つような花々しい空気に自然と顔が綻ぶ。着慣れないタキシードやタイも窮屈ではあるが、今日の良き日に着飾る招待客を眺めていると、この華やかさも案外悪くないと思ってしまう。
 マッシュはちらりと左に座るエドガーの横顔に目をやった。シンプルなスーツはエドガーの装いとしては意外に珍しいが、実に自然に着こなしていて涼やかさが際立っている。耳に揺れる揃いのピアスに目元を緩ませ、今日の主役である花嫁姿のセリスよりも、この会場にいる誰よりも綺麗だと思ってしまうのは惚れた欲目なのだろうか。
 主役と共に乾杯の掛け声でグラスを掲げ、賑やかに談笑しながらパーティーが始まり、久しぶりに会えた仲間たちとの会話も弾んで楽しい時間が過ぎる。城の外へエドガーと共に出かけるのもしばらくなかったため、隣同士で笑いながら素朴なパーティー料理を摘むのも新鮮に感じて心が弾んだ。
 勧められるアルコールのためか恥ずかしさのためか、赤い顔で照れ臭そうに笑うロックと、その隣で可憐に微笑むセリスを見ていると、二人の幸せを願わずにはいられなかった。マッシュは大切な友人たちの門出を祝う一員となれたことに感謝し、ここに集った仲間たちの幸せをも祈るのだった。
「さーケーキだよ〜! ケーキ入刀〜!」
 リルムの快活な声と共に運ばれてきた二段のケーキはティナの手作りらしく、ところどころに見られる歪さが味わい深いものだった。気恥ずかしそうにしているティナにセリスは心底嬉しそうに微笑んで、ロックと並んでナイフを手に取る。
 二人は緊張のためか少し手を震わせて、それでもしっかりと息を合わせてケーキにナイフを入れた。沸き起こる拍手に方々で笑顔が零れる。
 マッシュは過去に見た景色を思い出して思わず目を細めた。──子供の頃、エドガーと共に参列した叔母の結婚式。大きなケーキが羨ましくて、結婚式ならあれが食べられるからと、エドガーがマッシュに目を輝かせて誘ったのだ。
『俺たちもケッコンしてあのケーキ分けようぜ!』
 兄の頓狂な提案に、ケーキ欲しさだったのかそれ以外の他意があったのか、つい『うん』と頷いてしまった幼い時。
 エドガーは覚えているだろうか? もう忘れているかもしれない。でもできれば覚えていて欲しい──新郎新婦に拍手を送る隣の兄を見やり、マッシュはそっとエドガーの耳に唇を寄せて、悪戯っぽく囁いた。
「……やっぱり俺たちもケッコンする?」
 途端エドガーの耳がさっと赤らみ、挙動不審に陥った手が卓上を目的なく彷徨って、手元のグラスを倒してしまった。グラスは割れはしなかったものの、大きな音で視線が集まる。反対隣のセッツァーに何やってると突っ込まれながらエドガーは珍しく顔を真っ赤に染め、失礼、と小声で会釈した。
 エドガーはじろりと横目でマッシュを睨むが、気恥ずかしげに赤らんだ目元では迫力も何もない。──ああ、覚えているんだ。マッシュは過剰に狼狽える兄の貴重な姿に頬が緩むのを抑えられなかった。
 倒れたグラスから零れた液体がテーブルを伝ってエドガーの膝を濡らす。エドガーは胸ポケットに手を伸ばして、あ、と口を開ける。
「そうか、ハンカチはセリスに渡してしまったな……」
「エドガー、大丈夫?」
 様子を見に来たティナが顔を出し、レースのついたハンカチを差し出してくれた。
「使って」
「いや、汚してしまうのは申し訳ないよ」
「平気。早くしないとシミになっちゃう」
「……すまないね、後で洗って返そう」
 エドガーはティナから受け取ったハンカチを膝に当て、もう一度マッシュを睨みつける。
 そんな照れ臭そうに怒った顔すらも綺麗だと思ってしまうなんて、自分の盲目ぶりは重症だとマッシュは一人苦笑した。
 その後もパーティーは温かく進み、ブーケトスでブーケに飛びついたリルムにストラゴスがまだ嫁に行くなと泣きついたり、酔っ払ったカイエンがアカペラで愛の歌を熱唱したり、食べ過ぎたガウがひっくり返ってしまったり、終始笑いの絶えない幸せな時が流れていた。
 マッシュは隣で笑うエドガーと一緒に、この時間を共有している喜びに浸るのだった。


 和やかな式は終わり、夜間まで続いたパーティーとは名ばかりの酒盛りも終え、村の宿に用意された部屋に戻ったマッシュは首のタイを外して大きく息をついた。
 首元を寛げて肩を回すマッシュに続いて部屋に入ったエドガーは、特に身なりを改めるでもなく窓際の椅子に腰を下ろす。
「いい式だったな」
 エドガーの言葉にマッシュは頷いた。
「ああ、ロックのやつデレデレしてたなあ」
「あれだけ美しい花嫁をもらったんだ、当然だろう」
 そう言って目を細めて笑うエドガーが眩しくて、マッシュは見惚れて返事を忘れる。
 ほんの僅か、無言の時が流れた。決して居心地の悪い空間ではなかったが、式の余韻を引きずった仄かに甘い空気の中、エドガーがおもむろに口を開く。
「……マッシュ。さっきの質問だが」
「ん?」
「俺の答えはイエスだ」
「えっ?」
 脈絡のない会話にマッシュは首を傾げた。
 エドガーはそんなマッシュの様子に気づかないはずがないというのに、構わずに淡々と告げる。
「さっき尋ねただろう。……俺は、イエスだ」
 尋ねた? 何を? ──マッシュは記憶を巡らせる。兄に何を尋ねただろうか、この村に来るまでの道中、教会での式の最中、その後のガーデンパーティー、とひとつひとつ思い出して、あっと口を開けた。

『……やっぱり俺たちもケッコンする?』

 改めてエドガーを見る。あの時動揺で真っ赤になっていた綺麗な顔は、今挑発するような目でマッシュを見つめる魅惑的な表情に変わっていた。
「──で、だ。今俺は偶然にも、この日のために新調した服を着て、父上の形見の古い懐中時計を持ち、ティナから借りたハンカチを胸ポケットに入れて、お前と揃いの青い石のピアスをつけている……」
 立てた人差し指を軽く振りながら一気にまくし立てたエドガーは、もう一度ちらりとマッシュに妖しい目線を寄越す。
「……そして俺の返事はイエスだ。……お前は? 俺にどんな言葉をくれる?」
 しっとりと濡れた青い流し目に見つめられ、マッシュは首まで赤くなった。
 ──ああ、さっきはしてやったりと思ったのに。やはりこの兄には敵いそうもない。
 先ほどとは逆で、全身を赤くして戸惑いに視線をうろつかせたマッシュは、目の前で返事を待つ愛しい人の前で覚悟を決めた。
 その水面のような鮮やかな青い瞳を見つめ、どくどくと早鐘を打つ胸の音に負けないよう、真摯な気持ちでしっかりと向き合い口を開く。
「……一生かけて……、幸せにするよ」
 精一杯の言葉を受けてエドガーは実に嬉しそうに、美しく鮮やかに微笑んだ。
「よろしい」
 エドガーの満足げな声にマッシュは思わず笑みを零し、高飛車に腰掛けて次のアクションを待つ愛する花嫁へ、背中を曲げて誓いのキスを送るのだった。